対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
志望校別の対応ができる受験作文。作文の専科教育で40年の実績。

昨日2569 今日2251 合計4864
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   自分で考えろ   ビーバー

 現代は情報の時代と呼ばれる。確かに数多い情報が氾濫し、それを処理するのがうまい人が出世するようになっている。そんな中、大学入試では小論文を書くような試験も増え、私の学校でも論文を書く機械が増えつつある。情報を操るのがうまいことよりも、自分の得た情報をいかにして自分の中に取り込んでいくかが問われる時代へと移行している。情報を処理するくらいなら、手法云々を覚えてしまえば誰でもできそうだ。しかし、自分の力で考えると言うのは、考える個人個人にしかできない。自分の中に洗練した情報を取り込むことは、自分の利益にもなり、世界に通じる第一歩ともなりうる。考えることがうまい人間が世界を仕切るのである。これからの人間は、自分の得た情報を自分の中で加工し、それを応用する力を身につけるべきだと思う。
 その方法は、教育課程を見直して「自分で深く考える」という系列のものを組み込むことである。今は「情報化社会」と呼ばれるほど情報があり、むしろ溢れていて、いかに処理するかが課題になっている。学校教育でも情報とか技術などの教科が必修科目として授業に入ってきてもいる。しかし、こういう教育課程は情報の消化法を教えていないような気がする。ただ私のいた中学校では毎月感想文課題があったので、そういうものを取り入れていけば自然に「情報消化力」なるものが身についていくようになると思う。自分でよく考えなければできないようなもの、そういうものを学校側が取り入れて行けば、日本の学生の学力の向上に繋がると思う。そして、分数の計算すらできないような大学生は量産されずに済むようになるだろう。
 確かに、情報が氾濫している今の世の中では、情報をうまく取り入れる能力も必要になってくる。「情報はただ得るものではなく、自分を形成する素の材料である。」このように、情報の完全な消化なしでは情報に流されるばかりになってしまう。言わば「人間は考えなければ葦のように無力だ」、人間は考えることを始めとして本領を発揮するのに、そういう大切な「思考力」を欠かしてしまっては人間としての能力を発揮できるわけがない。特に情報の多い現代では、ルネサンス付近の時代よりももっと情報を消化する力が必要なはずである。だから、現代の人類はもう少し「考える」ことに重点を置くべきではないかと思う。

   講評   nane

 書き出しは、難しい説明風だけど、自分の中でよく消化されている考えなので、スムーズに読める。
 考えざるを得ない勉強をさせるというのは、いい考え。こういうまともな路線がいちばん大事だね。今は、レポートなどもコピーで作れる時代だから、逆に自分で考えてディスカッションするというような勉強が必要になってくるのかもしれないね。
 「情報はただ得るものではなく、自分を形成する素の材料である」はいい名言。しかし、「○○はAではなくBである」のAとBの対応が、もう一息。例えば、「完成した料理ではなく、料理の素材なのである」などのように書いていくとわかりやすい。
 「考えなければ葦のように……」は、名言の加工で、いい書き方。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)