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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   正しい味わい方   ノンキィ

 近年では、クラシック音楽が軽薄短小なコマーシャルとして切り取られている。細部が全体に劣る
わけではないが、曲全体の世界の中に位置づけられることで、それはより大きな意味を持つことが出来るようになるのだ。
 “2006年本屋大賞受賞!!”、“話題沸騰の青春小説”——机の脇の本棚から数冊本を取り出してみると、ほとんどの帯にそんな文字が躍っていた。一人の作家の文庫本で埋まるスペースはなきに等しい。江國香織やあさのあつこ、梨木果歩や恩田陸といった、今をときめく作家の文庫本ばかり並ぶ私の本棚。どれも夢中で読んだけれど、どうもつまみ食いばかりして、本腰を入れて一人の作者の作品群を味わったことのないことに気付いた。一人の作家の思想、その根源となるもの、それらはきっとつまみ食いではとても掴みどころのないものだろう。子供でも大人でもない青年期、私の心にはより多くの刺激と肥やしが必要である。いつか出会えるであろう病み付きの味を求めて、まずはしっかり腰をすえて一つのものを噛み締めてみるべきだと思う。(主題)(構成)
 中学生の頃、音楽の授業でJ・Sバッハの“トッカータとフーガ”の演奏を鑑賞した。厳かなパイプオルガンで始まるフレーズこそ知っていたが、恥ずかしながら中盤のメロディは初めて耳にするものだった。しかし、私にはそれがとても新鮮に感じられたのだ。幼いとき、それに変な歌詞をつけた替え歌まで流行った(笑有名なメロディが、完成された一つの長い楽曲の一部分として演奏されている。奇妙な気分だった。だが、それは不快な感情ではなかった。それだけで充分成り立っているようにも聞こえるフレーズは、まるでパズルのピースのように、ぴったりと全体に添っていた。むしろ、全体として聞いてみて初めて、これまでは大衆文化の代表選手のようにも思えたそのフレーズが、急に輝きを放ち、何かもっと高尚なものへと一瞬で姿を変えた。名作と呼ばれるものは何でも同じことではないか。細部まで完成されていて、どこを切り取っても楽しむことは出来るが、全体像を捉えたときに、それらが放つ光に注目してみたい。そこには、おそらく何かほっとするような、それでいて新しい味があるはずだから。(方法)(題材)(表現)
 全体像の捉え方、と口では簡単に言っても、なかなか容易に会得できるものではない。例えば作家ならば、彼あるいは彼女の思想は、ある程度体系的にどの作品にも表れているはずだ。従って、誰かの作品に興味を持ったときは、その作家の生み出した文章を幅広く読んでみることは一つの手ではなかろうか。初期の作品、最近のもの、重いテーマ、薄い短編集。とにかく、その作家が調理する味を出来るだけ味わってみれば、そのうち味の決め手となる欠かさないスパイスや火の入れ加減が分かってくる。それは、つまり全体像を捉えているということなのだと思う。単品では味わえないコース料理の良さ、とでも言うべきか、前菜から甘味まで全ての一連のつながりが、それぞれの皿を単純に合計したものに目に見えない満足感をプラスアルファすることは、稀ではない。(方法2)
 もちろん、つまみ食いを否定したいのではないないし、今すぐ止めるべき悪い癖だといいたいのでもない。あそこからも、ここからもと、少しずつ様々な味に触れるうちに、いつか自分を惹きつけて止まないものに出会う日が訪れるかも知れない。だが、たとえそれを見つけたところで、そこから掘り下げることを知らなければ、その味も他の何でもない諸々のものと同等のまま葬られてしまいかねない。全体を見渡すマクロな視野を持って、同時にどんな些細なスパイスにも気付けるように、そんな姿勢で本に向き合っていくべきだと思う。私の心も、いつか究極の香辛料に出会える日が来るのだろうか。(主題)

   講評   nara

 今回は一気に書けたようだ。本のつまみ食いという話が出たところで、「書けそう!」とひらめいたかな。「味わう」というイメージで考えると、本も食事も音楽も、みな共通点を持っているのだね。つまみ食いも楽しい、フルコースも楽しい。そう思えると、人生がより豊かになりそうだね。
 いきなりフルコースや交響曲をどんと押し付けられたら、どんな反応になるかな。重厚なものの中にこめられているものを楽しむような心境には、なかなかなれないかもしれないね。重厚なものを楽しむための入り口として、長文でいうところの軽薄があると考えると、この作文の複数の方法もよく理解できる。少し路線を変えて、ウォーミングアップというとらえ方もできそうだ。運動量が少ない人にとっては、ウォーミングアップでもヘトヘトになる。これも立派な運動だ。だけれども、ある程度のレベルの人には、なくてはならないけれど、それだけではもの足りない。こんなイメージと重ねても、論を作っていけそうだね。
 自分を惹きつけて止まないものを見つけるということは、自分を知るということでもあるね。「これかな?」という探りが「これだ!」という実感に変わったときの喜びは、巡りあう喜びであり自分を知る喜びでもあるのだなぁ。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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