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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自分は自分だから   なつみかん

 外国人が理由をあげて頼みを断る場合は、もうこれ以上いくら頼んでも応じないという立場をきちんと表している。ところが、日本人は義理人情にからまれて、どんなに明白な理由があろうと、頼みをむげに断ってしまうのは、なんだか気がひけてしまう。それは、日本人がきめつけを好まず、いつも一つのことにこだわらないようにと努めるからだ。
 日本人はやはり、あいまいなところが多いのだと思う。普段の友達との会話でも、
「今日遊べる?」
「んー。今日はちょっと・・・・・」
と遊べない理由があいまいな場面がある。言葉をあいまいに発すると、相手もその言葉についてとまどってしまうし、何となくその言葉について、いつまでも気がかりになってしまう。これは、意識しようと思っても、なかなかなおらない。やはり、日本人生まれつきの特徴なのだろうか。普段の会話で気をつけていれば、なおるものなのかもしれないが、なおそうとする人はなかなかいない。今度から気をつけてみようと思う。
 日本人があいまいということから、もうひとつの日本人の特徴が思い浮かべられる。日本人が相手に対してあることを言い切れないということは、相手に対して遠慮しているということだ。実際に、本でそういう話を読んだことがある。
 本の名前は「本を読むわたし」。作者は現在高校生で、モデルをやっている。その子はアメリカ人の父と日本人の母のハーフだ。6才の頃日本に渡る前までは、アメリカのプリスクールにいた。プリスクールでは、みんなが堂々としていて、自分は自分と胸をはっていた。作者もそんな自分が大好きだった。
 しかし、日本に渡り、小学生になったとたん、自分の自信がガラガラと崩れ始めた。胸をはっている自分がただのうるさくて生意気な自分ということに気づいた。みんなと一緒、みんなと同じがいいと思い始めたという。
 そうだろうな、と思う。日本の遠慮しがちな文化の中に、アメリカから来た子が一人、自信満々でいたら誰からだって白い目で見られる。まるで針のような視線の中で普通にいられるほうがおかしい。作者がこう思ったのも無理はなかった。
 しかし日本人の私でも、自分は自分がいいと思う。人にあわせるような生活ばかりしていたら、毎日がつまらない。自分の人生なんだから、自分は自分だと思いたい。
 日本人は本当に外国から見たら変なのかもしれない。言葉はあいまいで遠慮しがち。そういうところのどこがいいのかと思うかもしれない。でも、あいまいな言葉は相手のことを思って言う場合もある。あいまいな言葉は使いよう、ということがわかった。
「なっちゃんの意見、ちょっと変じゃない?」
言われてもへっちゃら。だって私は私。どんなに変だろうとかまわないと思う。

   講評   arare

  きれいに清書ができました。

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