私の家は自動車がやっと通れるぐらいの舗装されていない路地に面している。翌春私の家の前にスミレがさいたので私はふまないように注意して出入りした。ところが帰ってくるとスミレがない。となりの家のおばあちゃんにぬかれてしまったのだ。数年たって下水道工事が始まって地面がほりかえされ、車の震動で下水管がこわれぬようにしっかりと舗装されてしまい車向きの道路になった。
僕の家の前は、舗装されているけれども裏の庭は舗装されていないので、路地を通して相手との関係を結ぶことはないといっても良いだろう。僕の家は不思議なことにぼうぼうになるまで雑草を放っておかないので大規模な草抜きやそれで小遣いを稼ぐことはまずない。家を建て替える前までは菫が庭を占領していたのでそろそろ抜こうかという話にはなっていた。僕は何故か植物を育てるのが好きで菫を保護しようとしたから庭の隅に残してくれた。今思い出したことだから、しばらく見ていないんだと思うけれども、はっきりと覚えている。
前、理科の授業で講師にこういわれたのを覚えている。その講師は、植物のことが良く分かっていて「『雑草』と言う草はありません」と。「ここの雑草を抜いておいて」よく言う。文中にもあったように、筆者は菫を綺麗な花だと思っているが、となりの家のおばちゃんにとっては菫はただの雑草だったということだ。人によって価値観が違うのである。分け方によっては
1.人が生きていくのに絶対に必要なもの(食べ物、水)と必要のないもの(その他)という分け方。
2.人が理想と思うもの(人が見て落ち着くもの、必要なもの)、人がなんとも思わないもの(その他)という分け方。
3.人によっては美味しいものとまずいもの(笑)という分け方。
4.それ以外
いろいろな人による分け方を統一するのは不可能に近いから分け方を平均化したものを定規として使う以外ないのだ。
人間にとって雑草とは「自分の弱いところ」だと思う。誰でも雑草を持っていると思うし、・ω・書き途中orz...
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