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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   ほんわか正月   如月 沙良

お節料理は父の生まれ故郷の、京都・福知山で食べた。優雅だと思われている京都にも裏の面がある。京都の鹿音寺や慈照寺などに舞い落ちる雪。このような絶景はぜひとも写真に収めたいものである。そこまでの過程はとてもいい。ただ、寒いのである。特に田舎は。何せ、福知山は田舎の中の田舎。零下の気温まではいかなくても、家の中ではやむを得ず炬燵と友達になるしかない。都会人にとっては、同じ日本国とはまるで信じられない異様な考えであった。
 祖母の家について一段落。慣れない炬燵に違和感を覚えながらも団欒の一時。でも炬燵ってやっぱりいいなと思う。炬燵は四角い形をしているから、自然に向き合う形となる。蜜柑に手を伸ばしつつ、ためらうこともなく色々な話ができる。慌ただしく過ごしている都会とは違う、日本ならではのスタイルだなとしみじみ感じ入った。前、祖母の家にいったのは、去年の夏。夏は炬燵などあるわけがなく、ただごろんとお住みつきの猫のように丸くなっただけであった。皆で顔を合わせて談笑するということもなくただ無駄に時間を過ごしたなと反省した。
 夜があけると共に、年も明けた。待ちに待ったお正月である。テーブルの上には、重箱。蓋をあけると豪華けんらんの朝食。栗きんとんや伊達巻、煮物、田作り等が綺麗に詰められていた。お節料理を食べてこそ、お正月が実感できるものである。普段の洋食とは違い、素朴で混じり気のない真っ直ぐな味であった。自然と箸も進む。年神様に感謝しながら、少しずつ皿にとって口に入れる。これぞ日本の文化。他国で、のんびりとしたお正月はないだろう。そう思うと日本を誇りに思えて嬉しくなる。朝食の締め、雑煮。関西の雑煮は、丸餅に白味噌。地方によって雑煮は違う。確か、関東は四角餅に澄まし汁。祖母のつくる雑煮は餅のみといういたってシンプルな雑煮であった。だからこそ、餅のモチモチ感が味わえるのだし、白味噌の味が引き立つのであろう。朝食が済み、皿を片づけてから一段落。祖母も朝の日課が終わり、また炬燵を囲んだ。密かな談笑が幕をあける。不思議と炬燵に入ると、てらわずに素直に心が開ける。なぜだろう。日本人の風潮に馴染むのだろうか。話すと話はどんどん膨らんで、まるでポップコーンのように弾けた笑い声が響く。時がたつのも忘れる。誰もが笑顔になって、一日をもっと明るくしようと思う。そんな炬燵は、日本国のものとして一番自慢できるものだと思う。
 京都の祖母の家に行って、非常にほんわかした正月を過ごせた。そして冬になるといつも身近にいて和ませてくれて、笑顔になるのが炬燵だと分かった。

   講評   inoko

 如月沙良さん、こんにちは。
京都の冬は寒いそうですね。炬燵の良さを感じるには、ぴったりです。「炬燵に蜜柑」が、日本の冬の代名詞であることにあらためて納得できたことでしょう。
 皆さんにお正月の話を聞くと、お節料理はどうも人気がありません。飽食の時代ですから、普段からおいしいものをたくさん食べている今の子どもたちにとっては、お節料理はありがたいものではないのかもしれません。でも、伝統的なお節料理の一つ一つには、いろいろな意味がこめられていることを知ると、一口ずつでもありがたくいただかなければならないと思います。沙良さんが書いているように、まさに日本の文化なのですから。
 炬燵の話に戻りますが、炬燵を囲んでいると心が開けると書いています。これは、囲炉裏を囲んだり、鍋物を囲んだりすることと同じなのでしょうね。キャンプファイアーで一体感を感じることも、近いことかもしれません。火や暖をとることが、人間の心にとって特別な力があるのでしょうか。



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