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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   全体に部分はない   紫式部

 圧倒的に便利になっていく現代にあって、「傾聴」や「注視」を要するクラシックが今でも身近にあるというのはどういうわけであろう。現代でのクラッシックの形態とは伝統的であり伝え受け継ぐ音楽文化ではなく、CMなどで一部分だけを切り取ることに象徴されるように、雰囲気を楽しむおしゃれなファッションにさえなっている。現代の軽薄短小的な考えや視点が、このクラシックの例を通しても言える。果たしてそのような捉え方でいいのだろうか。私たちは手軽で便利、簡単が当たり前の現代だからこそ、物事を注意深く、重層的に捉えられるようなそのものの本質を大切した思考回路を意識的に持つべきだ。
 そのための方法としては第一に、なにかを始める時には原点に目を向けることである。ちょうど、私が小学校6年生の時に大河ドラマで「新撰組!」が放送された。当時大河ドラマは大人が見るモノだとしか思っていなかった。しかし、1話目を見てしまい、たちまち虜である。最初、俳優のカッコ良さばかりに目を奪われていた大河ドラマも、段々と歴史そのものにも興味を持その背景を調べるようになった。本も沢山読んだ。北海道に住んでため縁の在る土地に一人で行くのは難しいが、親と旅行に行ったときなどは「これチャンス!!」とばかりに「此処が沖田総司が子供たちを集めて遊んでいた場所かぁ。」と一人で興奮した。初めは雰囲気や表面的なことが入り口であっても、さらにその奥の本質に触れることでその世界観が広がる。
 第二に、学校での教育を部分から全体への視点へと変えることだ。学校の音楽の授業では音楽鑑賞としてまるまる費やしてくれたことが何度もあった。曲の始まりから終わりまでをすべてを聞く。例えばヴィヴァルディの「四季」をとっても、一番有名な「春」を「四季」の一部として感じることができて初めて「春」という作品は成り立つのだ。大抵、有名な箇所は曲のほんの一部分だと知って驚く。私たちはそこで始めて曲全体を味わうのだ。そういう意味で、学校のでの教育とは音楽の時間に限らず、カタログ的な細切れの教えではなく全体を見渡した俯瞰の教えも大事にすべきだ。また、現代社会は便利追及に走りすぎているように思う。先日父とTVを見ていたときのこと、ある携帯のCMが流れてきた。男の人が用事で家を出るときに携帯のみをポケットに入れて出かけるというシーン。要するに携帯ひとつで全ての用が事足りてしまうという事=便利が伝えたいのだろう。それひとつあれば鍵も財布も本もいらない、ナビだって付いている。確かに超便利。父は「何でも便利になれば良いってもんじゃないだろぉー」とかなり不満の様子。私も同感である。確かに便利は良いかもしれない。しかし、物事のいいところばかりを切り取ってかき集める事だけがいいことなのか。取り落としてしまったものの中にも良いものは沢山あるように思う。
 確かに、手っ取り早く一部を切り取り編集して楽しむことも大事だし、現代に順応する形に編集されることは快適かもしれない。しかし、そこだけを見て全てを知ったような気になるのは良くない。「全体に部分は無い」からだ。部分が繋がって複雑に関連し合って全体の文脈が生まれる。軽薄短小に流されずに重層的な考えを持つべきだ。

   講評   kira

 紫式部さん、こんにちは。いい清書になりました。
5月もいろいろな問題点を見出していこうね。


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