対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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笑う門には福来る かつさ
「笑う門には福が来る」のであって、人は福が来るから笑うのではない。いつも暗い顔をしていれば、運は逃げていってしまう。運とは日常の生き方の結果なのだ。よく「私は運が悪い」という人がいるが、こういう人はなぜ世の中が自分につらく当たるのか理解できていない。社会性を欠いた毎日の積み重ねでそうなってしまうのである。著者は、運命を信じる人は怠け者で愚か者であるという。運命を信じている人は、自分がベストを尽くすことをしないための言い訳として運命を信じるのだ。努力と忍耐なくして幸運などありえないというのに。困難の無い人生など無い、これが人生の運を考える時の大前提である。(要約)
私は4歳の時からバイオリンをやっているのだが、つくづく「努力ってやっぱり必要だなぁ。」と思わされる。小さい頃は毎日欠かさず練習していたから、それなりに上達も早くて、色々な曲を弾くことができるようになった。しかし、小学校高学年、中学、と進むにつれて部活などで忙しくなってくると、あまりバイオリンの練習に時間を割けなくなってしまった。そうすると、今まで出来ていたはずの奏法が下手になっていたり、曲を一つ完璧に弾けるようになるまで1年以上もかかったりするようになり、先生に「もうちょっと練習してきてくれればねぇ。」なんて言われてしまう状態だ。
やはり「努力」の積み重ねは結果に大きく影響するのである。因みに、私の先生は元プロオーケストラのコンサートマスターなのだが、私ぐらいの頃は毎日8時間以上は練習していたという。「コンサートマスター」は努力の賜物である。
同じくプロのヴァイオリニストに五嶋龍さんという人がいる。この人はまだ二十歳前後なのだが、世界に名をとどろかす名ヴァイオリニストだ。私は人の才能はみな同じだなどとは思っていないが、初めてでヴァイオリンを弾くことができる人などいない。五嶋龍さんの技術も、才能の上に測りきれないくらいの努力が積み重なって出来ている。あるテレビ局が彼のドキュメンタリー番組を十歳ごろから放送しつづけているのだが、その中で、「何で僕の演奏を聞いて悪いところをもっと注意してくれないの?」と、彼が母に怒っている場面があった。普通は他人に注意されるのは嫌なはずである。しかし彼はとことん自分に対して厳しいのだ。そして、彼は結果をつかむにはそうした忍耐力というのが必要だと分かっている。だからこそ、彼はヴァイオリニストとして成功をつかんだのである。
「笑う門には福がくる」というのはやはり正しい。才能がある無いに関係なく、「努力」と「忍耐」は人間に無限の可能性をもたらし、幸運を運んできてくれる。「朝の来ない夜は無い」というように、例え努力の積み重ねがすぐには実らなくても、いつかは必ず幸運という結果を自分に与えてくれるはずである。それを知らずに初めから困難を避けてしまうような人生は勿体無いのではないだろうか。
講評 nane
要約をしっかりまとめたね。
4歳のころからのバイオリンの例はいいね。このように長く続けたことというのは、そのこと自体も自分の中に残るけど、続けること自体が自分自身を形成するところがある。
第三段落のプロのバイオリニストの話もいい例。このように、自分が特に詳しく知っている話は価値ある実例になる。これからも、こういうエピソードはどんどん使っていこう。
結びの段落で、書き出しのテーマに戻ったので、文章全体に安定感が出ている。書き出しのキーワードを結びにも使うというのは大事なコツだから、これからも覚えておこう。「笑う門には……」のことわざ自体を少し加工して引用してもいいよ。
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