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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   テレビが普及して   子ヤギ

 テレビや映画は、すわっていれば画面の方がこちらを適当に調理してくれる。しかし、本を読むには、テレビや映画より読む側に努力がいる。要するに読書をする時のほうが、読み手の自由が大きく自分の意志や努力で決めることのできる範囲が広い、ということになる。読書は音楽や絵と違い、意味がわからなければ読んでも無意味である。その意味をとらえ、意味相互のあいだの関係を理解することが、本を読む法である。読むこととわかることは切り離せない。しかし、世の中には難しい本もあり、簡単には理解できないものも多い。その場合、このような本は一切読まずわかる本だけ読めばいいのである。(要約)
 私は、さくらももこが好きだ。だから、毎週「ちびまる子ちゃん」も忘れずに見ているし、時々ではあるがエッセイも読んでいる。どちらもとても面白い作品ばかりだが、どちらが好きと聞かれたら、強いて言えば、エッセイと言うと思う。なぜなら、テレビだと、トイレに行きたくなったりしたときなど、最初から最後まで確実に見られない時があるからだ。また、その時間帯に用事があるときは、見ることができないことも理由の一つだ。その点エッセイは、好きな時間に自分の好きなスピードで何度でも読むことができ、トイレに行ったりしても続きから読むことができる。そこが、私がエッセイを好きな理由だ。
 私は、何年か前に「我輩は猫である」を読んだことがある。しかし、意味がわからなくていやになり途中でやめてしまった。けれども、最近になって再チャレンジしてみたところ、前よりもよくわかって今少しずつ読んでいる。今まで日本の文学作品である、「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」、「注文の多い料理店」、「どんぐりと山猫」、「グスコーブドリの伝記」、「オツベルと象」などの宮沢賢治の作品、太宰治の「走れメロス」、芥川龍之介の「トロッコ」、「蜘蛛の糸」そして「我輩は猫である」の著者、夏目漱石が書いた「坊ちゃん」などなど、様々な作品を読んできた。確かに「我輩は猫である」はとても難しい作品であるが、今までこれだけの量を読んできたのだから、なんとしてでも読み終えたいと思う。(前の話)
 「急がば回れ」ということわざは、急いで物事をしようとするときは、危険な近道をするよりも回り道でも安全な道を選ぶほうが結局は早いという意味である。このことわざのように、本も難しい本は、わからなかったらその時はその本は読まず、大人になってわかるようになってから、読めばいいということがわかった。人間にとって、読書とは心を豊かにしてくれるものだと思う。だからこれからも読書を続けていきたい。(ことわざの引用、一般化の主題)

   講評   yuta

◆要約は、上手くまとめましたね。うまい!
◆さくらももこさんの「ちびまる子ちゃん」とエッセイ。エッセイに軍配が上がりました。テレビはこちら側が都合を合わせなくてはいけない。でも、本は完全に自分の都合で読むことができる。ゆったりと読書を楽しんでいる姿が浮かびます。
◆「吾輩は猫である」ね。先生も何度も挫折しました。最初はおもしろいのですが、途中であきちゃうんです(^^;)。飛ばして結末は読んでしまったのですが、途中の読んでいない部分、未だにあります。 夏目漱石の「こころ」も数年前に読み返して、やっと理解できました。まったく違う視線で読めたのです。夏目漱石の作品は、成長とともに、ずっと楽しめると思います。
◆『本も難しい本は、わからなかったらその時はその本は読まず、大人になってわかるようになってから、読めばいいということがわかった』。『急がばまわれ』ということわざがピッタリですね。『人間にとって、読書とは心を豊かにしてくれるものだ』。いい作品は逃げません。読書を一生の楽しみにしたいですね。
       

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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