書いた人は森川林 on 5月 11, 1997 at 22:02:19:
今の子供たちをみていると(親もそうですが)、どの学校に入るかというところまでは非常に細かいところまで偏差値をもとにして考えているのですが、その先のどういう仕事を将来したいかということについては何も考えていないようです。
父親は自分の会社のことしか知らず、母親は近所のことしか知らず、子供は塾や予備校から出される偏差値情報しか知らず、三者三様に非常に視野の狭いところで学校選びに明け暮れているような気がしてなりません。
だから、目指す大学に入ったとたんに目標を失い、そのままだらだらと四年間をすごし、就職するときに「自分はいったい何をしたいのか」ということに悩むというケースがかなりあるのだと思います。
将来の職業にしても、きわめて安易に、「学校の先生になりたい」とか「英語が得意だから通訳にでも」とか「安定した銀行にでも勤めたい」とか「収入が多いから医者に」とか、現実の社会の動きとはかけ離れた夢のようなことを考えていることが多いようです。親も自信がないのか、そのへんは、子供と話し合いを十分せずに、なにしろいい学校に入れば、あとは本人が自分の希望で好きな仕事につくだろう……と逃げているところがかなりあります。
進路ということでいちばん大切なのは、やはりどういう仕事に就くかということです。その途中のどういう大学に入るか、どういう高校に入るかということは、あくまでも途中の過程です。大きな戦略面を考えず、細かい戦術にばかり血眼になるというのは、今の日本の文化状況を典型的に表わしています。
子供たちの教育を考える場合、私たちは、社会がこれからどういう方向で進み、人がその中でどのように生きていくべきか、という大きなところを考えていく必要があります。もちろん、未来は予測しきれるものではありません。しかし、それはやはり、子供たちよりも人生経験の長い、私たち大人が責任をもって考えていく分野だと思います。
そこで、私の、ちょっと独断的な職業観ですが。
まず第一に、社会の矛盾に後ろ向きに立脚した職業には、今後の展望はないということです。例えば、医者、教師、弁護士、福祉関係、警察、公務員、軍隊など。これらは、こういう仕事に従事する人が少なくてすめばすむほど、健全な社会だという意味で、すべて後ろ向きの仕事です。医者や弁護士や警察や税務署のない社会がどんなに理想的な社会かは、想像すればすぐにわかるでしょう。
しかし、こういう仕事は、世間一般の通念からすると「堅くて安全な仕事」だと思われています。それは、社会の矛盾がなかなか改善されないという点で「堅くて安全」なのです。よほど使命感に燃えた人でないかぎり、これらの職業に就いて生きがいや充実感を感じることは少ないと思います。
第二に、外見や若さや体力に主に依拠した仕事には限界があるということです。これは、言うまでもないことだと思います。
第三に、これからの安定した社会では、どのような分野であっても、その分野の第一人者になれば職業として成り立つ可能性があるということです。
第四に、それではどういう仕事がいいかというと、どの分野でもいいから、社長になることがいちばんいいと思います。芸術や研究を専門にしている人の場合は、その分野の第一人者と言ってもいいでしょう。
人間は結局主体的に生きられるときがいちばん成長するし、いちばん幸福です。真に主体的に生きるためには、ナンバーワンでなければなりません。どんな分野でもいいから一番をめざすことによってこそ、この世の中に生きてきた意味があると思います。
中でも、経営は、今の社会では、人間の最もトータルな能力が必要とされる分野です。このあとの社会では、経営よりもむしろ政治の分野の方が可能性が大きくなると思いますが、今のところは、経営の分野が人間の成長にいちばん役立つように思います。
そして、第五に、たとえ野垂れ死にしようとも、自分のしたいことをして、世の中に何か新しいことを付け加えて生きていくことが人間にとって価値のある生き方だということです。そのためには、親は子供に「安全で苦労の少ない人生を歩め」というのではなく、「失敗してもいいから創造的な人生を歩め」というべきだと思います。