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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   読書   おむふ

 本の歴史とははるかなる上古にまでさかのぼる。だが、製本技術が発達しはじめる時代とは比較的現代に近い時代である。製本技術がまだ発達していなかった時、本は王侯貴族、僧侶の占有物であったそうだ。ヨーロッパの古の図書館においては本に鎖をつけて保管するようなこともあったという。しかし歴史とは変わりゆくものだ。イギリスのジョン・ニューベリーという人物はある時子供の本の出版を取り組んだのだ。十八世紀のなかごろ、ロンドンのセント・ポール寺院の境内にて本屋を営んでいたそうだ。とはいえどもこうして考えてみると人々が本を楽しむようになった歴史とはそれほど長大なものでもない。わずか二百五十年ほどである。本が人々に流布することのなかった時代にも偉人、賢者は多くいたのだ。人々は書物を知らずとも浄福なる文化をなしてきた。しかし現代では「子供の読書活動の推進に関する法律」といったものが施行されるなど本を読むことは社会的な活動にまでなっている。だが真に本を読むことは必要なのだろうか。娯楽の一環という意見も挙げられるが今日ではテレビや漫画といったもののほうが娯楽として人気を博している。では読書の意義とはいかなるものなのか。 これは私自身が考えたこの問いに対する答えではないのだが共感できるものなのでここに述べておく。本とはなにかを伝えるがためにあるのかもしれぬ。己の信念、強健なる心意気、ほんわりとした思い。そうしたものを鮮烈に伝えることができるものこそ本であろう。書き手から読み手へとなにかを伝える。それこそ本のある意義である。もちろんテレビや漫画でもなにかを伝えられるだろう。だが本にはこれらにはない一面がある。それは自由感である。テレビ、漫画はもとから視覚的な刺激(映像など)を与えてしまっている。つまり常になにかを与えられるという受身の状態である。だが、本は想像を掻き立てる。自ら文字の意味することを想像することにより積極的に本の内容を感じようとする。これぞ本の真の豊麗な味彩だろう。そして想像により伝承をなしてゆく。まさに読書の奥義だ。故に我らは本を読まねばなるまい。読み手と書き手のこの伝承という形でのつながりはしいては宇宙のつながりにもなりゆくはずだ。そうとも、私は読書にいそしむという意味での賢者となりたい。しかしそうした生き方をしてゆくにはどうしたらいいのだろうか。これからそれを考えてゆく。
 一つの意見として自分にはなにが必要であるかをしっかりと判断してゆくということが挙げられる。 南アフリカ連邦の南方での話しだ。いつしか失われてしまった古代のこと。この国のある部族は「伝える」という行為を口承という形で行っていた。氏族の誉れ、規範や習慣そうしたものを大人が子供たちを集めて語っていたそうだ。つまり本の役割を語りが果たしているということだ。しかしそうした語りの習慣は破局しつつあるそうだ。テレビが部族の家庭に普及することにより、子供たちはいつしか語りに興味を示さなくなり、テレビに熱中するようになってしまったのだ。しかしよくよく考えてみるとこれは単なる読書離れではすまされない問題をはらんでいる。子供らの生きてゆくための知恵や知識といったものは大人からの語りによって組み成されていた。大人の様々な配慮によって年齢、状況に応じて適切に子供たちにはものごとが伝えられていたのだ。しかしテレビにそうした配慮はない。テレビは必要としていない情報も当然のこととして放映されている。つまりあるべき知識や知恵を取り入れることができないのだ。本の便利さとは語りに似た一面を持っている。いつでも好きな時、場所で必要な情報だけを取り入れることができる。自分の判断の及ぶ領域での情報収入源というわけだ。がむしゃらになんの判断もなしに本を読んでいてはテレビとなんら変わらない。自分になにが必要であるかを適宜に判断することによりはじめて読書に血が通い意味のあるものとなるのだ。この読書法とは同時に私を含めた“人々”に読書を「推進」させることとなる。自分が必要とするものはどこにあるのか。そうすればおのずと本にたどりつき伝承の中で必要な知識がとりいれられていくはずだ。
 しかし読書が我々にもたらすものは現実の事象には劣るかもしれない。「事実は小説より奇なり」という言葉もある。テレビ、漫画、スポーツそうしたものから得る喚起は実に多彩であり偉大でもある。それは直に感じるものであるからかもしれぬ。だが読書をその中に織り交ぜてみてはどうだろうか。読書で得たものはスポーツ、音楽、テレビの楽しみをより一層豊かにしてくれるはずだ。行動の中で人の思いを書物で感じてゆく。それこそあるべき生き方なのではなかろうか。

   講評   koni


【複数の方法】 第二段落の1文目に方法を明確に挙げることができました。

【体験実例】 第一段落で本の歴史を説明したところがよいですね。自由感を味わうことが読書の醍醐味だという結論を導き出したところもいいね。この第一段落で1つの話が完結していて、そのための方法に話が展開していったのね。読みやすい構成です。
 日本では、幼児期の読書は読み聞かせというやり方で世界にほこれるほど浸透しているけど、中学生くらいから本離れが進んでいるようだね。中学生になっても語り(例えば興味のある人の講演を聞くなど)と読書を平行して行うといいのかもしれないね。

【ユーモア表現・名言の引用】 よくできています。

【生き方の主題・反対意見への理解】 まとめもよくできています。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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