毎月の森リン大賞
森リンの丘
毎月10日以降に、前月の森リン大賞の代表作品を選定します。
順位は、思考・知識・表現・経験の点の平均点で表示していますが、総合点は、この平均点に均衡点を加えた点数になっています。
小1の代表作品 2025年11月分
AI森リンベスト10
自然がいっぱいの遠足
小1 かほ(akaoho)
2025年11月4日
先週の木曜日に万博記念公園に、担任の先生と1年生のみんなで遠足に行きました。
まず最初にソラードに行きました。ソラードとは、空に近いからソラードという名前です。ソラードでまずぐらぐらの橋を渡って、展望台って言うところに行きました。上に着いたとき、高いなと思いました。そしたら友達が、
「景色がいいね。」
と言いました。そしたら私も、
「うん、そうだね。空気がいいね。」
次に秋見つけをしました。秋見つけでどんぐりを三十個以上拾いました。どんぐりを拾う前は、ちゃんと拾えるか心配だったけど、どんぐりが溜まってきて少しずつドキドキがなくなってきました。どんぐりの一つは、細長かったです。他は、全部丸かったです。どんぐりが落ちているところとないところがあります。斉藤先生はまるでどんぐり見つけの名人です。斉藤先生についていくとたくさん落ち葉とかどんぐりがあって、私はすごいなと思いました。
集めたどんぐりは、学校に置いて帰って、次の1時間目と2時間目の図工の時間に使いました。何を作ったかと言うと、名前はどんぐりの森です。どうしてかと言うと、どんぐりをたくさんのせたからです。もしどんぐりがなかったら別の名前でした。どうしてかと言うと、斉藤先生についていかなかったら、どんぐりが拾えなかったかもしれないからです。
私はまたもう一回遠足に行って、今回よりたくさん拾いたいと思いました。
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小2の代表作品
AI森リンベスト10
こうじょうけんがく
小2 どきんちゃん(akayuri)
2025年11月4日
私は、校外学習でエフピコという工場の仕組みを知りました。何を知ったかというと。 百万箇所のスーパーでリサイクルボックスを置いて、百億枚のトレーを作っているようです。エフピコはトレーを作っている中で、日本一大きな会社だそうです。発泡トレイのいいところは衛生的、軽い鮮度を保つ水に強い、熱を伝えにくい、強くて丈夫クッション性が高いのと、リサイクルできることです。透明容器は白のついたトレイと白のトレイ全部で分けるので、リサイクルをしないと材料が違うので、それを気をつけなくてはなりません。お豆腐容器納豆容器は爪楊枝がさせないのでリサイクルできないのでいけません。お湯を使うのも一緒です。色のついたトレイは黒のペレットは車止めやハンガーに使われているそうです。昔の時代では、トレイの代わりに新聞紙を使って魚や肉などに使われていたそうです。もし燃やしたら、ますます地球温暖化につながってしまうので、絶対燃やすのはいけません。だけど、ゴミばこへリサイクルするのはいいそうです。次はトレイ工場の二番目に大きい工場に行きたいです。
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小3の代表作品
AI森リンベスト10
近くでの買い物(清書)
小3 こうき(aekou)
2025年11月4日
「食パン買うの六枚切りじゃなくて、五枚切りを買っちゃった。」
と、僕が残念そうにお母さんに言いました。だけど、六枚切りの方が、五枚切りよりも賞味期限が長かったから、結果的には良かったんじゃないかなと思いました。
その日は食パンを買った他に、もう一回ファミリーマートに行きました。二回目は牛乳を買いに行きました。一人で買い物をするのは、学校の購買部で買うくらいなので、歩いて二分だけど、ファミリーマートに行くのもまだ少しドキドキします。まるで冒険に行くみたいな気分になります。緑、青、白の組み合わせのお店のマークはなんだろうと思いながら、お店に入りました。お店の人が、
「いらっしゃいませ。」
と、僕をみながら商品を並べていました。僕は、牛乳をレジまで持って行って買った後、そのまま手に持って帰ってきました。マンションに帰ると、お母さんが、
「バックに買い物袋も入れておいたのに、使わなかったの。」
と、驚いていました。次に買い物に行く時は、買い物バックを使おうと心の中で思いました。買い物の時に気になったファミリーマートのマークについて調べてみると、「楽しさ」「新鮮さ」、「信頼」、「安心」を表しているそうです。また、お客さんとの太い絆を表現していると書いてありました。
次は一人で本屋さんにも行ってみたいなと思いました。どうしてかというと、僕は最近サバイバルという漫画が大好きで、サバイバルの本を集めたいからです。でも、まずは、ファミリーマートでしっとりして美味しいメロンパンを買いに行きたいなと思いました。
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小4の代表作品
AI森リンベスト10
国によって違う違うバス
小4 なな(akasona)
2025年11月4日
「バスに乗るのは久しぶりだな。」
と私は大きな窓の外をじっくりとながめました。私の日常の移動手段はほとんど車で、電車やバスに乗ることはほぼありません。家族で出かけるときも買い物に行くときも学校に行くときも、車で移動します。アメリカでは車での移動がとても便利なので、自然と毎日のように車を使う生活になってしまいます。そのため、公共交通機関に乗る機会はどうしても少なくなってしまいます。だからこそ、たまにバスや電車に乗る日はいつもと違う空気を感じて少し新鮮です。学校の遠足など特別なイベントのときは、友達と一緒に電車などに乗ってワイワイ話すのが楽しいです。そして、大きな窓からは見慣れない景色が見えるので、普段とは違う特別感とわくわく感があります。アメリカの公共交通機関に慣れていない私にとって、その体験はまるで小さな冒険のような感じです。
ある日私がアメリカのバスに乗ったとき、少しショックな出来事がありました。バスに乗り込んだ瞬間目に飛び込んできたのは、足元に紙くずや袋が散らばっていて、座席の下にもお菓子の包み紙が落ちている光景でした。それはまるでゴミ箱をひっくり返したような光景で思わず目を閉じたくなるほど衝撃的でした。みんなが使うバスなのにどうしてこんなに汚れてしまうんだろうと悲しい気持ちと不快な気持ちが同時に胸に広がりました。窓の外を見ると明るく澄んでいてきれいなのに、バスの中だけが少し暗く重たい雰囲気に感じられました。そして、日本でバスに乗ったときのことを思い出すとその違いにがく然としました。日本のバスはアメリカのバスとは真逆で床にはゴミひとつ落ちておらず座席もとてもきれいで、乗った瞬間にリラックスできるほど清潔に保たれていました。手すりや窓もぴかぴかで、どこに触れても安心できるような雰囲気があります。乗った瞬間から気持ちがふっと軽くなるような空間で、こんな場所で移動できたら毎日がもっと気持ちよくなるのにと思いました。多分他のアメリカ人も日本のバスに乗ったら同じように感じると思います。
私はお母さんにもバスの中の雰囲気について聞いてみました。日本のバスはきれいに掃除されていて落ち着くし、混んでいてもみな奥につめてくれるのでゆとりの空間ができて気分よく乗れるそうです。香港のバスはたまにゴミが落ちているけど基本的には清潔なので、まあまあ快適だったようです。2階建てバスなので2階へ行くと前に大きな窓があって明るいし、高いところから良い景色も見れるのでとても楽しかったそうです。ただ、運転手さんがかなりスピードを出して運転するので、飛ばすバスは少し怖かったようです。アメリカのバスはゴミもたくさん落ちているし、よくホームレスの方が大きな荷物と一緒にすわっていて、申し訳ないけど近くへ行くと汚臭がするのであまり乗りたくないそうです。私はそれを聞いて、国が違うとバスの中の状況が全く違ってしまうのだと痛感しました。
私の経験とお母さんの経験を合わせて考えると、バスの中が清潔であることは、本当に大切だと感じました。車内が整っていれば初めて乗る人でも安心できるし、気持ちも落ち着きます。逆にゴミが散らかっていると、ただ乗っているだけでも不安になったり、嫌な気持ちになったりします。公共交通機関はみんなで使う場所だからこそ、一人ひとりが少し気をつけるだけで全体の雰囲気が大きく変わります。みんなが少しずつ気をつければ、車内はもっと快適な空間になるはずです。私はこれから、公共交通機関を利用するときには必ず自分のゴミを持ち帰り、きれいな状態を守ろうと心の中で思いました。そしてここアメリカで、私はバスの目的地に到着した瞬間にす早くバスから離れようとしてい流ところです。
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小5の代表作品
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こだわりは通用しない
小5 あかね(akaneya)
2025年11月4日
これまでの人の観察や考えを利用するという必要から、読書はまず必要である。昆虫の生活が分からなくても、ファーブル昆虫記を読むことによって昆虫の生活はよりよくわかる。本を読むことには、別の利益もある。それは、いくらわれわれが苦労しても、自分自身では体験することのできない体験、それを教えられることである。ワシントンやナポレオンの地位にはたてなくても、ワシントンの伝記を読めば、誠実に世の中のために尽くそうとした人の喜びと悲しみが分かるし、ナポレオンの伝記を読めば、うぬぼれの過ぎた人間の得意さと悩みがよくわかる。私たちも、孔子の用に何か好きな書物を、とじ糸が三度も切れるほど愛読したいものである。
私には、孔子のようにとじ糸が三本も切れそうな愛読している本がある。題名は、「やらなくてもいい宿題」だ。本屋さんでふと目にとまってお父さんに買ってもらった。この本は、簡単にいうと、転校生のナイトウさんが隣の席の数人が得意な算数の問題で、ナイトウさんが出題した問題を正解したら一つ私のことを言ってあげると言い、その案にのった数人は、ナイトウさんはみためは普通なのに、頭は秀才でびっくりする。公式だけじゃ解けない罠に何度も引っかかってしまう。そして、ナイトウさんの問題を解いていくうちに、ナイトウさんの正体が分かってくる話だ。私は、四年生のときに転校生が来た。最初はただの普通の女の子かなと思っていたが、ノートを見せてもらったとき、とても字が綺麗でびっくりしたことがある。この本を読んで私は、人は見た目だけで判断してはいけないなと思った。
私はお母さんに中学生のときに好きだった本を聞いてみた。お母さんは中学生のころ、星新一さんの本にハマっていたそうだ。星新一さんは、読書が好きな友達に教えてもらったらしく、その子のおかげでお母さんは本の魅力に引き寄せられ、その友達とは、今も仲良しで、よく二人でランチに行っている。なぜそんなに星新一さんの本が好きなのか理由を聞いてみると、ショートショートで話が短くて読みやすく、さらに主人公の名前がN氏やR氏、S氏などでかっこいいからだそうだ。私はお母さんの話を聞いて、私も星新一さんの本を試しに読んでみた。お母さんが言った通り、名前が英語で私もかっこいいなと思った。一つ一つの話は短いけれど、一つ一つの話から星さんの伝えたい気持ちが伝わってきて、もっと読んでみたいなと思った。
百聞は一見にしかずということわざがあるように、本を読んでみなければ面白いかどうかは分からないということが分かった。丁度この間、学校の図書室に行った。本だなの隅っこにまだ一人も読んだことがない本があった。文字がたくさんあり、難しそうだったからその本は借りずに、私は教室に帰った。だが私はこの長文を読み、今度その本を借りようと思った。本も見た目ではこだわらず、一度読んでみようと思った。
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小6の代表作品
AI森リンベスト10
慎重居士
小6 よしたか(yositaka)
2025年11月4日
私たちの生活は、便利さを追い求め続けることで格段に向上してきた。しかし、その裏で自然環境は静かに、しかし確実に失われつつある。人間は自然の恵みから多くを受け取っているにもかかわらず、時としてその存在を疎ましく扱い、自らの利益を優先してしまう。自然とともに暮らしているという事実を忘れ、無意識のうちに自然を傷つけていることに、私自身は強い危機感を覚えている。
私がインドネシアを訪れたとき、その思いはより鮮明になった。車で移動中、窓の外に広がる光景に息をのんだ。かつて森であったであろう一帯は、無造作に伐採され、茶色い土がむき出しになっていた。まるで自然の息遣いを奪われたかのように、残されているのはか細い雑草が数本揺れているだけの、広大なのに空虚な空き地であった。その光景は、自然が人の都合で容赦なく姿を変えさせられているという現実を突きつけ、胸に深く刺さった。緑が失われた土地は、どれほどの時間をかければ再び生命力を取り戻せるのだろうか。人間の行為が一度自然を壊してしまうと、それを元に戻すには計り知れないほどの努力と時間が必要になるのだと痛感した。
自然を軽視した結果が、災害として跳ね返ってくることもある。母が高校生だった頃、豪雨が続いたある夏の日、家の前の山で起きた出来事はその典型例である。山の上には伐採された木が大量に積み上げられていた。連日の雨で地盤が緩み、ついに土砂崩れが発生し、濁流とともに丸太が音を立てて住宅地へ押し寄せてきたという。水に乗った丸太は想像を超える速さで流れ込み、その迫力に誰もが恐怖を感じたそうだ。しかし、本当に大変だったのは水が引いた後である。濡れて重くなった丸太を撤去する作業は人力ではどうにもならず、自然の力がいかに強大で、人間の制御を簡単に超えてしまう存在であるかを思い知らされたと母は語っていた。自然への配慮を欠く行為は、巡り巡って人間自身に被害をもたらすのだ。
一方で、環境によいとされる取り組みが、別の形で自然破壊を生み出してしまう場合もある。たとえば近年普及している太陽光発電は、再生可能エネルギーとして注目されているが、そのパネルを設置するために広大な森林が伐採されている現状がある。環境を守るための方法が、結果として別の自然破壊を招いているという矛盾は、まさに本末転倒である。本当に人間は自然と向き合う覚悟を持っているのか、改めて問われているように感じる。
人間にとって自然とは、単なる背景や資源にとどまるものではない。空気や水の循環、季節の変化がもたらす豊かさ、そして生命の連なりといった、私たちが生きるうえで欠かせない存在である。自然は人間が利用するためだけにあるわけではなく、長い時間をかけて築かれてきた世界そのものなのだ。人間はその中の一部にすぎず、自然に対して謙虚であるべきである。私たちが自然を傷つけ続ければ、最終的に困難に直面するのは私たち自身であることを忘れてはならない。だからこそ、自然と人間が調和しながら生きていく未来を目指し、共存共栄の精神を胸に、慎重居士のように一つ一つの選択を丁寧に考えていく必要がある。自然を大切にする姿勢こそが、人間の未来を守る唯一の道であると強く感じている。
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中1の代表作品
AI森リンベスト10
「ああすれば、こうなる」感想文(清書)
中1 あさくに(asakuni)
2025年11月4日
なんと神秘的なのでしょう、「ああすれば、こうなる」の作文は。全体的な内容としては現在の社会では「ああすれば、こうする」のシステムが馴染み、人々の血となり肉となりすぎているというものだ。長文で紹介された例は、保護者がわが子の幼稚園、小学校、中学校、高校、そしてどの大学のどの学部に入るかをすべて前々から予定し、子供自身が考え、決断する前に人生の「レール」を敷くというものだ。このような現象が最近見られるので名誉、富、力、そして知識もない子供たちに唯一ある「真の未来」を奪っている現状に陥ってるそうだ。作文の後半では物語、「モモ」の内容と紐づけて、自然には「ああしたらこうなる」の現象がないと指摘した。人間にはいつ病気にかかり、いつ命立つ日が来るとは初期設定されていない。けれども、人間社会内で、最近は「ああすれば、こうなる」の思想がジワジワと広がっているのだそう。
私は、未来のために生きるのではなく、今この瞬間を大切に生きることが大切だと思う。なぜかというと今を生きることで、未知の才能を発見したり、貴重な経験を積んだりできるからである。もし将来のことばかりを重視して、いつも家にこもりっぱなしで受験勉強をしていたら、友達との「友情」を犠牲にしている可能性もある。私も実はこのような事例の経験者の一人だ。二年前の夏、日本に一時帰国し、幼稚園の時の友達と会おうとしたが、その方は受験勉強の真っただ中で私との再会はかなわなかった。悲しいことに、それ以来私は友人に会うことはできず、最近では「会いに行こう」という意思も薄れてきたと思う。これはまさに「未来のことを重要視し、友との友情を危険にさらした」例の一つだろう。ちなみに、友人は第一志望の中学に通ったそうだが、私に「会いたい」という言葉はまだ喉を通っていない。このような状況はスポーツなどをはじめとする、言わば「習い事」もそうなのではないか。貴重な放課後の自由時間を投資し、スポーツなどをして「今」の若くて柔軟な体を満喫しているのではないか。この現象は野球でいう犠牲フライに似ていると思う。打者は自分の時間をフルスイングで飛ばし、ワンアウトをとられながらも、チームの勝利につながる貴重な一点をとることができる。そしてその習い事を通じて新たな才能が開花または発見されるかもしれない。
二つ目の理由としてあげたいのが今の時間を大切にすべきということだ。「今」というのも人それぞれだが、未来の自分よりも現在の自分の方が若く、比較的すべての肉体的能力がより正常に動いていることが共通点だ。例えばこれを「子供」で考えてみてはどうだ。ほとんどの子供はまだ未熟で大人に比べ責任感が少なく、自由気ままだ。他にも、家族と一番過ごせる期間だろう。このような時期にひたすら他者との関係を遮断し、勉強漬けの毎日を過ごしていたら、得られるはずのものを意図的に放棄しているかのようで目の当たりにすると切なくなる。さらに驚くべきなのが、栄光ゼミナール公式サイトによると中学受験時の生徒の勉強時間が平日に約4時間、週末に約9時間も勉強しているというのだ。平日の勉強時間で考えてみますと、放課後の3から5時間を勉強に費やし、8から10時ぐらいに勉強が終了してから家に帰り始める計算となります。これほどの時間勉強していたら、結果もついてきて成果もあるが、子供時代の20年をこのように使いたいだろうか。余談だが、年齢9歳ぐらいが20年の子供期間で一番楽しいという諸説がある。このような時期でも受験勉強を始めている生徒もいると考えると、「なんと絶好のチャンスを捨てているのか」と思い悲しくなる。
自分のポテンシャルの自覚、未知の経験を積む、そして今の自分を楽しむという要素があるからこそ私は今この瞬間を大切に生きるのが大切だと思う。アメリカの作家、デール・カーネギーは過去にこういう言葉を残した。「人生とは今日一日一日のことである」と。これは私のあげた二つ目の理由と似ていて、「今の時間を楽しむため、生きるために人生はある」と個人的に解釈した。確かに未来のために生きることも大切だ。未来の自分に近づくために計画的に進歩できるという利点がある。だが、それは今日を生き、自分のポテンシャルや才能を自覚し、理解したことで起きる第二段階であるのではないか。今を生きながら未来に目を配るのは良いが、最初から未来のことばかりを考え「今」に目を向けなかったらただの妄想に過ぎないのであろう。たくさんのルートのある人生、あなたはどう生きていきたいですか。
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中2の代表作品
AI森リンベスト10
心を動かす「言葉」
中2 あかるら(akarura)
2025年11月4日
言葉には潤滑油としての役目があり、生かしていくことが大切だ。この言葉の力を利用することによって自分だけでなく相手の心が開き、興味を示す糸口を作ることができるからだ。二年生の新学期に、最初の学年レクを担当する機会があった。私の網引きの提案が通り、皆が楽しめるよう賞状作りや対戦チーム決めを工夫し、学年全員の前で発表した。しかし生徒一人一人の反応はそれぞれだった。経験したことのない綱引きができることに喜ぶ生徒が多く安心したものの、中には「手が痛そう」、「やったことがない」と不安を感じる人もいた。全員が楽しめ印象に残るレクになるか心配する中、ある男子の「掛け声から考えていこう。」という綱引きを楽しもうとする前向きな一言が少し不安に思っていた友人たちの気持ちを一気に上回り、作戦会議が活発化した。たったの一言が一体感を生み出す潤滑油として働き、新しいアイディアが溢れ盛り上がる姿に言葉の持つ威力を感じたとともに、その一言を発してくれた彼に感謝したことを覚えている。同じ一言でも、もしもそれが「別に何でもいいけど」という冷たい言葉だったとしたら、全体の心が固まり、誰もが楽しむことができなかったと私は考える。潤滑油としての言葉によって私達はより多くの人と繋がることができるのだ。
一方、中身がないことも困る。「内容を伝える」という言葉のもう一つの役割を使わなければ思いが届くことなく意味がない。昔話「ごんぎつね」でも同じである。兵十のうなぎを取った償いに毎日のように食べ物を届けるきつねのごんだが、ついには火縄銃で打たれ、死んでしまう。それは、ごんの行動には兵十が理解することができる言葉が伴っていなかったからだと私は考える。人間同士でも思いや動きだけでは相手に的確に伝わらないケースがある。私の学校に多い帰国子女の中には海外滞在歴が長いため、日本語が不自由な生徒も多い。英語のクラスでは意見を出し合い積極的な様子だが、日本語でのグループ活動では身振り手振り話していても簡単に考えが伝わらないこともあり、苦労している様子をよく目にする。自分の率直な気持ちを、数多くの単語を組み合わせ短く、誰にでも分かる形で示すことができるのが発達した言葉の大きな力と言えるだろう。
このように、言葉には潤滑油としての働きと内容を伝達する働きの両方がある。しかし最も大切なことは、人間が言葉の役割を理解することである。重松清の「千羽鶴」という本に「言葉はバンソウコウだ」、「言葉はナイフだ」という一節がある。どのような言葉を発するかによって相手の人生が良い方にも悪い方にも変わってしまう。言葉は一言で深く傷づけることもあれば、一生の救いとなることもある。言葉の力は絶大であり、だからこそ使い方が大切なのだ。自分がよりよく生きていくためにも言葉の力を理解し、相手を思い円滑なコミュニケーションを取っていきたい。
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中3の代表作品
AI森リンベスト10
デジタルとかアナログじゃなくて
中3 みさと(aetami)
2025年11月4日
時計を選ぶときにはいろいろな選択肢があるが、文字盤がアナログかデジタルかで選ぶというのもある。1980年頃にはデジタルがアナログを上回り、今度はその反動で1990年にはデジタルの比率は2割にまで落ち込んだ。今は国内の3割程度がデジタル時計だろう。
デジタルは「断片的情報」であり、より正確な情報をドライかつ明確に表示できる。アナログは「情緒的情報」というように、全体の傾向や位置づけを表すことが得意。それぞれ良いところもあれば、欠けている部分もある。では、時計として見ると、アナログ時計は瞬時におおまかな時刻を読み取ることや、残り時間を算出しやすく、デジタル時計は正確な時刻を表示できる。近年、文字盤にストップウォッチやタイマーなど別時計を表示する、多機能のデジタルの頭脳をもったアナログ時計もできてきている。人間の脳にも右脳と左脳があるように、時計のデジタルとアナログも共存共栄で発展していく事だろう。
私は、アナログとデジタルの両方をいアナログとデジタルの両方を活かせるような人間になりたい。
そのためには、まず第一の方法として、デジタル的な見方ができるようにしておくことだ。私は学校にて、課題やスピーチ、演説をする機会に多く恵まれてきた。まだそういう機会に慣れていなかった小学生低学年の頃、誰にもらったのか、何を読んだのかは覚えていないが、今でも覚えているアドバイスを受けた。それは「数字をいれると説得力が増す」というものだった。明確な数字をデータとして示すことで、相手はその情報を、より現実的なものとして受け入れられ、言い方を選ばず言うと反論がしにくくなる、ということらしい。
第二の方法はもちろん、アナログ的な発想もできるようにしておくことだ。
先ほどの例に続くことになるが、私は小学生高学年の頃、数値に加えてグラフや図を加える分かりやすさも学んだ。正確な数値を、正確に・分かりやすくグラフにあらわすことで、視覚的な面からも視聴者を納得させることができる。デジタル的な方法だけでは、たしかに具体的な数値が見えて分かりやすいが、前後との関連や全体での位置づけなどを理解するのは困難である。実際、私は中学3年生であるため、模試や資格を取る試験(英検など)を受ける機会も多いのだが、その時に帰ってくる結果は、前回の私の数値と比べてのグラフや、全体の中での点数の位置を表す棒グラフなどがたくさん書いてある。個人的にあの方法はとても分かりやすいと感じている。それを見ることで、目的をしっかり見据えることができるし、自分のダメだったところを単元ごとに見直すことだってできているのだ。
たしかに、デジタル的な見方も、アナログ的な見方も、それぞれ大事である。また、自分の得意なことだけを伸ばすことだって大切で大事なことである。だが、デジタル的な見方とアナログ的な見方の両方を磨いておけば、どんな場面でも役に立つこと間違いなしだろう。例えば、私が先ほど書いたように、プレゼンテーションを作成するとなった際に、様々なツールからより分かりやすいものを選んで活用することができる。だが、両方の見方を手に入れていなければ、見た目の綺麗さやよくあるグラフを真似た、凡人仕様が限界になってしまう。小学校の先生に言われた「人と同じとか、人より上とか、そういうんじゃなくて、自分が最高だと思うものを作れ」という言葉が印象に残っている。だから、デジタルとかアナログじゃなくて、これからも自分の感性を多方面から磨いて、たくさんの最高のものを作り上げていきたいと思う。
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高123の代表作品
AI森リンベスト10
自己満足は成長を止める
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年月日
教師として生徒を導く立場にあると、知らず知らずのうちに自己反省をおこたってしまい、その結果として人間としての成長が止まってしまう危険性がある。また、現代の僧侶においても事情は同じであり、安住した環境に身を置き続けることで、自らを見つめ直す力を失いがちであると言える。つまり、人を導く者であればこそ、常に自分の行いを振り返り、どのように生きるべきかを問い直す姿勢を持ち続けなければならないのである。なぜなら、自己を省みることなく安住してしまえば、成長の契機を自ら放棄することにつながるからである。
第一に、自己満足に陥らないことが重要である。というのも、人は自分の行動や成果に満足した瞬間に思考が停止し、次の段階へ進む意欲が薄れてしまうことが少なくないからである。確かに、努力の末に成果を得られたときの喜びは自然であり、その達成感が心を満たすのは当然である。しかし、そこで長く立ち止まってしまえば、次に向けた集中力を欠き、結果として成長の速度が鈍ってしまう。例えば、僕はサッカーの試合で練習してきたパスが連続して成功し、シュートが決まった瞬間、あまりの嬉しさに舞い上がってしまった。しかし、その余韻に浸っているうちに次のプレーへの集中が途切れ、逆転を許してしまった経験がある。この体験から、自己満足の危険性を痛感した。したがって、成果を喜ぶこと自体は大切であるものの、同時に「次はどうすべきか」を問い続ける姿勢を保ち、現状に甘んじない態度を貫くことこそ、人間の成長を持続させる鍵だといえる。
第二に、井の中の蛙にならないよう、積極的に外部と交流する仕組みを整える必要がある。というのも、限られた環境に閉じこもっていると、自分の視野が狭まっていることに気づかないまま、成長の機会を逃してしまうからである。確かに、身近な環境で培う経験は基礎力を磨くうえで欠かせない。しかし、外部の価値観や知識に触れなければ、新しい考え方や視点を吸収することは難しい。例えば、江戸末期の福澤諭吉は国内にとどまらず、オランダやアメリカの書物に触れ、外国の文化を学ぶことで広い視野を獲得し、日本の近代化に大きく貢献した。もし彼が閉ざされた環境に安住していたなら、学問を深めるだけで終わっていたかもしれない。このように、外部との交流は自分の固定観念を打ち破り、新しい可能性を見出すうえで不可欠である。現代においても、異分野の人々との意見交換や国際的なネットワークへの参加は、自分では想像できなかった発想を得る契機となる。したがって、井の中の蛙状態を避けるためにも、外部と関わり続ける仕組みを意識的につくり、自分に刺激を与え続ける姿勢が必要である。
確かに、自己満足を捨て、さらに外部との交流を継続することは簡単ではない。しかし、それでもなお「自己満足は一時の休息であり、挑戦こそが成長の証である」と考え、常に改善点を探し、異なる視点を受け入れようとする態度を持ち続けることが、人としての成長を支える。結局のところ、現状に甘んじず挑戦を続け、閉じた環境にとどまらず広い社会と積極的に関わる姿勢こそ、私たちに真の成長をもたらすのである。
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2014年09月の森リン大賞 |
(2014年7~8月は未集計) |
2014年06月の森リン大賞 |
2014年05月の森リン大賞 |
2014年04月の森リン大賞
2014年03月の森リン大賞 |
2014年02月の森リン大賞 |
2014年01月の森リン大賞 |
2013年12月の森リン大賞 |
2013年11月の森リン大賞
2013年10月の森リン大賞 |
2013年09月の森リン大賞 |
2013年08月の森リン大賞 |
2013年07月の森リン大賞 |
2013年06月の森リン大賞
2013年05月の森リン大賞 |
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2013年02月の森リン大賞 |
2013年01月の森リン大賞
2012年12月の森リン大賞 |
2012年11月の森リン大賞 |
2012年10月の森リン大賞 |
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2011年12月の森リン大賞 |
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2010年12月の森リン大賞
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2009年12月の森リン大賞 |
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2009年09月の森リン大賞
2006年9月~2009年8月までの森リン大賞
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