対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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日々の幸せ いへゆ
私は豊かになった今の社会の中で人々が幸福感を感じること難しくなっているのは問題だと思う。
なぜ豊かになって幸せになったはずの今の社会に幸せを感じる人が少ないのだろうか。
その原因として第一に、豊かになりすぎて幸せなことが当たり前になったからだ。今ではボタンひとつで、温かいご飯がたけるし、お風呂も沸くし、過しやすい室温にもなる。これらは、どの家でも今では当たり前に出来ることで、その幸せさをいちいち確認することなどない。しかし、私はニュージーランドに留学して、これらの幸せが決して当たり前ではないことに気がついた。私が今、すごく熱いお湯をバスタブいっぱいに溜めて、三十分のんびりつかりたい。ニュージーランドでは各家にお湯を沸かすタンクがあり、それが小さいので一度にたくさんのお湯を使うことは難しい。これは日本にいたときには毎日当たり前だったので、このことに幸せを感じることなんてあまりなかった。むしろ、シャワーのほうが手っ取り早くて楽だと思っていた。しかし、それが出来ない環境になると、今まで当たり前だったことが実はものすごく幸せだったことに気づいた。やはり、幸せは一度手放してみて改めて気づくものなのだと思う。今の日本人で、毎日当たり前にやっていることが明日出来なくなると考えている人は少ないと思う。もっとその幸せは考えながら生活していくべきだと思う。
その原因として第二に、自分の幸せを自分の考え方を基準にして考えていないからだ。私たちは、人の評価やまわりの基準で自分の幸せを計りすぎている。たとえば、「エリート企業にはいって、お金に余裕がある。」という世間で言われている幸せがある。しかし、気取ったレストランで高級ステーキを食べるより、家出お母さんが作ってくれた唐揚げを食べるほうが幸せだったりする。「スズメは鳥かごにいれると死んでしまう。」という話を聞いたことがある。私から見ると、公園で食べものを探しているスズメより、鳥かごのなかで毎日ちゃんと餌を与えられているカッコウのほうが幸せに見える。しかし、スズメはスズメで自分にあった幸せを持っているのかもしれない。このように、幸せの感じ方は人それぞれ基準が違うと思う。
たしかに、人間にとっての幸福をひとつに定めることは難しい。自分が幸せに思っていることに他人が幸せを感じるとは限らない。しかし、「不幸な人とは、経済的に貧しいひとではなく、小さな幸せを探そうとしていないひとだ。」のだ。やはり、豊かになり幸せを感じることが増えている今の社会のなかで、幸せだと胸をはって言える人が少ないのは問題だと思う。
講評 huzi
一日のうちで、幸福感を感じる瞬間はどれほどあるでしょう。誰かに「幸福ですか?」と問われると、「何だ、このヒト??」と不審に思うかも(笑)。
そうであっても、ほとんどの人は心の底で「幸福になりたい」と思いながら日々を過ごしているのです。
【社会問題の主題】→【原因】の流れ、これでOKです。これぐらい丁寧に展開させたほうが、断然伝わりやすいですよ。
【原因】、幸せなのが「当たり前」なのは裏を返せば、幸せ感を減らしてしまうのだなあ。
2つ目の【原因】には、【自然科学実例】を当てはめることができました。幸せの評価を他人に任せたり、無理強いしてはならないのですね。
【自作名言】は、まさにそのとおりだと思います。自分で探し、小さな行いに感謝できる心が大切なのでしょうね。
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