毎月の森リン大賞
森リンの丘
毎月10日以降に、前月の森リン大賞の代表作品を選定します。
順位は、思考・知識・表現・経験の点の平均点で表示していますが、総合点は、この平均点に均衡点を加えた点数になっています。
小1の代表作品 2026年2月分
AI森リンベスト10
かわいいハートのまが玉
小1 かほ(akaoho)
2026年2月4日
昨日、学校の図工室で、友達とわくわくの先生と保護者の皆さんで勾玉作りをしました。
一番難しかったのは、やすりでハートの勾玉を削るところです。
私が、やすりでハートの勾玉を削っているときに、Aさんが、
「私やっとできた。かほちゃんの勾玉は、どう、できた?」
と疲れたように聞かれたので私は、
「んー、私の勾玉は、まだまだやすりでけずらないとだめみたい。」
と疲れて腕が痛いように答えました。私は、Bさんに勾玉の好きなところを聞いてみると、
「Cさんと同じだし、ネックレスになっているから、来てよかったと思ったよ。」
と鼻歌を歌ったように答えてくれました。Cさんにも勾玉の好きなところのインタビューをしてみると、
「Bさんとお揃いだし、ピンクのネックレスの紐がポイントだよ。」
とウキウキしたように答えてくれました。
まるで私の勾玉は、普通の石ではないようなピカピカの自分だけのピークのハート勾玉が作れてとてもうれしかったので、来てよかったなと思いました。
私は、途中でピカピカのハート勾玉を作れるか心配でした。けれどできてから、自分頑張ったと褒めれるようなピンクのハート勾玉が作れて嬉しかったです。私はやったーとおもいました。どうしてかというと作れて嬉しかったからです。
もし私が小学生じゃなかったら、怒って暴れていたかもしれません。どうしてかというと勾玉作りが終わった時、来てよかったなと思ったからです。勾玉を作っている人はとても頑張っていてきらきらしていました。
また今のハート勾玉よりも上手な勾玉を作りたいです。私は、ピンクのキラキラハート勾玉を引き出しの中に大事に取ってあります。
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小2の代表作品
AI森リンベスト10
音楽プレーヤー
小2 ひびき(akatase)
2026年2月4日
今日は2月11日です。まだ僕は、おじいさんがくれたクリスマスプレゼントを、サンタさんからもらったプレゼントよりも大事にしています。それは、カードを入れると音楽が流れるおもちゃです。そのおもちゃは、車の中にも持っていけます。それから、そのおもちゃは音の大きさも変えられます。僕のお気に入りのカードは『Wicked』です。どうしてかというと、友達と見た映画で一番楽しかったからです。お母さんは、「買った人の中で一番聞いていると思うよ」と言いました。僕は歌をいっぱい聞いて、本当に流れているのか、自分の頭の中だけに流れているのか分からなくなってしまいました。まるで僕の体の一部になっているようでした。次のクリスマスにも、こんなプレゼントがあるといいなと思いました。僕は英語がうまくなったら、ハリー・ポッターを買いたいなと思いました。
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小3の代表作品
AI森リンベスト10
いつもの夕食(清書)
小3 こうき(aekou)
2026年2月4日
「いただきます。」
と、家族みんなで声を揃えました。僕は、いつも家族そろってご飯を食べます。よく食べるのは、麺料理です。でもその中でも最も多いのは、鍋です。鍋に人参、白菜、ネギなど沢山野菜をいれて、お肉、麺を入れて食べています。僕が麺の中で、一番好きなのは沖縄そばです。沖縄そばは鍋に入れて食べたことはないので、今度食べてみたいなと思いました。夕ご飯で一番苦手なのは水炊きです。水炊きはしゃばしゃばしていて食べにくいなと思います。水菜もまるで草を食べている羊になった気分になります。
僕が三歳ごろまでは、おばあちゃんにご飯を作ってもらって食べていたそうです。その頃は、お母さんが会社に通っていて、夜少し遅かったから、おばあちゃんが先に僕のご飯をつくってくれていたと聞きました。だけど、僕はおなかが弱くてよく吐いてしまっていたそうです。
「卵とお醤油と味の素をとって。」
と、僕がお母さんの方を見ました。僕は、ご飯の上に生卵を割って、醤油だけじゃなくて、味の素も少しふって卵かけご飯を作ります。僕は卵かけご飯だとご飯を早く食べられるから時間がない時に、卵かけご飯をよく食べます。もしも夕ご飯が自動で作れるようになったら、おなかがすいたときにいつでもすぐに食べれるのになと思いました。でも、自動でご飯ができるようになるのは、ずっと未来の話だろうなと思いました。
朝ごはんはさっぱりしたもので、昼ご飯はがっつりしたもので、夜ご飯はあっさりしたものが多いんじゃないかなと思いました。
土曜日と日曜日は特別です。どうしてかというと、お母さんに食べたいものを教えると、お母さんがその通りに作ってくれるからです。僕が好きなものを食べられるので、いつも週末のご飯が楽しみです。今日の夜ご飯は何にしてもらおうか今もわくわくしながら考えています。
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小4の代表作品
AI森リンベスト10
僕のベランダ農園_清書
小4 みきひさ(mikimiki)
2026年2月4日
保育園の頃から今まで、ベランダで、僕は母と植物を育てている。育てていて六年がたった。僕は、これまでに約十種類の植物を育てた。例えば、イチゴ、アスパラガス、キャベツ、じゃがいもなどだ。僕の家で育てているものは、野菜が多い。なぜかというと、野菜は美味しいからだ。今までで一番育てるのが大変だったのは、ナスだ。なぜかというと、ハダニが付いてしまい、駆除が大変だったからだ。いつものようにベランダに出てみると、何だかナスの様子がおかしくて、僕は、
「ナスが枯れちゃっているー。」
と、大きな声で叫んだ。ナスに近づいてみると、
「葉っぱの色が変だー。黄色に変わった気がする。」
と、驚いた。そして、
「何かナスの葉っぱに付いているー。」
と僕は気づいた。その後、よ~く観察してみると、とてつもなく小さい何かがワサワサと動いているように見えた。小さい何かは隠れるように葉っぱの後ろにどんどん進んでいた。その様子は、まるで、蜂が巣に入るようだった。そして、さらに、よく観察した。
「一、二、三、四、五、・・・、数えられない。」
この小さな虫はインターネットで調べるとハダニだった。数えきれないほどのハダニが、ナスの葉っぱを食い荒らしていたのだ。僕は、僕の大切に育てているナスをハダニに食べられて、とても悔しい思いをした。
僕は、自分で育てたキュウリやナスなどを収穫し、それを食べるのが好きだ。家で育てた野菜は、買ってくるものに比べて、みずみずしく、美味しい。なぜなら、採ったばかりで、新鮮だからだ。毎日、朝、収穫するのも楽しい。僕は、いつも専用のハサミでチョキッと茎を切る。発芽したり、苗を植えたりする時、
「美味しい実がなるかな?」
と、未来を想像して、期待する。もし、僕が農家だったら、毎日ワクワクしながら生きていると思う。なぜなら、きちんと野菜を出荷するために、ちゃんと栽培をしようと思うからだ。農家として野菜を育てるには、農地を買う必要がある。農地を買うには、農業委員会の許可が必要だ。このような大変な手続きをしても農家になるのは、多分、植物を育てるのが好きだからだろう。
花が咲くと、僕が虫になって綿棒を使って受粉を手伝わなければならない。なぜなら、僕の家は五階にあり、虫がなかなか飛んできてくれないからだ。受粉方法は主に二つある。自家受粉と他家受粉だ。自家受粉は、自分で受粉できる方法で、例えば、アサガオがある。他家受粉は、鳥や虫に受粉してもらう方法で、例えば、ホウセンカがある。僕は、なぜ全て自家受粉じゃないのか疑問に思ったので、インターネットで調べてみた。自家受粉のメリットは、受粉の確実性が高いこと、媒介者がいらない、つまり、鳥や虫がいなくても受粉できることだ。逆に、デメリットは、環境への適応力が低いこと、近交弱勢であることだ。近交弱勢とは、近親交配の繰り返しにより、生物の遺伝的多様性が低下し、繁殖力、生存率、強健性などの適応度が下がってしまうことだ。一方、他家受粉のメリットは、環境への適応力が高いことだ。逆に、デメリットは、受粉の確実性が低いこと、媒介者が多く必要であり、その結果、受粉相手に依存する必要があることだ。つまり、他家受粉の植物は、鳥や虫などがいないと、子孫が残せないのだ。調べてみて、植物が自家受粉と他家受粉に分かれたのは当然のことかもしれないと思った。その理由は、どちらにもメリットとデメリットがあるからだ。「卵を一つの籠に盛るな」という言葉がある。この言葉は、物事を一つにまとめると、一つの失敗で全てを失ってしまって取り返しがつかなくなることを意味している。自家受粉と他家受粉にはどちらにもメリットとデメリットがあるので、全て自家受粉になると、その分リスクが大きくなってしまう。つまり、植物の世界でもリスク分散をしているのだ。
人間にとって、植物を育てることはみんなが簡単にできることだ。だからこそ、庭やベランダで育てている人が多いのだ。僕は、植物を育てるメリットが三つあると考えている。一つ目は、食べられることだ。野菜を育てると、実(例:トマト)、茎(例:アスパラガス)、葉(例:キャベツ)、根(例:さつまいも)、花やつぼみ(例:ブロッコリー)を食べることができる。このように、人間は植物のあらゆる部分を食べるのだ。二つ目は、花が綺麗なことだ。例えば、マリーゴールドは黄色で集合花として知られている花だが、見ているだけでうっとりする。三つ目は、成長が楽しみなことだ。植物は、花がさいたり、実ができたり、種ができたりする。その成長は期待することばかりでウキウキする。このように、植物の成長は、人間に良い影響を与えているのだ。人間にとって、植物を育てることは、健康に直結する行為である。「全力投球」という四字熟語がある。この四字熟語の意味は、持っている力の全てを出して物事にあたることである。これから、植物の成長を見守りながら、全力で栽培を楽しんでいきたい。
ふと窓の外に目をやると、僕の育てている野菜はまるで太陽とハイタッチするように葉っぱを伸ばしていた。
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小5の代表作品
AI森リンベスト10
島の法則とガラパゴス化
小5 あえたし(aetasi)
2026年2月4日
島に住む動物と大陸に住む動物とでは、体の大きさが違う。島では大きいものは小さくなり、小さいものは大きくなる。島に隔離された動物に見られるこのような体のサイズの変化の方向性が「島の法則」と呼ばれる。島の法則の一つの要因は捕食者の少ない環境と考えられる。そして大きいものは小さく、小さいものは大きくなり哺乳類として無理のないサイズに戻っていくことも、島の法則の一つの解釈とされる。さらに島の法則は人間にも当てはまりそうだ。
ぼくがこの話で一番印象に残ったことは、島の法則は人間にも当てはまることだ。ぼくは、夏休みの時キャンプに行く。行くキャンプの種類はさまざまで、時には大きなキャンプに行くし、時には小さいキャンプにも行く。ぼくは、この二つの違いに島の法則を発見した。大きなキャンプの時、ぼくはみんなと竹を切って流しそうめん、つまり大作を作った。しかし、沢山の人が参加したので、一人がやれることは、ハンマーで一回打つぐらいで、一人がやれる事は、少なく、もっと作りたかったと思った。一方小さいキャンプの時、ぼくは、みんなとすごい大作を作ったり大きなイベントはなかったけれど、一人ひとりが集中して、自分の作品を作った。木の馬や鳥、竹のかごなど様々だ。一つの作品を一人で完成させるので、一人でたくさんやれた。このように、大陸のように人数が多いキャンプは、偉人のような大作は出てくるが、一人がやれる事は少ない。島のような小さいキャンプは、一人がやれる事は多いから、みんなが成長できるのではないか。
島の法則は人間を含む生き物の身体の進化だけではなく、思考や生活様式にもあてはまると読んだことがある。お母さんは「日本の昔の携帯電話を「ガラケー」と呼ぶと教えてくれた。ダーウィンの進化論で有名なガラパゴス諸島のように独自の進化をして、外の世界と全く違う形に発展したから、ガラパゴス携帯、略してガラケーというのだ。日本では便利だけど、他の国では使えない機能も多いから、不便だね」と海外旅行で日本の携帯電話が使えず困った話をしてくれた。さらに調べてみると、日本のガラパゴス化の例はたくさんあることが分かった。例えば、日本のランドセルなどだ。ぼくが通う台湾の学校ではそれぞれ好きなかばんを使うので、同じ形のランドセルは存在しない。なぜ日本ではランドセルというかばんが普及したのか考えた。もしかして、日本では毎日たくさんの教科書を持ち帰らなければならないから、丈夫の形になったかもしれない。それに日本は歩いて登校するから、軽くて背負いやすく改良されていったのではないか。
台湾ではガラパゴスがあるか考えてみると、路上の屋台が思い浮かんだ。台湾では、普通の道端に小さな食べ物屋が店を広げて、道のわきのテーブルで食べているお客さんがいる。ぼくは台湾で屋台が多い原因は、台湾人は効率的に食べたいからだと考えた。屋台は、他の国では道端で食べることは不潔と思われるから一般的ではなく、早く安く食べることを優先する台湾独自の文化だと考えた。ぼくはガラパゴス化は文化のあらわれであり、視野が狭くなり外の世界が見えなくならないかぎり、止める必要はないと分かった。ガラパゴス化は島の法則と同じで、環境に一番適した進化をした結果だからだ。
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小6の代表作品
AI森リンベスト10
環境保護と環境破壊
小6 あこまき(akomaki)
2026年2月4日
筆者の家は自動車がやっと通れるぐらいの路地に面している。3年前まではその路地は様々な人や動物の散歩道として利用されてきた。筆者はよく、女の子や小さい男の子が草の葉を引っ張っている姿を見かける。彼らはこの道で地球のかけらを発見していたのではないだろうか。しかし、路地の工事が始まると、様々な草花は消え、道は車向きの道路になり、地球のかけらではなくなってしまったのだ。町中の雑草に対する人間の態度は時と場合によって様々である。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで気持ちいいわねぇ」と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草を血眼で引き抜いてしまう。人間は自然に対する態度が身勝手だと私は思う。
みなさんは自然保護とはなにかと、考えた事はあるだろうか。多くの人はあると答えると答えるのだろう。しかし、君が導き出した答えは正しいのだろうか。私は違うと思う。自然を保護するとは何なのだろうか。プラスチックの削減?地域のゴミ拾い?それはどれも間違っていない。しかし、現在の日本では、森を切り、家を作り道路を設備し、新しい敷地を作っている。それは果たして本当の環境保護だろうか。それは誰にもわからないのである。私は六年前に家族旅行で沖縄に出かけた。美味しいものを食べたり飲んだり、楽しんだ休日を過ごした。その中でも特に印象に残っているのは、瀬底ビーチという本島から橋で渡ると行く事が出来る小さな島だ。そこは人気ではなく、お店も地元の人がやっていてパラソルやシュノーケルを売っていた。波の音だけが聞こえてくるぐらいの静かさだった。海は透き通ったエメラルドグリーンの色をしていて、まるで水晶のような輝きを放っていた。熱帯魚や水底が見えるほどの美しさで私は心を奪われた。私が海に釘付けになっている時にある看板が目に入った。よく見てみると、その看板はある外資系ホテル建設予定地の看板だった。数年後にリゾートホテルを作る様だった。今、インターネットで瀬底ビーチを見ると、ホテルが載っている。現在の瀬底ビーチの様子はどうなっているだろうか。生活排水が海へと流れて汚れていないだろうか。もちろん、沖縄県の観光は大きな収入源で、ホテルなどを営業しないと生活に支障がでてしまう。しかし、生活排水を流すと昔の海の様に綺麗な海を保つことができるのだろうか。本当の環境保護とは、何なのだろう。それは、ビジネスや生活と、自然へ手を入れすぎないというバランスをとりながら行動することだと思う。経済成長が起きると海は薄汚れてしまう。だが、ビジネスをしないと生活が成り立たないのではないだろうか。本当の自然保護。それは本当に難しい事なのである。
みなさんはダスグプタ・レビューを知っているだろうか。ダスグプタ・レビューとは生物多様性と経済の関係を分析した国際的な報告書である。そのダスグプタ・レビューでは『自然は単なる景観ではなく、富を生み出す工場である』と書いている。この言葉は私たちが今現在、行なっている事は、利子だけでなく元本を削って生活しているという状態を示してくれたものだ。現在の世界は、環境と経済のバランスを崩しているのだ。この現実をみなさんはわかって過ごしていただろうか。なぜ、このようにバランスが崩れたのか、それはこれまでの経済学で森を切り倒して木材を売れば利益として計上される一方で、失われた二酸化炭素吸収機能や水源涵養機能は無料と計算されて来たからだ。この計算は間違っている。一方的に利益を得ているだけで、環境には悪影響を及ぼしているだけなのだ。みなさんはこの様なニュースを聞いたことはないだろうか。千九百九十八年に起きた中国・長江の洪水の災害のことだ。これは、敷地が欲しいあまりに上流の森林伐採を度が過ぎることにより起きた災害だ。森林の元の保水力が失われて大洪水が発生したのだ。数千人の犠牲者と三兆円にわたる被害が出た被害が大きい洪水だったのだ。このニュースについて私は、何事にもバランスは必要不可欠なのだと思った。環境と経済というバランスが崩れてしまうといずれ、世界は滅びてしまうのではと思った。何事にもやり過ぎはよくない。未来の事を考えず、後先を考えないのが一番良くないのではないだろうか。
人間にとって自然保護とは、自然を適切に保護すること、そして自然とビジネスのバランスを取ることだ。生きるためにはビジネスというものが必要不可欠で。絶景の場所にホテルを建て、客を呼べば儲かるに違いない。しかし、必要以上に手を加え、自然や環境破壊に繋がってしまったら意味がないと私は思う。汚染物が海や山などと言った自然を汚してしまうと元々の自然の姿には戻れない。だから、世界のバランスを考え行動し、経済と自然に一線を引くことが肝心なのだ。自然と人間の営みはまるでブーメランのようだ。自分たちの生活のために手を入れすぎてしまうと、環境破壊に繋がってしまう。それは因果応報だ。環境破壊によって地球温暖化や海面上昇、生物の生態系が壊れてしまうなどと言った我々人間にとって悪い影響をもたらすことになる。環境を保護するためには自然と経済のバランスが必要なのだ。みなさんも、環境破壊と環境保護。そのバランスはどこからなのか。そのことを少しでもいいから考えてみてはどうだろうか。
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中1の代表作品
AI森リンベスト10
本質的な問題に (清書)
中1 あさくに(asakuni)
2026年2月4日
要約:本質的な問題にどの点からどのように気付くかはその人が幼少期時代での家庭内の躾などによって決定づけられる。例えば幼い時から親に就寝時間を躾けられていたら、夜更かしすることなく順調に成長できる。やはりこの「躾システム」の中でも「教育」は必須である。なぜかというとこれを通し、子供は我慢し、自分の立場を自覚し成長する。筆者はこのような日々の自覚の積み重ねにより将来の判断力が身につくと唱える。昔の日本と違い、母親は手作り弁当を作らず、父親は仕事現場を見せず、ただただひたすらに外で稼ぐのみ。たとえどんなに貧しかろうと暖かい家族的な愛情のある家族がいると人間的にも進化できるのだろう。
私は本質的な問題解明能力の育成には家庭での愛と躾は重要だと思う。一つ目の理由として「愛は躾の一貫」だからだ。たまに洋菓子店で売られている、外は固いチョココーティングで中は円やかなミルクチョコのように、「愛」と「躾」の二つの事柄はある意味一つの「商品」なのだ。「商品」という名だが、保護者が配給しているので「配給物」に近い存在だ。そのチョコをガボガボ我が子の口に押し込み、飲み込ませることで成長していく。これが「愛」だ。その過程の中でちゃんと咀嚼させるかさせないかで、その子の人柄も変わっていく。鵜呑みにしてしまったら、何もわからずただただ「いい子ぶっている」に過ぎない。だが、しっかりと噛むことにより、自分の身に沁み、「社会のスタンダード」というスタートラインに立てるのだと思う。話が少々脱線したが、要するに「噛む」か「鵜呑み」かを決めるのが「躾」である。そもそも無邪気でわがまま、自由気ままの子供を厳しく教育するのは非常に難しく、親から見ても辛いことではないか。だが、「愛しの子供にはいい大人になってほしい」という原動力の元、牙をむいて躾ける。この子供目線から見た「過酷な修行」を乗り超えた後に、成熟してノルマを理解している理想の自分が待っているのだ。人間の幼少期実に素晴らしいと思わないか。「躾」という非人間的な言葉を使わずに終えぬほど、やんちゃで可愛らしい子供たち。皆に無限の可能性が広がり、希望で満ちている瞳を持っている。実は私自身も幼稚園の頃は通常の二倍ほどのわんぱくな幼稚園児だった。だが、母親の懸命な躾のおかげで、自分なりの型を生成でき、今に至る。必ずしも量だけが子供にいいわけではなく、噛むことも必要なものである。
二つ目の理由として、0歳から10歳までちゃんとしていたら後はたぶん大丈夫だと思うからだ。「たぶん」という言葉を使ったのは非常に客観的だが、例外もあることを頭に入れといてほしい。話がそれたが、前段落でも少々触れたとおり、ある一定の期間をしっかりとやっていたら、私の言う「型」、その人の人格が形を形成し始め、そのうち不動のものになるのだと思う。当然のことだが、この期間を過ぎた後も「躾」は必須だが、本格的な物はこの期間内だと思う。実際そう思っているかわからないが、ベネッセ教育総合研究所によると東京都の小学生の76%ほどが習い事をやっているそうだ。これは親の躾が生んだ愛の第一形態であり、非常に恵まれたことだ。もう一つ革新的なデータが、小学校の時は7割以上を占めていた「習い事勢」は中学校に入ったら4割以下までに落ちてしまったのだ。もちろん習い事を辞めたのは人それぞれ事情はあるが、やめたのは事実だ。
このように、「愛はしつけの一環」、「0歳から10歳までちゃんとできていたら後は多分大丈夫」という理由から私は本質的な問題解明能力の育成には家庭での愛と躾は重要だと思う。確かに少なからず保護者からは「愛と躾は必要ない」という意見が来るかもしれない。それらの要素が幼少期に存在しなかったら、縛られる「ルール」が無く、素質や才能が爆発して素晴らしいのは事実だ。しかしそんなに唯一無二の感性を「社会ノルマ」がないという単純だが決定的な理由で、他者と共有できずに損をしてしまうかもしれない。日本に昔からあることわざ、「親の甘茶が毒となる」で考えてみてくれないか。これは私が挙げた一つ目の理由に似ていて、「親が甘くしていたら子のためにはならず、時には躾という名の苦丁茶も飲ました方がいい」という意味で解釈した。私はまだ13歳で「子育て」という概念はほとんど無いが、「親の愛」について非常に考えさせられた作文でした。
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中2の代表作品
AI森リンベスト10
価値観の固執
中2 あおらえ(aorae)
2026年2月4日
文化もパーソナリティも少しずつ変化し、ときには大きく急速に変化しうるものである。社会が組織化されるとともに、権力者の安全と満足を求める欲望が支配的なものとなった。しかし、今日、高度に統合的な組織性を強めた社会では、構造的力動によって作り出される交換価値こそが支配者の地位につく。情報化社会にあって、交換価値としての文化のコードを敏速かつ広域に浸透させるのを補助するのはマス・メディアである。欲望を満たそうとすることは活動する原動力となっているが、実現が難しい時、欲から解放された際の心の休まりを思う。このとき自然の中に逃れ身を守ろうとするかもしれないが、文化的なものを拒んでしまうことは不可能である。
自分自身のもつ価値観に従って生きることは大切である。他人や、他人の意見に流されず、自分の本心に従って生きられる。アンデルセン童話には、みにくいアヒルの子という童話がある。アヒルの群れで醜いといじめられたひな鳥が家を出て越冬する。苦しく、死のうと白鳥の元へ行くが、水面に映る自分が白鳥だと気づき、悲しみから解放されるという話だ。アヒルの価値観に従って醜いと思っていたが、実際には醜いわけではない。他人の価値観に従うのは危険を伴う。また、日本では個人よりも集団が重視される傾向にある。海外では皆がそれぞれの意見を言いあうが、日本では指名されない限り発言しない人が多いと感じる。しかし、それでは議論にならない。自分の価値観に従うことは大切だ。
しかしながら、その時代の価値観に合わせて行動することも重要である。例えば、近年デジタル教育を重視している、などと謳う学校も出てきている。私は海外に住んでいたのでいつからかは分からないが、2023年に帰ってきたときには既に一定数そのような学校があった。公立小学校にも導入されており、授業でも多く使われていたのだが、確かに便利である。例を挙げるとすれば、道徳の問で皆の解答を共有したことがあった。共有することで議論がより容易になり、意見の整理もしやすくなる。また、時間割や持ち物が共有されることで必要なものが一目でわかるようになった。デジタル化の波がおしよせてくるなか、その波に乗ることも大切である。
自分自身の価値観も、時代の価値観も、時によって変わりうる。その変動に合わせて行動することも大切ではあるが、しかし「岸を見失う勇気がなければ、決して海を渡ることはできない」と小説家のアンドレ・ジッドは著書「背徳者」で語った。自分の価値観も、時代の価値観も、見失うこと自体は容易であるが、なかなかそれをする勇気がない。どちらか一方に従うことが多い。日本においては時代の価値観であろうか。しかし、偉業を成し遂げた人の多くは、自分の、周りの価値観に囚われずに、自由な発想をもっている。だからこそ、ある特定の価値観に固執せずに感覚的に考え、行動することが肝要である。アンドレ・ジッドはこうも言った。「書を捨てよ、町へ出よう」
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中3の代表作品
AI森リンベスト10
若者に託される選択
中3 かののん(kanonon)
2026年2月4日
現代はアイデンティティ不定の時代といわれている。ところが近代は、子どもから大人への変化期からこの単純な境目を取り払い、代わりに「教育課程」という、長い射程をもったシステムをあてがうことにした。そしてその結果、子ども期は、いくつかの段階を抱え持ちつつ、次第に大人になってゆく、「過程的な」存在とみなされるに至ったのだ。このように考えると、若者期は単なる通過点ではなく、自分のあり方を模索する重要な時間であるといえる。その時間の中でどのような経験を積み、どのように社会とか変わるかが、その後の自己形成を左右する。私は、社会の一員として役割を果たし、自分の軸を持てるような人間になりたい。
そのためには第一に、現実社会を直接経験することだ。私は、今年の8月頃から一年間、「AFS」という、世界平和のためのボランティアからなる団体で留学をする。この団体では、中高生であっても1人の社会の一員として扱われ、異文化の中で生活する責任を任される。先日開催された2泊3日でのオリエンテーションでも、このことを強く感じる出来事が沢山存在した。まず、このオリエンでは毎日10回以上のディスカッションが存在し、頻繁に発言を促された。たとえ自分がすらすらと語れないようなテーマであっても、自分から挙手をして発言しなかったとしても、一つの議題の中で最低2回は意見を求められた。初めは、普段の学校生活とあまりに違いすぎる環境に困惑してしまったが、何回も意見を求められているうちに徐々に自分の意見が固まり、自分の話したいことがすらすらと出てくるようになった。初めは他の人が発言している最中、自分の頭の中で繰り返し内容を練習しなければ、話すのが難しかった。しかし、最終日には、頭の中で準備をしなくても自然に言葉が出てきて、自分の考えを自分の言葉で伝えられたことがとても嬉しかった。この経験から、自分の意見を持ち、それを社会の中で表明する力は、教えられるだけでなく、責任ある場に置かれることでこそ育つのだと実感した。
また、第二に、社会は、若者に重要な役割を積極的に託していくべきだ。私は現在、学校で「ソーシャルチェンジ」という探求学習プログラムに取り組んでいる。これは、私たち自身が身近な社会課題を見つけ、その解決策をグループで考え、発表するもので、各校の代表が全国大会で競う「クエストカップ」へとつながっている。私たちは、「トー横キッズ救出プロジェクト」という題で、ニュースの中だけの存在になっている、私たちと同世代の子どもたちをどのように支援出来るのかをテーマに選んだ。正直に言えば、初めは皆、めんどくさい、やりたくない、学校の課題だから仕方なくやるという雰囲気だった。テーマも他の班より難しく、私たちとは全く異なる生活をしているトー横キッズに対して、何が問題で、何ができるのかすら分からず、意見はほとんど出なかった。しかし、付箋に一つずつ考えを書き出し、話し合いを重ねるうちに、「分からないからこそ考える必要がある」という意識が芽生え、少しずつ議論が深まっていった。その結果、当初は最も進みが遅く、先生に心配されていた私たちの班がクラス代表に選ばれ、全国大会へ進出することになった。このように話を進めていくうちに、社会について考えることが大人の一員になるということなのかと気付かされた。しかし、この気づきに至るまでには、個人の意識だけでなく、若者が社会的な課題と向き合える環境の存在が大きいと感じる。学校という、誰もが通る身近な場所でこのような経験ができるからこそ、若者は社会と自分との関わりを実感し、自らの役割を考えるようになるのではないだろうか。
確かに、世の中が複雑になると、子どもという期間が長くなる傾向はある。しかし、『鉄は熱いうちに打て』という言葉があるように、人は柔軟で吸収力の高い時期にこそ、大きく成長する可能性を秘めている。だからこそ、若者を「まだ子ども」として社会の外に置くのではなく、責任ある役割と実社会を経験できる環境を与えることが重要なのだ。現実社会と関わりながら考え、発言し、行動する経験の積み重ねこそが、アイデンティティ不定の時代を生き抜くための確かな軸を育てる。社会が若者を信じ、託すことによってこそ、若者は自らの役割を自覚し、真の社会の一員へと成長していくのではないだろうか。
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高123の代表作品
AI森リンベスト10
旅をする
高1 あうては(auteha)
2026年2月4日
私は旅をするべきだと思う。
第一の方法は情熱を持つことだ。ルーティン化した生活を日々淡々とこなすだけでは人生において最後に残るものは少なくなる。半義務化された仕事を毎日繰り返して一生を終えるのはつまらない。それよりも、小さな事、大きな事、あらゆることにおいて非日常を望み、変化を求め、冒険心や希望の封印を解き、身を委ねる方が生まれる喜びは大きい。その一つに旅がある。新しい場所、新しい文化、何もかもが異なる世界に触れられる。これは非日常以外の何者とも呼べないだろう。いつも通りに朝起き、いつも通りに学校に行き、いつも通りに帰る1日と、旅行先の新しい国で様々な驚き、感動、楽しさに満たされた1日、この時間的には全く同じものは自分自身にとっての重みという点で全く異なる。一方が一生に一度の経験の連続であるのに対し、もう一方は何日も何日も延々と続く同じような日々の一つに過ぎない。私たちは変化を求めようとすればいくらでもそれは可能である。帰宅中に大きな駅で散歩をしてみるだけでも新鮮な驚きが得られるだろう。肝要なのは、変化を熱望する情熱を持つことだ。
第二の方法は打算的にならないことである。旅というのはとてもお金のかかるものだ。お金の事を考えれば旅をする時間で仕事をした方がよっぽど効率が良い。スマホを買えばお金を失う代わりにスマホを得られる。しかし旅というのは高額なお金を消費したところで何かを得るわけでもない。打算的に考えれば旅なんてしない方が良いのだ。けれども植村直己はなぜ五大陸の最高峰に登ったのか。加藤文太郎はなぜ冬の挑んだのか。冷静に考えれば危険極まりない行為である。エベレストの頂上に金鉱があったわけでももちろんない。彼らを突き動かしていたのは打算を抜きにした冒険心であったのだろう。リスクとリターンを冷静に分析すれば、命を危険にさらしたところで何も得られない冒険なんかには挑まない。しかし、自分のコンフォタブルゾーンを超えて、限界に挑戦することで、お金では得られない充実感、経験により人生を豊かで満足のできるものに作り変えていける。
確かに日常抜きには非日常は成り立たない。日々の仕事があってこその軍資金だ。現代社会ではお金なしで移動をすることは極めて困難だ。お金があってこそ旅ができる。しかし、かといって日常から抜け出さず、非日常の世界をのぞいてみないのは非常に勿体ない。人生において大事なのは経験である。お金をいくら貯めておいてところで最期には自分にとっての意味失う。例えば私たちが車を買う時、実際には車によって得られる経験を買っているのだろう。そのように考えれば商品のあるなしに関わらず、旅をすることはそれ自体が唯一無二の意味を持っている。私は旅先で現地の市場に身を置いて日本とは全く違う雰囲気、ざわめき、人々の接し方に、色々な心に響くもの、感じるものがあることに気づいた。人生において最後に残り、意味を持つのは自らが経験し、蓄積されてきた数々の驚き、感動、悲しみ、喜び、怒りだ。旅をすることでしか得られないものが確かに存在している。
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