毎月の森リン大賞
森リンの丘
毎月10日以降に、前月の森リン大賞の代表作品を選定します。
順位は、思考・知識・表現・経験の点の平均点で表示していますが、総合点は、この平均点に均衡点を加えた点数になっています。
小1の代表作品 2026年1月分
AI森リンベスト10
ひっぱれがんばれたこ
小1 かほ(akaoho)
2026年1月4日
一月二日に、奈良のファミリー公園で、おじいちゃんとお母さんとお父さんと妹と私で凧をあげました。一番嬉しかったのは、お母さんに、
「凧を上げるのが上手だね。」
と言われたことです。私は言われてすごく嬉しいなと思いました。
おじいちゃんはまるで凧名人です。だからおじいちゃんに、
「どうやったら高くあげれるの。」
と聞くと、おじいちゃんが、
「凧を後ろに引っ張ると上にあがるよ。」
と教えてくれました。言う通りに凧を後ろに引っ張ると上にあがったので、嬉しくなりました。お父さんは子供の頃、冬になったら凧揚げをたくさんしていたそうです。お父さんに凧を貸してあげると、たくさん紐を使って高くあげていたのがとても上手かったです。他の人も凧をとても上にあげていたのが、上手かったです。
もし私が凧が上手くなかったら、木に引っかかって取れなくなってたかもしれません。どうしてかと言うと指示を出せないかもしれないからです。
凧をあげたのが初めてだったけど、お母さんやお父さんに褒められて心がきらきら光ってわくわくしました。その日は空は青くお日様に照らされて気持ちが良い日でした。私は、その日は凧揚げをするのにちょうど良かったので、来て良かったなと思いました。大人になったら、世界中のみんなに凧を教えて凧名人になりたいです。
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小2の代表作品
AI森リンベスト10
なわとび(清書)
小2 あけゆう(akeyuu)
2026年1月4日
なわとびをしました。なわとびは、最近よくしています。最近は、あやとび、こうさとびが出来るようになりました。だけど、あやとびは、三回くらいでこうさとびは、六回しかとべません。あやとびが出来た時やったーと心の中で思いました。あやとびで手に当たると、まるでかんたんにむちで当てているように痛かったです。
「いててててて、いたたたたた。」
と大きな声で言いました。なわとびのコツは、強くジャンプしないで小さくジャンプするといいです。どうしてかというと、強くジャンプすると力をいっぱい使ってしまうけど、小さくジャンプすると力を使わないし長く続けることが出来ます。学校の目ひょうは、前とびを五十回後とび二十回、かけ足とび二十回、あやとび二十回、こうさとび二十回、持久とび二分です。今出来ていないのは、あやとびとこうさとびと持久とびです。あやとびの時かんたんに足に引っかかるからしんどいなーと思いました。
「こうさとびは、こうさってやるよ。」
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小3の代表作品
AI森リンベスト10
ものを腐らせる細菌
小3 あけいと(akeito)
2026年1月4日
このお話を読んで一番面白いと思ったのは果物をお皿の上に載せたまま長い間放っておくと腐ってしまうのに、グレープジュースはワインに変わることです。グレープジュースも元はブドウを搾ったもののはずなので、腐ったブドウも搾ってみたらワインになるか疑問に思いました。
「腐敗と発酵は紙一重だね。」
母は感心したように頷きました。母によると、発酵食品の納豆はその特徴が腐敗した食べ物に似ているそうです。納豆には臭いにおいと糸を引くという特徴がありますが、食べ物も腐敗すると異臭を放ち、糸を引くそうです。納豆は大昔に煮た豆を温かいまま藁に入れて持ち歩いた人が、たまたま数日間放置してしまったことで発酵が起こり、食品になったと言われていますが、もしも自分が食べ物をお弁当箱に数日間放置してしまい、その食べ物の匂いも見た目も変わっていたとしたら、迷わず捨てると思います。だから、最初に納豆を見つけて食べた人はチャレンジャーだなぁと思いました。
僕は2学期に国語の授業で、姿を変える大豆のことを学びました。その授業では、姿を変える〇〇をテーマに、調べ学習をし、僕は姿を変える小麦粉について調べました。小麦は水を加えてこねるとパンになり、卵と水で天ぷらの衣になります。次々に姿を変える小麦粉はまるで忍者のようだと思いました。姿を変えた小麦粉は細菌と関係ない食べ物もたくさんありますが、一つの食材に様々な組み合わせを考えて色々な食品を作り出している人間って本当にすごいなと思いました。
「敬斗は色々な発酵食品を食べてるよね。その食品が細菌によって作られていることをどう思った?ものが腐っちゃった時、それは細菌のせいで起こっていることを知ってどう思った?食べ物に対する見方は変わったかな?」
と僕を見ました。
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小4の代表作品
AI森リンベスト10
大切な休み時間(清書)
小4 はるまき(akoruka)
2026年1月4日
大切な休み時間(清書)
はるまき
「前、八ヶ岳に旅行に行ったんだけど、すごく楽しかった!」
「あっ、リゾナーレ八ヶ岳なら、私も行ったことあるよ。」
今日も笑い声が響く、教室の角の先生の椅子。休み時間には、先生を含め、四人ぐらいの人が集まる。私は、あたたかい時は校庭でおにごっこをするけど、寒い時にはここで遊ぶこともある。担任の中満先生は、明るくてサバサバした女性で、クラスメイトとは、すっかり友だちのようになっているのだ。
先生の椅子で何をするかというと、みんなで先生の机を整理したり、行った旅行の話をしたり、先生の子どもの話を聞いたりする。いつも他愛のないことをして盛り上がっているが、これがとても楽しいのである。その中でも印象に残っているのは、先生が、私が行ったパン屋さんの常連客なのが判明したことだ。
「そうなんだ、先生のオススメとかある?」
「スープも美味しいけど、ミルクフランスが一番かなぁ。」
こんな風に、先生の椅子で遊ぶと、みんなが知らない中満先生の日常を垣間見ることができるから、何だか特別な感じがする。この時間は将来、目上の人と話す時にも役立つかもしれない。それに、クラスメイトの新しい一面も知れるから、仲が深まるのも、休み時間の良いことだと思う。
七十代の祖父母は、小学校の休み時間に何をしていたのだろう。昭和前期だから、花札やおはじきなど、教室で古い遊びをしていたのかなぁと思いながら聞いてみると、祖父は、すもうをしていて、祖母は、校庭でおにごっこやだるまさんが転んだをしていたそうだ。
「すもうで倒された時に、十円玉が落ちてたから、こっそり拾ったのはよく覚えてるなぁ。」
すもうで体を鍛えるのは良いが、お金を拾うのは、学校では適していない気がする。まぁ、これも学習の一つなのだろうか。色々と考えてしまう。
「おにごっことだるまさんが転んだは、クラスメイトとしてたで。」
祖父母も、今と同じように、元気に体を動かしていたようだが、その中にも必ず学校の人がいる事がわかった。だから休み時間は、学校の人と笑い合うことも、目的の一つなのかもしれない。
休み時間は、授業で集中した後の息抜きにもなるけど、学校の人と仲を深めることもできるし、体を動かすこともできるし、授業では真面目な先生の新しい一面を知ることができる。もはや私たちの生活の一部になっている休み時間は、今は何気ないけど、将来に役立つ、とても大切な時間なんだなぁと心の中で思った。誰も座っていない先生の椅子には、私たちが整理した引き出しが、ぽんと置かれていた。
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小5の代表作品
AI森リンベスト10
タイミングがとてもいいときと悪いとき
小5 ゆうたろう(akiara)
2026年1月4日
そっ啄の機という言葉がある。得がたい好機の意味で使われる。早すぎず遅すぎず。まさにこの時というタイミングがそっ啄の機である。我々はほとんど毎日のように、何かしら新しい考えの卵を頭の中で生み落としている。ただそれを自覚しないだけである。これが立派な思考に育つのは、実際にごくまれな偶然のように考えられている人間にとって価値のあることは、大体において、時間がかかる。即興に生まれてすばらしい物も時にないではないが、まずふつうはじっくり時間をかけたものでないと、長い生命を持ちにくい。寝させておく。温めておく。そして、決定的瞬間の訪れるのを待つ。そこでことはすべて一挙に解明される。
ぼくは、バスに乗り遅れそうになったことがあったので、タイミングが悪く信号が点滅していたのにわたってしまった。でも、次に信号が青になった後にバスが来た。ぼくは、運がよくバスが来るのが遅れるかもしれないから信号も点滅していたら待とうと思った。バスに遅れたら大変だから、タイミングも大事だと思った。
母は、一番下の弟が寝ているときに幼稚園のお迎えの時間になったらベッドからベビーカーに移動しなければならないから起きてしまうかもしれないから幼稚園のお迎えのときは起きていてほしいらしい。でも、ぼくは、ちょうど行く前やぼくがいるときはタイミングがいいからその時いいなあと思った。あと、母は、広報を見ていたら、バスケットボール教室が、ぼくの家から学校への逆方向に西浦体育館という体育館があって一月から三月まで毎週木曜日に十回あると書いてあったらしい。ちょうど今、ぼくは、成長するときだしスイミングも木曜から土曜日に変更したし、少し学校の体育でせっかくしたからタイミングがいいと言っていた。でも、ぼくは、行ってみたら、みんな一年とか二年とか三年やっていると言っていたので、いつもやっているとわかった。
ぼくは、鉄は熱いうちに打てということわざがあるように、タイミングがいいときはすぐに実行した方がいいとおもった。
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小6の代表作品
AI森リンベスト10
スマホが普及して
小6 みさ(misa)
2026年1月4日
近年、テレビや動画などの視聴覚メディアが発達するにつれて、「本を読む人は減っていくのではないか」と言われることが多い。しかし、必ずしもそうとは言えない。映像を見る楽しみは受け身の楽しみであり、読書は自分で考えながら読み進める積極的な楽しみである。受け身の楽しみが増えたからといって、積極的な楽しみが必要なくなるわけではない。むしろ、自分に合った本を選び、理解できる内容を読むことで、読書はより深い満足を与えてくれるものになる。
テレビが生活の一部として定着したが、現代ではスマートフォンの急速な普及によって、再び人々の行動は変わり始めた。電車の中や待ち時間だけでなく、家のリビングでもテレビをつけず、スマホを見ている光景は珍しくない。スマホは自分の好きな動画やニュース、ゲームを、好きな時間に楽しむことができる。テレビのように放送時間に合わせる必要がなく、短い時間でも使えるため、特に若い世代に強く支持されている。その結果、「今度はテレビを見なくなった」という現象が起きている。これは、テレビが本の時間を奪ったのと同じように、スマホがテレビの時間を奪っている例だと考えられる。
しかし、スマホの便利さには問題点もある。短い動画や刺激の強い情報を次々と見ることで、長い話や文章に集中できなくなる人も増えている。また、家族が同じ空間にいても、それぞれが別々の画面を見ているため、会話が減ってしまうこともある。テレビの時代には、同じ番組を見て「どう思った?」と感想を言い合うことで、自然に考えを伝え合う機会があった。しかしスマホは個人で完結しやすく、人との関わりが少なくなりがちである。この点を意識せずに使い続けると、考える力や伝える力が弱くなってしまうおそれがある。しかし、不思議なことに最近はスマホが普及したことで手書きが今流行っているらしい、デジタルではあらわせない質感や、あたたかみがいいと話題になっている。今はルーズソックスなどの平成やレトロが流行っているというし、新しいものが出ると古いものに憧れるのは人間の習性であろう。
このように、本からテレビ、テレビからスマホへと、時代とともに情報の中心は移り変わってきた。便利な道具が登場すると、人はより楽な方へ流れていくが、それと同時に失われるものもある。だからこそ大切なのは、メディアをやめることではなく、使い方を自分で考えることだと思う。私も冬休みでショート動画ばかりみてあまり勉強できていなかった。ショート動画は気づいたら時間が過ぎていて、時間を無駄にするのだ。だらだらスマホを見ないように、スマホで興味をもった内容を本で詳しく調べたり、テレビで見たニュースについて家族と話し合ったりすることで、考える力を深めていこうと思う。新しい道具に振り回されるのではなく、学びにつなげる姿勢を持つことが、これからの時代を生きる私たちに必要だと私は考える。
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中1の代表作品
AI森リンベスト10
お休み宿題:ポイ捨て (清書)
中1 あさくに(asakuni)
2026年1月4日
「ポイ捨て」という言葉はとても不思議だ。なぜかというと、「ポイ」というオノマトペが入り、本来の意味からちょっとズレてしまっている。個人的に「ポイ」という言葉を見かける、または聞くと、膨大な空間の中に何も考えずに自分の生活からいらなくなったものをさりげなく捨てることを考える。だが、実際には教室の床にある消しカスを無意識に机から落とすのもある意味、「ポイ捨て」だ。私は「ポイ捨て」がいいか悪いかと問われたら、「他人がやる分には良い」と答える。
まず第一の理由は「ポイ捨て」した人の人間性がわかるからだ。数週間前、アメリカの中学校へ友達と一緒に朝登校していた時、私たちの横に止まっていた車の運転手がさりげなく煙草の吸い殻を道路に捨てるのを目の前で目撃した。あまりにも罪悪感あふれる雰囲気で捨てたので、思わず内心で引いてしまった。さらに驚くべきことに、その運転手は捨てた後何もなかったかのように走り去ったので、「ああ、こういうことをする人もいるんだ」と非常に残念に思ったのを記憶している。ここで私が主張したいのは、環境汚染ともいえる「ポイ捨て」はあまりそこまで考えていない人たちに勝手にやらせ、自分は正しいことを続けるべきだということ。そうしたら、いつかはその人たちも自分のこれまでやってきた些細な積み重ねに罪悪感を感じ、変わってくれるだろう。この願いが叶わなくても、その人たちの性格の一部が理解できただけで良いのではないか。「こういう人なんだな」というイメージがあるだけで、人間関係の糸口につながることもあり、非常に得なことだと思う。これはボウリング大会のような仕組みだ。対戦相手が非常に非力でピンをほとんど当てれない時でも自分は着々と点を稼ぎ、相手は自分を見習い進歩するか、現状維持するかの選択肢がある。どちらを選んでも自分に悪影響を及ぼすことはなく、自分は進歩し続けることができる。
二つ目の理由として挙げたいのが、「この状況を振り切る革新的なイノベーションが生まれるかもしれない」ポテンシャルが高いためだ。「そのイノベーションを待つだけで、ポイ捨てを続けさせてたら他人任せじゃないか」という意見もあると思う。しかし、私の場合だと、これからの未来のためにひたすら学ぶということしかできなく、あまり積極的に貢献できない。だが、革新的な事業ができたら、大量にたまったゴミをすぐさま回収し最終的には「黒字」になるのだろうと、私は考える。現在は、株式会社micaなどがIoTトングを使って理想的な街づくりを目指している。IoTトングはどこでどんなゴミが収集されたかをスマホアプリに連絡し、どこにゴミ箱を設置したらいいのかなどポイ捨て撲滅に励んでいる。実際実施した特定の地域では埋め立てゴミが60%削減されたなどのデータも出て、その信頼性と効果は上がっている。将来私も「ポイ捨て」などの環境破壊に立ち向かいたいと思っているので、より一層学びに注力したいと思う。
このように再生や新しいイノベーション、そしてポイ捨てをした者の人間性がわかることから「ポイ捨て」は他の人がやる分にはいいと思う。確かにポイ捨てを積極的になくすのを頑張るのは環境破壊解決に直結するもので、尊敬に値すると思うが、そうしてしまったら一部の人が精力的に努力し、他者は何も緊急性を感じないという、まさに今の世の中みたいな状況になってしまうのではないだろうか。アメリカ人の小説家、アニープルーはかつてこのような発言をした。「皆が自然の負担を支払わなくてはいけない」と。私はこれを読み、「我々人類が汚してしまったこの美しい地球を我々が取り戻さなくてはならない使命である」と解釈した。 たっぷり自分の意見を述べさしてもらったが、やはりこの作文は空想上の計画に過ぎない。皆様も他人事と思わず、私と一緒に状況改善のための第一歩を踏み出してみませんか。
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中2の代表作品
AI森リンベスト10
繰り返さないための反省と分析(清書)
中2 あかるら(akarura)
2026年1月4日
確かに、戦争の悲惨さを後世に語り継ぎ、反省することは大切だ。つまり、何か自分が失敗してしまった際に自分の誤りを認める必要があると言える。私の英検への挑戦も同じである。私は準一級の試験を複数回受けた。難易度の高さや新形式による影響も確かにあったが、それでも他の級では一度の受検で合格してきたことを考えるとはるかに時間がかかった。今振り返ると、この結果には「反省」が大きく関わっていると言える。不合格という結果に際し、どこに問題点があったのか、勉強法は間違っていなかったのかなどを丁寧に振り返らず、自分を正当化することで試験から逃げていた。それは難易度の向上に比例して勉強の量や質を変えていく必要があった。しかし私は「自分のやり方」に固執し、周りの言葉に耳を傾けることなく失敗を繰り返してしまったのだ。自分の過ちに対して自分を正当化することは避けるべきことだ。「自分を『他人のように』眺める」という言葉がある。まずは第三者としての立場で自分の行いを俯瞰する必要がある。反省を避けることは現実逃避であり、有意義な時間とは言えない。このことを英検から学ぶことができたのだ。これは戦争にも当てはめることができる。いつの時代のどの国も相手を否定することから戦争が勃発し、自分を正当化することによって戦争が泥沼化する。歴史を振り返り、反省をしないことが悲劇な戦争を繰り返しているのだ。失敗の際にまずは自身の誤りを認めなければ明るい未来は望めないのだ。
一方、どうしたら戦争にならないかを論理的に考え、対策を立てることも大切だ。戦後80年が経った今、少しずつ戦争の原因が明らかになり、教育現場でも伝えられているが未だ十分とは言えない。だからこそ、その事象の「もと」に迫り、次の世代へと生かしていく必要がある。有名な昔話「さるかに合戦」でも同じである。猿に母ガニを殺されてしまった子ガニ達は、ただ猿の行為に憎しみを持ち衝動的な行動に移すのではなく、「どうすれば不幸を繰り返さずに済むのか」を考え、綿密な計画を練り、達成することで最終的に猿を倒すことができたのだ。昔話と現実の世界では私達に与えられている状況の複雑さや解決の難しさは大きく異なる。しかし、この冷静な分析の姿勢はどの時代・立場に生きる人であっても学ぶべきことだと言える。「歴史は繰り返されるもの」だと多くの人が話す。しかし、世界的に情勢が不安定になりつつある今、最悪の人為的災害を繰り返さないよう、問題の因果関係や解決策など表面には表れにくい根本的なことを見直す必要があるのではないか。
確かに過去の戦争を反省することも戦争を回避するための対策を立てることも大切だ。しかし最も大切なことは、今ある平和を見直し、これからも「平和」だと思える環境を維持していくことだ。「平和を維持することは、戦争に勝つことよりも難しい。」という言葉がある。人それぞれの異なった形の「平和」があるからこそ何が平和なのかをはっきりと定義することでさえ困難である。しかし「平和」という土台があってこそ過去の反省も歴史に残る丁寧な分析も行えるのではないか。私も自分の考えを主張することと同様に、相手の意見を尊重する重要性を忘れず協調し合あえる生活をしていきたい。より多くの人がこのことを意識することによって、身近なところから争いがなくなり平和が作られていくだろう。
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中3の代表作品
AI森リンベスト10
いざというときに
中3 あおさみ(aosami)
2026年1月4日
久しぶりに学校へ行くと、クラスは受験一色になっていた。その勢いに少し怖気付くも、動じていないふりをして席につく。本の上の小さな文字たちがぼやけてくるのを眺めながら、焦らなくてはいけない時が来たのだとじわじわ気づくのだった。
人間はふだんはのんびりやっておき、いざというときに全力を出せるように生きていくべきだ。
第一の方法として、いざというとき全力を出すために、ふだんから幅広い教養を身につけておくことだ。調べてみると、教養とは「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。またそのことによって得られる豊かさ」だそうだ。思っていたより抽象的である。振り返ってみると、私が行っている教養を深めいそうな活動は多い。ギターや語学学習、針仕事に幅広い読書、茶道など日々毎日行うことに加え、交流会や講座にも足を運んでいる。
学校に行かない日々というのは案外暇で、自分のしたいことを心ゆくまま追求できる。一生懸命勉強するわけでもなく、スケジュールを管理するわけでもない私は、一日の大半を興味のあることに費やしてきた。
しかし、毎日知識や技術を高めても、蓄えたものを披露する場がなく、感じることのできない成果のために頑張り続けることに疑問を持ち、やる気を失ったこともしばしばあった。
そんな葛藤を抱えながらも、この春私は高校生になる。入試は自己推薦での挑戦だ。学校の成績は出なくても、今まで深めてきた教養を生かして挑戦した数検や英検、中国語に習字などを武器に頑張りたいと思う。今まで蓄えたものたちがようやく披露される時が来たのは喜ばしいことである。
いざというときに自分の出せる札を多く揃えるために、後悔しないためにふだんから幅広い教養を深めることが大切だと強く感じた。
第二の方法として、社会が成果だけでなく、意欲や好奇心、可能性も評価することだ。
トーマス・エジソンは幼い頃、好奇心が強すぎるあまり、小学校を退学させられ、その後は家庭で学び「発明王」になったそうだ。
現代においても依然として私たちは目に見える結果で人を判断しがちである。受験に就職、転職などといった自己アピールの場では、皆資格や実績を並べ、自分の価値を示そうと必死になる。
だが、私たちはその人の本質を見抜けているだろうか。私たちは表面的な成果だけを評価していないか立ち止まって考える必要があると考える。例えば、大きなキャベツを買ったものの中身がスカスカだった、という経験は珍しくない。また小さいキャベツでも中身が詰まっていておいしいということもある。
人の価値も同様に、肩書きや見た目だけでは測れない。エジソンも学校では評価されなかった好奇心や探究心、意欲が強みとなり、1300個にも上る発明をした。好奇心や可能性を評価することで、新たなものが生まれる社会、成長できる社会づくりにつながると思う。
確かに日々の努力が評価されると嬉しい。
しかし、「知識がはしごを作ったのではなく、2階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ」という言葉があるように、日々内申点を気にする生活より、自分の好奇心を探究し、熱意を蓄えていく方が大切なのではないかと考える。目まぐるしく変わる世界だからこそ、私はふだんから教養と熱意を育て、いざというときに自分らしく全力を出せる人でありたい。
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高123の代表作品
AI森リンベスト10
叱るときは叱る
高1 ヨーヨ(waoho)
2026年1月4日
文章を書く中で、言葉を選ぶことの難しさと、その重みを改めて実感した。何気なく使った言葉が相手を傷つけてしまうこともあれば、自分自身の浅はかさを露わにしてしまうこともある。そして、反省や訓練を重ねることで、言葉は単なる表現手段ではなく、生き方や人との関係性そのものに深く関わっているのだと気づかされる。だからこそ私たちは、叱るという行為の意味を、今一度見つめ直す必要があるのではないだろうか。
そのための方法として第一に、子どもをもっと叱る社会を築いていくことが重要だと考える。なぜなら、叱られることで自分の行動を客観的に振り返る機会が生まれ、誤りに早く気づくことができるからである。人は失敗から学ぶ存在だが、その失敗が大きくなる前に軌道修正できるかどうかは、周囲の大人の関わり方に大きく左右される。適切な叱責は、子どもにとって将来の判断力や自制心を育てる土台となる。
たとえば、私が部活動の合宿に参加したときの経験である。普段は家庭でスマートフォンの使用時間をある程度制限されていたが、合宿中は特に厳しい決まりがなく、自由に使える環境だった。そのため夜になると、仲間と同じ部屋で動画を見たり、SNSを確認したりして、気づけば深夜までスマートフォンを触り続けてしまった。その場では楽しかったものの、翌朝の練習では寝不足の影響がはっきりと現れ、集中力が続かず、体も思うように動かなかった。当時は窮屈に感じていた家庭での制限も、自由な状況で同じ行動を取ったことで、その叱責の意味を自分の体を通して理解したのである。この経験から、叱ることは相手を縛るためではなく、本人が後に納得できる気づきを与えるための行為なのだと実感した。
第二に、他人を叱るだけでなく、自分自身を厳しく叱る姿勢も重要である。人は他人の欠点には敏感である一方、自分の過ちには目を向けにくく、都合よく正当化してしまいがちだ。しかし、自らを律し、冷静に省みることができなければ、真の成長は望めない。その好例として、徳川家康の生き方が挙げられる。家康は、1572年の三方ヶ原の戦いにおいて武田信玄に大敗を喫した。この敗北を家康は決して忘れず、敗戦後の自らの苦悶の表情を描かせた「しかみ像」を、生涯手元に置いたとされている。これは、慢心や判断の甘さを戒めるための、自己への厳しい叱責であった。家康が長期にわたる安定した政権を築くことができた背景には、成功の中にあっても自分を甘やかさず、常に自省し続けた姿勢があったと言えるだろう。
確かに、叱ることは容易ではなく、ときに反発を招くこともある。しかし、「叱るとは相手の未来に責任を持つ行為である」と言えるように、相手を思うからこそ必要な厳しさも存在する。結局のところ、他者を適切に叱り、同時に自分自身をも律する姿勢こそが人を成長へと導き、社会全体をより良い方向へ進める力になるのではないだろうか。
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