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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   ありがとう   ノンキィ

 同じ境遇や条件の中であっても底には変化に対して影響を受けやすい誰かがいるのであり、社会的な変動の被害を真っ先に被るのはその誰かなのである。全体として国の経済が成長する一方、内部で広がる経済格差はよく指摘されるが、それがどうやって出て来たのかにはそれほど注意が払われていないのではないだろうか。
 大阪で開催された世界陸上が昨日、閉幕した。フィールドで、トラックで、歯を食いしばる全ての選手に魅せられ、何度心を動かされただろう。トラックを独走するケニアやエチオピアの選手、スプリントを制したアメリカの選手らと、黒人選手の活躍と誇らしげな顔を目にする度に、私は胸が温まる思いがした。肌の色だけで黒人が不当な蔑みの目を向けられ、アジアの発展途上国の子どもたちが人身売買の対象となる、そんな世界がまだ地球上に歯存在することを知っているからだ。本人のなす術もないところで境が作られ、社会的弱者が表面上では自然と、しかし確実に意図的に生まれる。そしてそのような人々は、姿を変えて今日の日本にもやはり存在する。それが、ワーキングプアと呼ばれる人々であると思う。居住する部落や障害、病気や金銭不足によって社会的弱者だと見なされる彼らが、上を向いて生きられるように、これからの日本はそう変化していくべきである。(主題)
 格差社会、勝ち組負け組そのような言葉が流行する一方で、日本の憲法には、全ての国民は法の下に平等であると謳われている。住居を借りるお金すらままならず、ネットカフェを転々と渡り歩くワーキングプアたちは、果たして本当に平等な暮らしを手に入れているのだろうか。建前上の平等など、彼らには何の慰めにもならない。しかしながら、藁にもすがり付く思いで上を向いていなければ、社会的弱者が立ち上がることのできる日は遠い。同世代の時代の寵児たち、IT企業の取締役などと自分を比べ、マイナス思考のスパイラルに陥ってしまう前に、自分の声を出して立ち上がってみなければならない。労働条件の改善を、主張していかなければならない。もちろん容易なことではない上に、その努力が直接自らに帰ってくる可能性は低い。だが誰かが行動を起こすのを待つのではなく、自らの声を響かせれば、それが連鎖して大きな成果をもたらすはずである。(方法1)
 次に、所得や身体障害という壁のために弱者とみなされる人々が決死の思いであげる声を、聞き逃さずに聴くことが非常に大切であると思う。無論日本の政治や政策を担う人には細心の注意を払う義務があるが、それだけでなく私たち自身がワーキングプアの人々の声を受け止めなければならない。全く次元の異なる話のようだが、私は今二日後に控えた文化祭の準備に精神的にも肉体的にも追われている。クラスを先導する位置にいて、自分でも気づかない内に追い込まれていたのだろうか、今日の放課後ふと涙が止まらなくなった。隣のクラスの友だちにしがみついて、恥ずかしながらわんわん泣いてしまった。その友だちは、私の涙でぐしょぐしょになりながらも、“よう頑張ってる、あんたがおらへんかったらできひんかったんやで”とずっと背中をさすってくれた。嬉しくて、また涙が溢れた。辛さや悲しみを、誰かが認めてくれるだけで私たちは強く前向きになれる。テレビ番組で見たワーキングプアの人々の顔は、憔悴して希望すら見えなかった。そこに光を差せるのは、彼らの苦しみを受け止めようとする私たちの姿勢であると思う。(方法2)(体験)
 いくら声をあげても、いくらそれを聴いても結局日本の政治を動かすのは政治家ではないかと、そう考える人もいるだろう。だからといって私たちは、どれ程頑張っても無駄だと、平等という言葉を絵の中の餅にしてしまってよいのだろうか。社会的弱者は、国の政策ではなく、私たちの心に潜む差別意識が生むということを忘れてはならない。世界陸上で、ゴールを駆け抜けたときの誇らしげな笑顔を私は本当にたくさん目にした。あの輝きが全ての人間に宿ったとき、私たちはそれを真の平等だと呼ぶべきである。(主題)(名言)

   講評   nara

 この夏、いろいろな体験を経て、ノンキィさんの心のひだは深く豊かになったことだろうな。その心のひだに、また新しい体験が絡んでいく……この作文を読みながら、そんなことを思ったよ。「人に優しく」という言葉はよく使われるけれど、優しくあるためには強くなければならない。その強さとは何なのか。一人一人強さの定義は異なるだろうけれど、ノンキィさんが考える強さとは何か、考えてみるといいね。
 第一方法:言葉と意識は連動している。「習い性」などと言うことがあるけれど、これは文中のスパイラルと同じように考えられるね。「どうせ」「でも」「……くせに」こういう言葉を思い浮かべるとき、それは行動に結びつく。響かせるべき自らの声は高らかでほがらかであるべきだ。派遣労働者に対する違法天引きも、女性の参政権も、声を上げたところから解決への道が開けたのだね!
 第二方法:認められること・受け容れられることがどれほど力となるか。体験実例はあふれた感情をしっかりと分析している点がいいね。もしかしたら、現代人は他者を認める・受け容れることができにくくなっているのではないか。だからこそ、認められたとき・受け容れられたときの感情の振幅が大きくなっているのではないかな。表向きの平等の陰で、差別意識が巧妙に潜在化を進めているのだろうね。顕在化しない分、感情も抑制されて、ときにあふれ出てしまうのだろうなぁ。
 二つの方法は、どちらが欠けても主題の達成にはつながらない。いい意見を提示できたね。声を上げるものと支えるもの、私たちはどちらの立場にもなりうるわけだ。あるときは支え、あるときは支えられる、その関係性の中から「平等」の意識が育まれると信じたいね。
 自らに帰る → 返る

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