対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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個人と所属 すいーとぽてと
固有名詞が、その固有の意味においてはっきりと姿を現すのは、兄弟や遊び仲間を持ち、あるいは保育園や学校のようなところに通って社会生活を始めたときである。逆説的なようだが、固有名詞があるというそのことが、言葉が本来的に社会的なものであるということの証拠になるのである。名前には、アイデンティティというものの二重性がある。自分は自分であって、それ以外のものではあり得ないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している。あるいは所属せざるを得ないというこの原理は、名づけ、すなわち、言葉の原理そのものから発しているように思われる。私たち人間が、固有名詞で呼ばれない社会は問題である。
そのための原因として第一に、私たちの社会が個人を尊重しないような風土であることだ。日本は、人を所属で見る傾向がある。例えば、苗字で一括り、学校名で一括りなどと、個人個人は全く違う性質なのにも関わらず、一緒に見てしまいがちであるように思う。学校で、生徒の中の一人が問題を起こし、それが学校外にも広まると、そこの学校の生徒は「以前問題が起きた学校に通っている生徒」という風に思われ、その人だけが特殊であっても同じように見られてしまう。結婚したら同じ苗字にならなくてはならないという法律からも、所属を見る傾向があることがうかがえる。しかし、結婚しても別姓のままでいることができる、という改正案が出されているそうだ。別姓にすると子供は苗字をどうするか、などの問題が出てきそうだが、世界には別姓のままでいる国もある。そうすることによって少しは個人を失わずに生活できるようになるのではないかと思った。
そのための第二の原因として、私たちの社会の発展によって、何でも標準化することに重きを置いたことだ。私たちの暮らしは、科学技術の進歩により、大量生産・大量消費という非常に便利なものへと変化した。しかしそのために、皆が同じようなものを手にするようになった。このことが、人々が同じ価値観を持つことを重要視するような社会を築き上げる原因の一つになっているのかもしれない。日本人は特に、周りと考え方が違うのを怖がるという話をよく聞く。一人違うのが嫌で、周りに合わせる。それが、所属を第一に見てしまうようにさせているように感じる。科学技術の発展は良いことだが、それぞれで価値観が違っても良いのだという考えを社会に浸透させるべきだと思う。
確かに固有名詞を考えないほうが、社会が能率的に収まるので、悪いことばかりでなはい。しかし、所属とは常に同じ価値観を持っている居心地の良い場所ではなく、時に強い束縛で個人を奪おうとする窮屈な場所だ。人間は、いつでも同じ意見を持っていることはありえない。だから、個人が尊重されない社会は問題だ。
講評 kira
すいーとぽてとちゃん、こんにちは。次回6月6日は進級テストです。がんばろうね。
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