毎月の森リン大賞
森リンの丘
毎月10日以降に、前月の森リン大賞の代表作品を選定します。
順位は、思考・知識・表現・経験の点の平均点で表示していますが、総合点は、この平均点に均衡点を加えた点数になっています。
小1の代表作品 2025年12月分
AI森リンベスト10
びょういんへいったこと
小1 あけあこ(akeako)
2025年12月4日
十二月十九日金よう日、左足のかかとがいたくて、びょういんへいくことにしました。まずさいしょに、タクシーでいきました。どうしてかというと、じてんしゃにのったらとちゅうでいたくなっちゃうかもしれないから、タクシーでいきました。びょういんについたら、すわるばしょがあったので、本をよんでまちました。よばれたら、しんさつしつのベッドにねてまってるときに、
「こっせつしてないかなー。」
としんばいになりました。先生が、
「なにかげんいんはありますか?」
ときいてきたけど、とくにおもいつきませんでした。ねんのためレントゲンをとることになり、いろんな足のかたちでじっとしました。カシャカシャとしゃしんをとるような音がしました。
「ほねにいじょうはなさそう。たくさんうごいて、かかとにつながるアキレスけんがはれてしまっていたいんだね。」
と先生がいいました。わたしは、
「こっせつをしてなくてよかった。」
とあんしんしました。会計をまっているとき、となりのおじさんがわたしの作文を見て、
「字がしっかりかけていて上手だね。字がたくさんの本も読んでいて、びっくりしましたよ、すごいね。わたしは、小学校ではたらいているんだよ、なん年生?」
とはなしました。
「一年生です。」
とこたえました。
「どちらの小学校へおつとめなんですか?」
とおかあさんがきくと、わたしがかよっている小学校でした。まるでニワトリが、
「コケコッコー。」
となくような、びっくりした気もちでした。三、四年生をたんとうしているそうで、こんど学校であったら、あいさつをしようとおもいました。
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小2の代表作品
AI森リンベスト10
パパからもらったにんぎょう
小2 のむあか(nomuaka)
2025年12月4日
12月17日火曜日、夜にパパが仕事から帰ってきたとき、枕元に人形を置いといてくれました。私が起きたときミッキーマウスがありました。私はびっくりしました。どうしてかというと大きかったからです。その人形はまるで本物のようでした。どうしてかと言うと、耳がとても大きくて、かわいいと思ったからです。
「どうしてここにミッキーマウスがあるの。」
とパパに聞いたら、
「仕事の忘年会でもらったんだよ。」
とニコニコしながら答えてくれました。パパはくじ引きでくじを引いたら当たったそうです。ミッキーマウスのマウスはにこっとしていて可愛かったです。他にも私が持っている人形はたくさんあります。マイメロやピカチュウ、ピチューなどです。ミッキーマウスが来る前はピチューが1番好きだったけれど、ミッキーマウスをパパからもらってからミッキーマウスが1番好きになりました。今度はデイジーダックが欲しいと思います。
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小3の代表作品
AI森リンベスト10
たくさんの工夫
小3 あけなみ(akenami)
2025年12月4日
たくさんの工夫
「○○丁○○町」
消ぼうしょへ見学に行きました。さいしょは、たいしたことないでしょうと思っていました。ですが、行ってみたらとてもおどろくようなことが、たくさんありました。まるで知らない世界にはいりこんだようです。
ではなぜ消ぼう車は赤色なのでしょうか?火事が起こるとけむりの中は、何も見えません。ですが、赤やオレンジ色はけむりの中でも、目立つので赤なのです。だから、防火服はオレンジなのです。はしご車は、高いたて物で火事がおきた時に、はしごの先から水を出します。だから、水を出しながら人を助けてあげれるので一石二鳥だなと思いました。ポンプ車は、ガスから火が出た時に出動しアワで火を消します。理由は、ガスから火が出ると、水ではなかなか消えずとても時間がかかってしまいます。でもアワで消すと、少しでも早く火を消すことができるからです。
もしわたしだったら、めだつ服の色は、黒にしていたかもしれません。なぜかというと、一年生の時までは、けむりよりも火のほうがひろがるとおもっていたからです。見学をしている時にでも、ほうそうがながれてきました。それに三回も。ほうそうは、一回目がなり終わった後、また2,3分しかたたないうちに、また次のほうそうがながれてくるので、一日三十回はながれると思います。でも、三十回といっても少ないほうだと思います。消ぼうたい員は
「このようにほうそうがながれてくるんだよ。」とスピーカーに指をさしながらおしえてくれました。まるで、消ぼうしょのことを、何でも知っている世界で一番えらい人のようでした。
こんなにくわしく、せつ明してくれたり消ぼう車にさわらせてくれたりさせてくれるのはなかなかないので、とても良いけいけんができたなと思いました。だから少し、わたしもその仕事をしてみたいと思いました。これからも、たくさんメモをしていろいろなことを知りたいです。
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小4の代表作品
AI森リンベスト10
大好きなランニング
小4 なな(akasona)
2025年12月4日
「やったぁー。次は体育だ。」
と私は心の中で叫びました。私が一番好きなスポーツはランニングです。普段は学校で走ります。走り始めは体が軽くて足を前に出せますが、しばらくすると呼吸のリズムが乱れて少しずつ体が重くなっていくのを感じます。大変だけど周りの景色を見たり風を感じたりしながら走っていると、学校のことや日常の悩みを忘れることができます。特にスピードを上げて走るときは、まるでチーターになったみたいに全力で走ることを意識しています。その瞬間は自分の力をすべて使っているように感じられて、走ることへの楽しさと達成感を強く味わうことができます。
体育の授業では、二週間に一回長距離走を行います。長距離走は決して楽な運動ではなく、走っている途中で足が痛くなったり息が苦しくなったりします。思うようにスピードが出ず、もうやめたいと感じることもあります。それでも私はただゴールするだけで終わらせず、毎回自分なりの目標を立てるようにしています。前回よりも少しでも目標の時間を短くするために、最初は無理に飛ばさず後半に力を残すようにペースを考えています。記録が少し良くなったときは、自分の努力が形になったようでとてもうれしく感じます。この経験から、ランニングは体力だけでなく、考えながら取り組むことも大切なスポーツだと思うようになりました。
私は、お母さんにランニングについてどう思うか聞いてみました。するとお母さんは、
「二度とやりたくないなぁ。」
と顔を険しくしました。その理由を聞くと、走るとすぐに息が苦しくなって楽しさよりもつらさの方が大きく感じるからだそうです。そして長距離を走るのがあまり速い方ではなかったので、やる気がそれほど出なかったそうです。その話を聞いて私はとても驚きました。私にとっては気分転換になり前向きな気持ちになれるランニングも、お母さんにとっては大変で苦しい運動なのです。この違いから、同じスポーツでも人によって感じ方や得意不得意が大きく違うということに気づきました。この話を聞いて、自分が好きなスポーツにもっと積極的に取り組んだ方がいいなと感じました。
ランニングは体力だけでなく、気持ちの強さや思考も必要な大変なスポーツだと思います。苦しいと感じる場面も多いですが、続けることで少しずつ成長を実感できるところがランニングの大きな魅力です。そして人によって向いているスポーツは違い、自分に合ったものを見つけることが大切だと思いました。私はこれからも自分なりの目標を持ち、工夫しながらランニングに取り組んでいきたいです。そして、努力を続けることの大切さをランニングを通して勉強にも活かしていきたいと心の中で思いました。そして私は今全力をふりしぼって一マイルをまいらないように一生懸命走っているところです。
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小5の代表作品
AI森リンベスト10
食べ物と文化の関係
小5 あえたし(aetasi)
2025年12月4日
どの国の食事にも、さまざまな制限や規則が習慣として存在するが、同一の食物の食事全体における価値が、文化によって異なるときに、難しい問題がおきる。筆者が外国人の家庭で、白いご飯を見ておかずも一緒に食べようと思った失敗は、外国の食文化の構造を考慮せず、日本の食文化の構造に従い日本的な価値を与えようとしたことが原因だ。文化の単位をなしている個々の項目は、他の様々な項目との間で相対的に価値が決まっていくものだ。これは食文化だけでなく、外国語を学習する際にも同じである。自国語の構造を自分では気づかずに、外国語に投影して理解するという方法をしていると、色々と食い違いが生じてくるのも当然といえる。
ぼくが、この話を読んで印象にのこったのは、白いご飯という同じ食物でも国によって意味が異なるのは、それに価値を与える全体の文化の構造が違っているからだということだ。
台湾の主食は日本と同じでお米だ。台湾の給食では、みんな自分の食器をもっていって、自分でよそって食べる。ある日ぼくが取り皿とお椀をもって、ご飯とおかずを別々に分けてよそった時のことだ。先生に「なぜ分けてよそるのですか。他の子を見てごらん」と注意された。他の子はみんな大きなお椀にご飯とおかずを一緒によそり、どんぶりにしていた。だがぼくは家ではご飯を汚すのはダメだと言われているし、味が混ざるのも嫌だし、どちらに従うかとまどった。
台湾のおばあちゃんの家へご飯を食べに行ったときのことを思い出した。おばあちゃんの家では大きなお皿から、皆でとりわける。一人一つ大きな皿とお碗が配られて、お茶碗とスープをよそるお椀の区別がない。お母さんは、ご飯とスープをどちらも食べたいのに、お椀が一つしかないのが不便だし、取り皿を一つしかないから、お皿が汚れていくのが困ったと言っていた。台湾人のお父さんは「ご飯にのせたら、うまいな」ともりもりとご飯をかきこんでいた。きっと、台湾の料理は味が濃いし、ご飯に合うおかずが多いから、みんなご飯にのせて食べるのではないかと考えた。一方、日本食は味が繊細だから、別々に味が混じらないようによそる必要があるからではないか。さらに台湾人はよく合理的に考えるので、洗い物を少なくできるから一人一つのお皿とお椀なのだ。しかし日本は、盛り付けや作法をとても重視しているのだ。日本は食事の作法が多いから、外国人が日本に来て慣れるのが大変ではないかと考えた。
台湾もお箸で食べる国だが、日本とは違うところがある。ぼくはいつもご飯の前にお箸やお椀を準備するが、台湾ではお父さんやお母さんの箸など、誰の箸と決まっていないから、全部同じ箸を置いていくだけだ。
日本のおばあちゃんの家に行ったときのことだ。夜ごはんができたよと食卓へ呼ばれていくと、おばあちゃんがぼく用のお箸とお茶碗を用意してくれていた。ぼくは、初めての自分のお箸とお茶碗を見て、すごく嬉しくなった。なぜなら、ぼくも一人前の人として認められた感じがしたし、おばあちゃんが自分のために選んでくれたからだ。
なぜ日本は自分だけの箸があるのかと不思議に思い調べてみると、個人専用の箸が決まっていることを「属身具」とよび、日本の歴史と文化に理由があることが分かった。一つ目は、宗教的・精神的な理由だ。古来日本では、お箸には使った人の魂が宿ると信じられていた。また食事は神様と共に行う神聖な儀式と考えられており、個人専用のお箸を使うようになったのだ。二つ目は、日本人の衛生観念の高さだ。日本では古くから口をつけるものを共有しないという感覚があり、清潔さを重んじる日本では個人専用の箸が自然と定着していった。三つ目は、江戸時代から明治にかけて「箱膳」による自立した食習慣があったことだ。一人一人が自分専用の食器セット(箱膳)を持つのが一般的だったので、お箸だけでなくお茶碗など個人の食器を持ち管理する習慣ができたのだ。
ぼくは、日本と台湾の文化は異なるけれど、どちらも理にかなっていて、どちらが良いか悪いかを考えなくてよいと分かった。
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小6の代表作品
AI森リンベスト10
二度寝の大切さ②
小6 あこまき(akomaki)
2025年12月4日
「ん〜。後十分だけ〜。」
母は私の布団を取りあげたが、私はまた布団に潜り寝落ちた。私はよく寝坊する。いや、朝が弱いからかもしれない。母はまるで私がつきたての餅になったようだと毎日いっている。布団に包まれていて体を持ち上げてもすぐにしなっとなってしまうところだといっていた。そのようにぐーたら寝坊した中でも一回、大寝坊をした事がある。普段であればアラームをセットしてその時間になったら、音に気づいた母が起こしてくれる。しかし、その時はアラームをセットしていたのに何故か鳴らなかった。母が私より先に起きて私を起こしにきてくれた。だが、私は一度起きたはずなのにいつの間にかベットの中でまた寝落ちてしまったのだ。次に私が起きた時には十一時という時間になっていた。幸いその日は何も予定がなかったのでホッとしていたと思う。そして一日を過ごしていったが、体に溜まっている日頃の疲れが取れていて、心地よく過ごせた。また、顔色も良くなっており目の下にあったクマも消えていた。そしていつもであれば勉強をしていると途中で眠くなってしまうが、その日だけは集中力が続き、運動や勉強などに専念する事ができた。私は、朝寝坊で十分な睡眠がとれたから心地よく過ごせたのだと思う。
東京医科大学病院の研究では「早起きは三文の得」ではなく「早起きは三文の損」という結果を出した。人間に備わる体内時計は人によって個人差がある。朝方の人は体質的に早寝早起きになり、朝から体調が良く、逆に夜型の人は体質的に遅寝遅起きになり、午後の方が体調が良くなるという傾向があるのだ。東京医科大学で約八千人の人を分析してみると体内時計の傾向によってパフォーマンスの日内変動に大きな差がある事がわかった。たとえば身体機能も、朝方のアスリートでは昼の早い時間に、夜型のアスリートでは夜に最も運動機能が高まる時間があるそうだ。また、そのリズムに反して朝方人間が夜勤に頻回に従事したり、夜型人間が早朝からの勤務に行ったりすると、発癌リスクの上昇や死亡率の上昇など、様々な健康上の問題が生じてくる事が知られているのだ。一方、早起きは三文の得という言葉のように、早起きが生産性向上に本当に関連するのかどうかは今まで検証された事がなかったそうだ。健康的な生活を通じて生産性を維持するためには無理に早起きをせず、良好な睡眠をとる事が重要なのである。
人間にとって朝寝坊は大切な事である。朝寝坊をすることで十分な睡眠がとれて、一日中眠たいと思わずにシャキシャキと動く事ができるのである。東京医科大学病院の研究でもあったように早起きをすることに無理をしすぎてしまうと様々な健康上の問題が発生するのである。また、朝寝坊をすることで集中力も高められる事ができるのである。睡眠時間を多く取れるため、長い期間集中しないといけない授業などにでも脳を活発的に働かせる事ができるのである。だから、無理な早起きはせずに朝寝坊をした方が良いのである。私は今日も母が剥がした布団をかけ直してベットのあったかい布団の中でグースカ二度寝している。
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中1の代表作品
AI森リンベスト10
死を意識して生きることの大切さ
中1 あさみり(asamiri)
2025年12月4日
人は道具を扱い強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。しかし、追われる立場で動物としての知恵をしぼって相手をまくこと、いやもっと危なくギリギリまで追いすがられて、自分の脚力だけをたよりにからくも逃げきること、相手の存在に一瞬早く気づいて巧みに回避することにこそ弱い動物は自分が生きているという実感を改めて感じて幸福感を味わうのかもしれない。肉食獣に追われて逃げ切るか食われるかは一つのゲームであり、その危険なゲームに参加し、興奮と高揚を味わう。そうゆう濃密な時間が、生きていることのありがたみに気づかせてくれているのだ。
このことから私は、野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。
第一の理由は、死のような締切があるからこそ今を大切にしようと思えるからだ。この前読んだ「君の膵臓を食べたい」では余命宣告を受けた女の子が残りの時間を大切に生きようとするという内容で、「一日の価値は全部一緒なんだから」というセリフなど、明日がくる保証は誰にもないという事実を静かに受け止めた上で、非日常のイベントではなく、ありふれた日常の中にこそ幸せを見出す彼女の強さが、今生きていられることの幸せに気づかせてくれる素敵な作品だ。このように、今生きていることの幸せは死のような期限があるからこそ気づくことができるものなのだ。
第二の理由は死を意識することで人生を豊かにすることができると思うからだ。死がいずれ訪れるなら、のこりの人生を精一杯楽しんで濃い人生にしたいと私は思う。平均寿命の国際比較のデータをみると、日本男性は77歳女性は84歳でいずれも世界一位である。しかし、このような寿命があるということがわかるとそれに合わせて老後の計画がたてられる。例えば旅行に行くために足を鍛えたり、美味しいものを食べるため顎を鍛えたりりする。寿命の目標を決め、それに向かって健康的でいられるよう睡眠食事運動をバランスよくとってみるなど残りの人生を考えてみることで、自分なりの理想の生き方で過ごすことができる。人は目標と期限が決まった時に一生懸命取り組むことができるのだ。実際私は授業中よりテストなどの期限や高得点を取るなどという目標が決まっていることに一生懸命取り組む傾向がある。授業中では、今日までに絶対覚えなければならないという期限はないし、得点が目に見えないので努力が形にならずやる気が起きない。だが、授業中どのように学習するかの目標を決めるとやる気が起き、意欲的に取り組むことができる。期限と目標は自分を奮い立たせるための力になるのだ。
たしかに死ぬことはとても怖く、好き好んで考えたいとは思わない。だが、「限られた人生で大事なことは、何をするかではなく何をしないかである」という名言もあるように「できる」ことより「できない」ことを意識することで将来と今を見つめ直せる。つまり、死という人生の締切を意識するからこそ有意義で濃密な人生を送れるのだ。だから私は、今生きていられていることに感謝と緊張感を持ち、これからの人生が自分らしく理想的な過ごし方であれるよう心がけていきたい。
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中2の代表作品
AI森リンベスト10
行動のための考え(清書)
中2 あおらえ(aorae)
2025年12月4日
宇宙飛行士は宇宙で個体意識が一気に取り払われるような体験をしている。彼らの話に耳を傾け、表面的な違いにとらわれず、その奥に秘めたものを注意深く探ってみると、そこに共通体験が見えてくる。シュワイカートが宇宙遊泳中に、仕事ぶりを撮影するカメラが故障したため、撮影担当のマックデビット飛行士は宇宙船の中に消えた。シュワイカートには静寂が訪れた。そして彼はヘルメットのガラス球の中で、わけもなく大粒の涙を流した。この瞬間、彼の心に、眼下に拡がる地球すべての生命、地球そのものに対する連帯感が生まれた。シュワイカートが宇宙空間で体験したこの個体意識から地球意識への脱皮は、今、この地球に住むすべての人々に求められている。
自らの、もしくは自分側の組織の利益を考えることは大切だ。今年の夏、2か月ほど前に学校で体育大会があった。去年の体育大会では一学年六クラスで競ったうちの五位、つまり下から二番目という惨敗を喫したために今年は奮闘するという意志がクラス全員にあった。そのため、チーム分けなども、相手はAチームを強くするだろうから、こちらはBチームを強くしようなどと熟考を重ねた。このように、昨年の二の舞はしない、総合三位以内に入るという強い、覚悟ともとれるような結束のもと一丸となって練習に励んだ。その結果か体育大会を迎えた当日、思いのほかうまくことが運び、リレーでこけるというトラブルがあっても立ち直り、最終的には二位を取ることができた。現在、来年は一位を取るという目標も設定されているようだ。自分の利益を考えることによって、自らのパフォーマンス向上を図ることができる。
ただし全体の利益を考えることも重要だ。例えば地球温暖化で余り影響がなくとも、他の地域の人々や環境のために努力する、といった具合だ。そのためときには他人の利益、ととることもできる。自らの利益を考えすぎると自己中心的と思われ、人が離れていきかねない。結果的に自分の能力が下がったも同然となる。昔話に「かさじぞう」がある。正月の料理用のために街に笠を売りに行くのだが、大晦日の準備に忙しく誰も買おうとしない。家に帰る道中、六尊のお地蔵さんが頭に雪をかぶっていた。気の毒に思い、持ちあわせの五蓋の笠と自分の手拭をかぶせた。その夜、昼間のお地蔵さんたちが歩いてきて鯛や米俵、小判などを家の前に置いて行ったという話だ。先ほどのスポーツおよび運動会においても、自分の事ばかりを考えないスポーツマンシップというものが重要視される傾向にあるのは、このためだと考える。
自分と他人の利益のどちらも天秤のようにバランスを見ながら考えていかないと自分や社会にとって不利益なことが起こりうる。だから、それら二つのバランスを常に考え続けることが大事だ。しかし、「あなたが世界に見たい変化に、あなた自身がなりなさい。」とインドの政治指導者・ガンディーは言った。いまの社会の成長、世界の発展、技術の発達のために考えるのみならず行動にうつすことが最も大切だと思う。ただ考える、思考をめぐらすだけで物事に進展はない。行動に移すために考えていると思う。自分の世界、周囲の世界、人間の世界のいずれであっても行動をしない限り変えていくことはできない。その行動によってこそ、変革は可能なのだ。自分、他人を引っ括めた世の中という存在に、良くも悪くも変化をつけるために、行動に移すことこそが肝要である。
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中3の代表作品
AI森リンベスト10
言葉のちから
中3 あおさみ(aosami)
2025年12月4日
私は言葉に思いやりや愛を込められるような生き方をしたい。
その方法として第一に、言葉の扱い方を知ることだ。歳を重ねるにつれて、広がる世界に比例するように語彙が増えてゆく。本でさらっと読んだ言葉、初めてみる熟語の意味を一生懸命考えた言葉、知ったかぶりをして後からこっそり調べた言葉。私は言葉を知れば知るほど世界が鮮やかになっていくのが大好きだ。
私たちは「微妙」「適当」といった言葉をいつ使うだろうか。何かイマイチなもの、パッとしないものを見たときに「微妙」と使い、大雑把という意味合いで「適当」と使う人が多いのではないか。だが本来「微妙」は美しさや味わいがなんともいえず優れているさま、なんとも言い表せないさまを表し、「適当」はある状態や目的などに程よく当てはまるさまを表す。本来の意味
とは違う使い方がされている言葉は意外と多く、私も使い方を訂正されることがしばしばある。
社会の変化や私たちの気持ちによって言葉は変化してきたが、語彙を増やしたり、本来の意味をもう一度確かめたりする必要もあると考える。なぜなら言葉に対しての理解が不十分だと言葉を雑に扱ってしまう入り口になるからだ。私自身も「やばい」を覚えてから、何事も「やばい」の3文字で片付けてしまいがちである。嬉しい、すごい、綺麗など感情にも種類があるのにそれを一括りで表してしまうのは勿体無い。
言葉は昔の方々が出来事や情景を通して感じた感情、思いを形成したものだ。生きた人たちが作った言葉は同様生きているのである。人々とさまざまな時代を共に過ごし、人々が言葉に、言葉が人々に息を吹きかけてきた。その息を吹かせ続けるために、その本来の重みを肺腑に染み入れ、自分の発する言葉に責任を持つべきなのである。また言葉の扱い方を知ると、人と適切な距離を持ちやすい。敬語や尊敬語をはじめ、声のトーンや速さ、リアクションなども相手によって使い分けることができる。自分の思いを正しく伝えるためにも言葉を自分の味方につける必要があるのだ。
第二の方法として、国同士の間でも、相手の言葉や文化を尊重することだ。
今日の社会、世界問題はお互いが相手に歩み寄ろうとする姿勢が足りないことにあると感じる。ガザ問題やウクライナ侵攻、日中関係など、状況を改善させたいと思うのならば、お互い冷静に話し合い実践的な解決へと繋げることが重要だ。国連安全保障理事会で常任理事国の持つ拒否権が行使された回数は1945年から2022年の期間で308回に上る。常任理事国の5カ国が自国の利益や印象のために行使することもあるそうだ。私は人権侵害や犯罪行為を、絶対的な軍事力や支配力によって責任を逃れさせるのではなく、国際社会が実効性のある制裁を科すべきだと思う。国際社会が話し合いを拒み、力に頼り続ける限り、問題は決して解決しない。お互いを尊重し、国際社会が一体となって問題の解決に注力する姿勢こそが、問題が解決する唯一の道だと考える。そしてどんな相手であれ、こちらが相手を尊重する姿勢を示せば、相手も私たちを尊重しようとする態度につながることを信じたい。
確かに、言葉を記号として扱う方が、簡単に物事を片付けることができる。
そして、スマホなどの翻訳機も進化し、これからさまざまな国の人と話せるようになるだろう。
しかし、「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」という言葉があるように、言葉も「言葉」という記号を超えた可能性のあるものだと思う。私が英語や中国語などに触れる理由も、言葉で、言葉以上のつながりを感じたいからだ。自分が自分でいるために、人へ想いを伝えるために、さらに人と人を繋ぐために使われてきた。だから私も感謝を伝えるために使っていきたい。
これから出会う言葉たちはきっと霧がかかっている気持ちや思いをぴったりと言い表してくれるだろう。私の瞳も心も世界のありのままの景色を映しているはずだ。
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高123の代表作品
AI森リンベスト10
実感を伴う
高1 ヨーヨ(waoho)
2025年12月4日
神経の疲労と肉体の疲労のバランスが崩れると、人は危険を正確に判断できなくなる。筆者は原動機自転車の体験を通し、距離感や恐怖が現実とかけ離れる過程と、その不安が内面に潜むことを描いている。私たちは、心の実感の持てる生き方をするべきだ。
そのための方法として第一に、バーチャルな世界よりも、自分の手足を使った実感のある世界を体験することである。近年、ゲームやSNSの普及によって、私たちは画面を通して多くの成功体験を得られるようになった。そこでは、努力と結果との関係が単純化されており、一定の行動を取れば成果が数字や順位として即座に示される。そのため、達成感を得やすいという利点がある一方で、その感覚が心の奥深くにまで定着しているかどうかについては、疑問が残ってしまうと思う。たとえば、僕ha
フォートナイトというバトルロイヤルゲームをプレイしていたとき、立ち回りや操作を工夫することによって順位が上がり、自分の成長を比較的容易に実感することができた。しかし、その達成感は試合が終わることによって次第に薄れていき、もう一度勝ちたいといったような感覚が生まれ何度も遊びたくなる。一方で、現実の世界において部活動や人間関係に向き合った経験は、失敗や後悔を含みながらも簡単には消えず、時間が経った後にこそ、自分の判断や行動を支える感覚として残っている。この違いを振り返る中で、心の実感というものは、結果の分かりやすさによって生まれるのではなく、自分の体や感情を通して積み重ねられた過程によって形成されるのではないかと気づいた。したがって、便利で安全な仮想世界にとどまるのではなく、不確実であっても現実の中に身を置き、自らの感覚を伴った経験を積み重ねることが重要なのである。
第二に、新しい時代に対応した実感を意識的に育てていくことも必要である。実感のある生き方とは、必ずしも過去の方法に戻ることを意味するわけではない。時代が変化すれば、人が世界をどのように感じ取るか、その在り方もまた変わっていくからである。確かに、昔ながらの価値観や経験には学ぶべき点が多く存在する。しかし、それのみに固執してしまえば、新しい社会の中で生きる感覚を十分に身につけることは難しいだろう。たとえば、15世紀半ばにヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を実用化したことは、人々の知識の得方に大きな変化をもたらした。それまで知識は、直接の体験や口伝によって伝えられることが中心であったが、印刷物の普及によって、多くの人々が文字を通して世界を理解し、実感するようになったのである。当初は、顔を合わせずに学ぶことに違和感を覚える人もいたと考えられるが、結果としてそれは人類の思考の幅を大きく広げることにつながった。現代においても、AIやデジタル技術の進展によって、私たちの生活環境や体験の形は急速に変化している。だからこそ、それらの技術を無批判に受け入れるのでも、全面的に拒絶するのでもなく、それらを通して自分が何を感じ、どのように現実と結びつけていくのかを考える姿勢が求められているのである。新しい時代にふさわしい実感とは、便利さに流されることではなく、変化の中で主体的に意味を見いだす力であるといえるのではないか。
確かに、効率的で失敗の少ない世界に身を置くことは楽であり、安心感も得られる。しかし、「実感のない成功は心に根を張らない」というように、手応えを伴わない経験は、人を内側から支える力にはなりにくい。結局のところ、私たちはバーチャルか現実かという単純な二択にとらわれるのではなく、自分の感覚を通して確かに生きていると感じられる経験を、どれだけ積み重ねていけるかを問い続けるべきなのではないだろうか。
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2006年9月~2009年8月までの森リン大賞
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