対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
志望校別の対応ができる受験作文。作文の専科教育で40年の実績。

昨日2346 今日816 合計50726
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   私たちの生活   かりる

 地球上にはまだ浪費文明に侵されず昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつもある。私はそういう土地に行き、その生き方になじむことで、自分の生きている日本の大都会の生がいかに反自然な人工的なものかを知った。と同時に彼らのその生のほうがいかに人間らしく、自然と調和しているかを味わった。そこで何より思い知らされたのは、人間は生きていくうえで何とわずかなもので足りるということだった。我々が生活の必需品もごとく思いなしている様々な文明の利器などなくても人間は生きていけるのである。その結果わたしはクルマの所有と維持を止め、テレビを見ず、クーラーのない、無論携帯電話だのワープロだのと無縁な、物質文明社会の中であたうかぎりその恩恵を拒否するひねくれ者の暮らしを営むに至ったが、それで満足しているのである。
 確かに便利で快適な生活は良い。ふだん私たちが使っている機戒は、我々の暮らしにすでに浸透しているが、アフリカやメキシコから見ればとても便利である。移動をするにはクルマや電車やバスなど移動がとても簡単になる。スイッチひとつで、温度調整ができたり、スイッチ一つで自分見たいテレビ番組が見れる。このことによって社会は成り立っているし、逆にこのようなものがなければ今の社会は成り立っていない。しかし今の文明は少し行きすぎた部分もある。例えば、自動ドアである。こんなものは自分で開けられるのに、なぜここまで発展させたのか?アフリカに住民が見たら疑問に思うだろう。
 しかし機械化されていないシンプルな生活もよい。先ほども述べたが、本当に重要なものしか周りにはいらないと思う。いま私たちが利用している携帯電話もその一つである。現在の携帯電話はワンセグなどとても高機能なものが備わっているが、そのようなものは必要ないと思う。なぜならそれはテレビというものがすでに存在しているからだ。同じ機能を持つものは一つでよいのだ。そう考えていくと周りにあるものは次々に必要ないと感じられるだろう。昔の人々のしていた生活などは本当にシンプルだ。昔の人みたいな暮らしをしろと言っているわけではないが、今の社会は一部は発展しすぎていると改めて感じた。
 確かに機械化された暮らしとシンプルな暮らしは、両方我々にとって欠かせないものとなっているが、「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある。」というようにという名言があるように、我々は自分に合った生活を取り入れていき、常にどちらが大事なのか考えるべきである。

   講評   kanera


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)