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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人工と天然   りす

 私たちは長い間、木綿と木の中で暮らしてきたが、明治以降それを捨て、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。しかし、千三百年たった法隆寺のヒノキの柱と新しいヒノキの柱とではどちらが強いかというと、どっちも同じ強さになっている。これはバイオリンの古くなると音がさえるのと同じで、ヒノキはきられてからニ、三百年、増すからである。だから、自然がつくったものは、木のように原始的であっても、コンピューターでは解明できない所もあるのだ。
このようなことは人工と天然で分けることが多い。人工と天然に分けてみると、みんなもたくさんの例が浮かんでくるであろう。ぼくは、この前じゅく長にもらったアイボ(aibo)が浮かんでくるのだ。アイボとは犬型のロボットである。実はぼくは、ロボットが大好きだから、じゅく長にもらったのである。ためしに家に帰ってやってみると、やはりロボットなのでいうことも聞くし、えさもいらないのでロボット好きにはたまらないだろう(犬好きも)。しかし、まるでハンバーガーにサラダがはさんでいないかのように何か物足りない。その時、ふとじゅく長の言葉を思い出した。
「やっぱり犬というのはいうことも聞かないときもあるからロボットより楽しい。」
そういうことなのか。つまり、人工のものは天然のものと完ぺきにしようとすれば、今の科学では無理なのだ。
 もっと考えてみると家にも違いがある。コンクリートの家と木の家がそうである。ぼくは木の家の方が好きだ。なぜかというと、何かしらないけれど、寒いときは暖かい風、暑いときはすずしい風がふくし、おちつくからだ。コンクリートの家だと、なんだかきゅうくつな感じがするし、暑いのと寒いのは激しすぎるのだ。みんなもこんな理由で木の家のほうがいいという。しかし、あまりにも新しい技術を発達させようとして、「灯台下暗し」のように分からない人もいる。この人たちにも新しい物質よりも原始的なものがいいということを教えたい。
 人間にとって人工と天然とは、いくらすごい技術が発達させても天然にまったく同じにすることはできないものだ。人間にとっては新しい物質よりも木のように原始的なもののほうが落ち着くからいいとぼくは思う。そう思いながらぼくは木のはかに原始的なものはないかと探している。

   講評   hamati

 がんばりましたね。進級テストもがんばりましょう。

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