毎月の森リン大賞
森リンの丘
毎月10日以降に、前月の森リン大賞の代表作品を選定します。
順位は、思考・知識・表現・経験の点の平均点で表示していますが、総合点は、この平均点に均衡点を加えた点数になっています。
小1の代表作品 2026年6月分
AI森リンベスト10
かえるをつかまえたよ!
小1 あけます(akemasu)
2026年6月4日
5月17日に、みよしのごうの川でぼくとお父さんとおねえちゃんといっしょにかえるを1ぴきつかまえました。お父さんが、
「ここにかえるがいるよ。」
とおしえてくれました。こわくて手でとれなかったから虫とりあみをかぶせました。ぼくは虫とりあみの中にいるかえるを見てうれしくなり、おもわず、
「よっしゃ。」
とさけびました。そのかえるは、『ふたりはいつも』の絵本に出てくるがまがえるくんみたいでした。かえるがゲロゲロないているのが、どこなのか見てみたかったから、つかんでみようかなとおもいました。そのかえるはぬるぬるしていました。あとぷにぷにしていました。さいごにかえるを川にはなすと、ひらおよぎですいすいかえっていきました。そんなかえるを見て、ぼくはすごいなとおもいました。つぎはクワガタを見つけたいです。どうしてかというと、かっこいいからです。にじいろのカメレオンも見つけたいです。
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小2の代表作品
AI森リンベスト10
元気な音楽会
小2 かほ(akaoho)
2026年6月4日
昨日、きらめきホールで、お父さんとお母さんと妹と私の家族で、吹奏楽のコンサートを聞きに行きました。一番楽しかったのは、最後に踊ったマツケンサンバです。マツケンサンバは、二本のキラキラなマツケンスティックを使ってかっこよく踊る曲です。
マツケンサンバを吹奏楽の人皆さんが弾いてくれている時、
「マツケンサンバは、四拍子かな。」
と私がわくわくしてお父さんに聞いてみると、
「うーん、四拍子し分からないけど、たぶん四拍子だと思うよ。」
とお父さんが耳をすませて悩みながら答えてくれました。するとお母さんが手を叩きながら、
「マツケンサンバは四拍子じゃなくて二拍子だよ。」
と元気よくはっきりした声で教えてくれました。演奏を聞いていると、まるで本当の音楽より迫力があって、素敵なダンスを踊りだしたくなるような曲でした。
もし私が、吹奏楽に興味がなかったら、大きくなって目についていたかもしれません。どうしてかというと、吹奏楽には、いろんな面白い楽器がたくさんあるからです。その楽器の中でも一番私が面白いと目についたものは、トロンボーンです。トロンボーンは、スライドを引くことで音の低さと高さが変えられる楽器です。私は、トロンボーンみたいなスライドを引く楽器が好きです。
私が吹奏楽が興味があることを気づかせてくれたのは、吹奏楽団の人達です。私は、これからも色々な面白い楽器が見つけたいなと思いました。
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小3の代表作品
AI森リンベスト10
遠くへたびをする鳥を読んで
小4 あさりゆ(asariyu)
2026年6月4日
ぼくがこの話を読んで一番がんばっているな、と思ったのは冬鳥の話です。冬鳥は秋になると、北の国から日本にやってきて冬の間じゅういて、春にかえっていく鳥です。ぼくはシベリアの冬は寒くて、虫や魚がへって食べ物に困るからかな、と思いました。日本の
夏は暑すぎていられないから春にかえっていくのかな?長い距離を飛ぶのは大変だなぁと思いました。ぼくの好きなシロフクロウを図かんで調べてみると、シロフクロウも同じ冬鳥でした。シロフクロウは、カナダやグリーンランドから秋に北海道に渡ってくるそうです。ぼくは、家によく遊びにくる鳥も図かんで調べてみることにしました。白と黒のスズメににた鳥です。それは、コガラでした。コガラは一年中同じ場所でくらす留鳥だそうです。
もし、このまま地球温だん化が進めば、北の国の冬が寒くなくなって、冬鳥は日本にとんで来なくなるのかなと思いました。家によく遊びにくる留鳥も、もしかしたら凉しい場所に引っこしをするかもしれません。ぼくは絶対に地球温だん化になってほしくないと思いました。
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小4の代表作品
AI森リンベスト10
監視係がんばります!
小4 あきゆき(akiyuki)
2026年6月4日
監視係をがんばります!
「ギャー!!ママー!!」
私はその数字を見てさけびました。やばいと思ったからです。
「やばっ!!!」
パパも自分の乗った体重計を見て呆然としていました。パパもやばいと思ったのでしょう。
私のパパの体重は三けたになりました。私は体重計を見てどぎもを抜かれました。ママはパパの体重が三けたになったと聞いてめんくらった様子でした。
私のパパは、とにかくでかいです。まるでアラジンのジーニーの様です。身長は百八十八センチ、体重百キロ、そして足のサイズはなんと三十センチです。
靴屋さんに行ったときは、まず私は30センチの靴探しをします。三十センチの靴はまるで小さな船のようで、一寸法師なら10人は乗れそうな感じです。見つけたらパパに持っていきます。なぜならどうせ探してもそんなにないからです。やっぱりパパの靴を買うのは、大きい靴屋さんに行かないといけないなあと思います。
そんなパパの血が混ざっているから、私のお姉ちゃんは、足が大きくて、男性用の所から靴を探す事もありますし、私が大人の所から自分の靴を探しに行く事だってたまにあります。
パパは昔、バスケットボールをしていましたが、今はゴルフばっかりです。どうしてかというと、事件が起きたからです。私が習っていたミニバスで、パパがお手本として試合に出てたときのことです。パパが急ストップしたとき、足のアキレス腱がブチっと切れてしまったのです。おそらくパパの体重が重すぎたのでしょう。
私が幼稚園の頃、パパが私を自転車にのせて毎日幼稚園に連れて行ってくれました。私はその間、パパの大きな大きな背中に数字を書いてパパにその数字を当ててもらうゲームをしました。
たまにズルをして、すごくちっちゃく書いたりもしました。そのせいでパパは6と0をよく間違えました。
そんな幼稚園への道も楽しかったです。
こんなでかいパパでも、ちゃんと難しそうな仕事をしています。パパの仕事は心の医者です。私はパパに聞きました。
「心って目に見えないし取り出せないのにどうやって治療するの?」
と頭からはてなマークが出そうな感じで聞きました。パパは半分寝ていたけど、
「じっくり話を聞いて、その人が困っていることを理解して、それに対してお薬をつかったりするんだよ」
と寝言のように言いました。
うちの家族は眠たがりで、特にパパは家の中でよく寝る人です。家の中のいろんなところで寝れるので、きっと木の上とかでも寝れると思います。パパにはいろんな顔があります。真面目に仕事をする顔とか、今みたいにうたた寝している顔とか、その中でも一番私が好きなのは笑いすぎて笑いが止まらない顔です。私は、パパには健康でいてほしいから、体重を二けたに戻してほしいから、そのために私はパパがつまみ食いとかジュースを飲んだりしていないかまるで、監視カメラのように監視することにしました。そしてとうとう三けたになった体重も今はまた二けたに戻りました。これからも私は監視係をがんばっていこうと思います。
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小5の代表作品
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楽しい先生
小5 いましく(imasiku)
2026年6月4日
「あらしふくーみむろのやまのもみじばはーたつたのかわのにしきなりけりー」
私が二年生の時、朝の会の前に百人一首をしていた。学習ペアと机をひっつけて一対一の真剣勝負をした.先生が百人一首の俳句をよんで、よく聞いて手を「バッ」とのばして、対戦相手よりも札を多くとった人が勝ちというゲームだ。二年生の時担任だったみかこ先生は、すごく元気で一緒にいるだけで楽しくなる先生だ。休みの時間に予定がなければ、一緒に遊んでくれたりもした。私のクラスは,やんちゃな男の子が何人もいる。だからポケッとしているときは,みかこ先生が真剣に怒らずに楽しませながら注意していた。すごくメリハリのある良い先生だ。
私は何かを集中して,覚えるのが得意だ。だから百人一首は一札一札を覚えてとるというのが、大体の目的だと私は思っている。だからとても奥深い趣味にもなった。最初は「どういうゲームなんだろう?」と分からなかったからクラスで一番真面目な男の子が横ずなで五回勝って、賞状をとった。私はそれがとても悔しくて百人一首の紙が入っているファイルを毎日読んでたまには家でじいちゃんとばあちゃんと対決をした。そのおかげで私は本気になって横綱というテッペンまで届いた。しかしここで5回連続で勝たないといけない。試練はここからだった。だから家でお母さん、お父さんにファイルを渡して、言うという練習方法をふやした。それをやっていくと、どんどん強くなって横綱で5回勝つことができた。負けても次は絶対勝つぞ!と言う気持ちで、たくさん練習した。すると、横綱で4回も勝つことができた。賞状をもらったときは、すごく達成感がでて嬉しかった。まるで、いきたかった大きいお店にいったぐらいのうれしさだった。
おかあさんに聞いた話で、5年生の時の先生は、みんなを笑わしてくれる先生で母は、今でも印象に残っている先生だそうだ。「オオカミがトイレに行ったら、おお、紙がないぞ」といった。「あははははは。」私は、そんな先生がいたら学校が楽しくなるだろうとおもった。
先生は授業で怒ったり注意したりしているけれど、本当はわたしたちのために笑わせたり怒ったりしているんだと言うことがわかった。「賞状、しづく殿、あなたは百人一首で見事に勝ち越したのでここに称します。令和5年〇月〇日、奥村ミカコ。おめでとう。」「ありがとうございます。」「しいちゃん、おめでとー。また一緒に練習しよ。」「いいよ。」一位の取り合いがまた始まった。
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小6の代表作品
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日本産トキの(感)
小6 あきらほ(akiraho)
2026年6月4日
人間の良識とは、激減している動植物に対し早急に保護の手を差し伸べることだ。しかし絶滅寸前まで放置した後で救済努力を傾注することには矛盾を感じる。戦争を挟み戦後は自然保護と経済発展のはざまで揺れ動き必ずしもその機能を果たしていないのが実情である。アメリカが自然保護先進国になった一因として他国より早く自然を破壊していたとも考えられる。「カマキリ」の飼育観察ができる東京にささやかな幸せを感じる経験だった。
私が四年生の時、家の近くの森でカブトムシを父と一緒に捕まえにいったことがあった。特に心が躍ったことは夜、緑地公園でカブトムシを探していると、オスと、メスの黒光りしたカブトムシが二匹電灯に止まっていたことだ。なぜ嬉しかったかというと、体の色が黒光りしているカブトムシは幼虫の時に豊富に栄養を含んでいる土をたくさん食べていないと体の色が黒光りせず、かなり珍しいカブトムシだからだ。私はこの美しく光るカブトムシが好きで、更に二匹偶然発見したことで父とともに飛び跳ねながら喜んだ。しかしながらいざ家で飼育するとカブトムシは夜は羽音がうるさく、睡眠の邪魔をされることや、ケースを緩く締めたせいで夜中に脱走したりしてしまっていたこともあり、まるで世話の焼ける小さな弟のような存在に感じた。だが、カブトムシをじっくり観察して絵をかいたり、触ってみたりすると、図鑑の中ではなく実物の昆虫の生体に触れることができとても興味深かった。しかし去年の夏、カブトムシを取りに父と一緒に緑地公園を訪れ、連日にわたってカブトムシを探したが、一向に見つからなかった。カブトムシの数が激減した理由として考えられるのは、カブトムシを探しに行ったとき、夜中にもかかわらず昆虫を採集しているらしき人が多くいたことではないだろうかと考える。おそらくカブトムシを含む昆虫の取りすぎが有力ではないかと推察される。私は自然を守ることは、自然のものを取らないことが最良の手だと思うが、しかし自然に親しみたい人が、気軽に自然を感じられなくなるというのは、あまりにも寂しい限りだと思う。だから市の方で入場制限をするといった対策をとることが好ましいのではないだろうかと考える。
先日、下校中に、友達が不意に「地球温暖化と、長年の化学的な農薬の多用で、はちの数が減り、人間の食糧問題に影響を及ぼすんだって。」と真剣な顔で話しかけてきた。なぜそのようなことにまで発展するのかと問うと、友達が言うには、はちがいなくなると植物を受粉させることを担う生き物がいなくなり、人間が食べる農作物は、壊滅的な被害を受け、野菜、果物、コーヒー、カカオなどが採れなくなるという話だった。そしてこの傾向は年々悪化しており、この現状を打破できていないと言う事だった。私はこの話を聞いて、普段気にも留めていなかった昆虫が、実は重要な役割を果たしていたと言う事が分かった。そしてこの問題を世間に広めることで、はちの重要性を広く知ってもらいこの問題を改善していきたいと思った。
人間にとって自然とは必要不可欠な存在だ。そして自然と、人間の関係は、まるで天秤のようなものだと思う。何故なら自然が偏りすぎると、私たちの暮らしが不便になり、経済の発展が遅れてしまうという問題が出てくる。逆に自然の破壊が進むと、動植物の生態系が崩れ、何千年にわたってきた種の歴史がとだえてしまう。だから、人間が生きていく中で、どちらにも傾いてはいけないバランスがあるのだと思う。他にも、自然保護先進国にならないために、まず先に考えることは目先の利益ばかりを追うのではなく、自然の重要さを見失わないことも重要だ。これからの未来へ向けて自然を残していくために、私は自然を壊す恐れのあるものに関心を持ち、本を読み、知識を深め、自然の大切さを身近な人たちに伝えれるようになりたい。
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中1の代表作品
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「知る」からではなく、「見る」から始める
中1 はる(akiiko)
2026年6月4日
「知る」からではなく、「見る」から始める
「見テ知リソ 知リテナ見ソ」この言葉は、まず、自分の目で見て、それからいろいろ知識を仕入れなさい、最初から知識を頭にいれて、それから見てはいけない、という意味である。私たちは何かを見たり経験したりする前に、すでにそれについての知識や情報をたくさん持っている。しかし、先入観というフィルターを通して物事を見てしまうと、その対象が持つ本当の姿や真実の価値を見落としてしまう危険性がある。情報が溢れる現代だからこそ、私たちは頭の中にある知識を一度白紙に戻し、目の前にある現実をありのままで受け止める柔軟な姿勢を養わなければならない。知識に心を縛られず、常に新鮮な目で世界を観察し続けることこそが、本当の意味で物事を知るための第一歩なのである。
知識にとらわれずに物事をありのままで見ることは大切だ。大人の言うことやネットの情報をただ正解だと思い込んでいると、目の前にある本当の面白さや真実を見落としてしまう。私たちはいつから、自分の目ではなく他人の言葉で世界を測るようになってしまったのだろうか。思い込みを捨てて自分の目と耳で確かめることで、見慣れたはずの世界はガラリと鮮やかな姿を変える。
第一に、見た目の印象や「こういうタイプの人だろう」という勝手なイメージだけで判断してしまうと、その人の本当の性格や本質を見誤ってしまうからだ。私たちは知らず知らずのうちに、外見や第一印象という都合のいい「引き出し」に相手をパッと放り込んで、分かった気になって安心しようとする。調べてみたところ、人間には最初に入ってきた情報の印象がずっと強く残ってしまう傾向があるらしい。実例として、新学期に始まった英語Aの先生のことがある。その先生は、パッと見は「まともで爽やかそうな大人の男性」という雰囲気だった。だから私は最初、優しくて良い先生なんだろうなと勝手に思い込んでいた。しかし、実際の授業が始まると印象は180度変わった。口癖の「こうだから、っ『ね』!」という独特なフレーズを連発しながら、すごく冷ややかで嘲笑うような態度で私たちを叱るのだ。「いや、君たち言っちゃ悪いけど、他のクラスと比べて1組が一番遅れてるし、切り替えが遅い。うるさいよ?そこんとこもう少し考えて?ね?」と、ネチネチと過去の先輩や他クラスを引き合いに出して突き放すように言う。クセが強すぎて、叱るならもっとガツンと正面から叱ってほしいのに、とモヤモヤした。もし「見た目がマシだから」という最初のフィルターだけでその先生を見ていたら、その冷徹さや性格のきつさに気づけず、ただ表面的な印象に騙されたままだっただろう。白紙の状態で相手の行動そのものを見るからこそ、外見の枠を飛び出した本物の姿が見えてくる。
第二に、他人の評価や一般的なイメージという固定観念に縛られないことで、物事の本当の価値や、その裏にある本物の努力に気づくことができるからだ。世間が決めたカテゴリーを正解にしてしまうと、その中身にある真実を見失ってしまう。これも以前に本で読んだのだが、昔の哲学者はこのような先入観のことを、人間の目を曇らせる「偏見の幻影」のようなものだと警告したそうだ。実例として、私が所属している合唱部の日々が挙げられる。世間一般では、合唱部といえば「文化部でおとなしく歌っているだけ」というイメージを持たれがちだ。しかし、私たちの部活の実際の作業内容は、ダントツで運動部並みだ。美しい声を響かせるためには強靭な肉体が必要で、毎日一時間以上の筋トレをこなし、体幹を鍛え、徹底的な発声練習を行っている。そのハードさは伊達ではなく、学校の部活対抗リレーでは毎年一位を走り続け、今年でなんと五連覇を達成した。周りの運動部が驚くほどの圧倒的な体力が、実は合唱部には備わっているのだ。そして、この泥臭い筋トレや基礎練習の積み重ねがあるからこそ、私たちは全国一位という結果を掴み取ることができた。もし「合唱部は文化部だから」という事前のイメージだけで見ていたら、この凄まじい努力の量や、歌にかける本気の熱量には絶対に気づけなかったはずだ。イメージという殻を破って中身をありのままに見るからこそ、真の強さが見えてくる。
もちろん、教科書の内容や大人のアドバイスを頼りにすることは、効率よく安全なルートを探すためには必要なことだ。過去のデータを知っていれば、無駄な失敗や致命的な落とし穴を避けることもできる。しかし、それは歩く方向を教えてくれるコンパスであって、自分の足を縛り付ける鎖にしてはいけない。誰かが用意してくれた「正解」ばかりを歩いていては、自分だけの新しい景色に出会うことはできないからだ。
私の好きな学校の別の先生が、授業中に「辞書に載っている意味が、そのもののすべてじゃないよ」と言っていた。この言葉の通り、私たちは頭の中にある見えないフィルターを通して、勝手に世界の鮮やかさを薄めてしまっているのだと思う。既製品のイメージだけで満足することは、世界を半分しか見ずに生きているのと同じではないだろうか。
だからこそ、私たちは誰かが作った枠組みや、目から入る最初の印象に頼り切るのではなく、目の前の現実を自分の心でまっすぐに受け止める勇気を持つべきだ。溢れる情報に流されず、自分の感覚を信じて立ち止まることこそが、本当に「自分
で考える」ということなのだと確信している。
教わったことや外見、世間のイメージに惑わされず、先入観のない透明な目で世界を見つめ続けること。それこそが、自分の世界をどこまでも広げていく、中学生の私たちにとって一番大切な学びなのだと思う。
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中2の代表作品
AI森リンベスト10
科学における発想と倫理 (清書)
中2 あさくに(asakuni)
2026年6月4日
感想:私は最近「非合理的な情熱」というタームを見て以来、今までずっと脳裏をよぎります。現代の効率化され、何故かすべて丸っこくなった建造物を目にしたときはその言葉が私の目前に現れるような感覚を覚えます。なぜこの言葉が私にこれまでも影響したか理由を熟考しているとふとある理由がポッと現れました。それはと言いますと、私はこれまで一度も情熱が一切活用できない揺らぎまくっている炎だと考えたことがなかったからである。よくテレビの特集やインタビューに応じている人々はあたかも情熱をうまく利用して、彼らが今いる境地にたどり着けたかのように言及する。しかし、情熱という言葉の前に、非合理的という言葉が入ることにより前述した意味のほとんどが否定されるのである。本当の情熱は制御不可能な暴走しまくりの聖火であり、人を苦しめたり、助けたりするのである。私がこの言葉に感銘を受けたときと同じようにこの著書を読まれた方々は科学も技術も案外人間的だったことに衝撃を受けていることだろう。しかし、印象に残って記憶の中で生きているよりも、この事実を活用し、自分の人生をより豊かにするのがこのようなアドバイスや教訓の本質なのではないか。私もこの本書で知った事実を活用し、宿題などで苦戦した時はこの人間的なデータ活用方法を実践でも使用しようと思う。
まず第一に理屈に縛られない直感の良さは唯一無二であるという所にある。人間は元々他のすべての生物同様、気まぐれで曖昧なのだ。なので当然倫理的思考は昔はできなかったし、今でも常にやるというのは至難の業だと思う。よってこのような時間のかかる作業を省き、多くの人は日常的に閃くのである。この近代社会の呪縛から解放されたアイディアは常に新鮮で、ユニークである。この輝かしい一つの卵が出てきたとき、本書と同じように論理的思考で余白を埋めるという温め方をしたら、無事に雛はかえるのだ。実は私も同様な手口で困難を乗り超えた体験がある。私は約4週間前に英検一級を受験してきたのだが、英検一級の一次試験には3つの項目があり、その一つがライティングなのだ。このライティングにも厳格な規則があり、「イントロダクションの後に3つの理由が入り、最後に結論」という後世でなければならないのだ。もちろん試験二か月前から対策をしてきた私だが、いざ実際やってみると気持ちが上がってしまい、最初の15秒間はほとんど考えられなかった。そしたらふと開き直り、直感で思いついた3つの理由を論理的に書いて乗り切ったのだ。本当にあの時の自分の直感には感謝しており、そのおかげで無事1次試験に合格できたのだ。この経験をした後初めて根拠のないあてずっぽと過去の経験に基づいた直感の違いを実感した。
しかし、論理的思考にも万人に受け入れられ、客観性の強いという長所がある。確かに直感は全ての種かもしれないが、正しい育て方をしないと死んでしまうのだ。自分だけのアイディア、自分しかわからないアイディアをそのまま無防備で外の世界へ放り出すともちろん誰にもわからないし、滑稽だと認識され人々に見てももらえない。このような時に使える伝達手段の一つが論理的思考である。人それぞれにはその人独自の考え方があり、それは思考の多様性を生んでくれる素晴らしい事である。しかしながら、それが正しい方法で解釈されないと意味がないのも真実だ。論理的思考は皆のわかる形で全てをまとめてくれて、万人に受け入れられる特性がある。これをどんな発想にでも紐づけることにより、客観性と万人受けという鬼に金棒で、意思の伝達はより安易なものになるだろう。
確かに直感の唯一無二さと論理的思考の万人受けはどちらも捨てがたい特賞ではあるが、一番重要なのは個々の「非合理的な情熱」による閃きではないだろうか。何事も説明書が無いと始まらないのと同様に、閃き、考えの種が無いともちろんその後は無い。しかしながら、その小さな輝く種があると筆者が述べていたような「人間的数値やデータ」を駆使し、穴埋めが可能となる。だが、私が考えるには「閃き」は「運」という火薬により動いていると思う。なのでここで私が提示したいのは、全てを運に託して閃きが降りてくるのを待つのではなく、より多角的なアプローチも必要という点だ。その多角的アプローチというのは、論理的追及の採用だ。「でも、ちょうどさっきそれは余白の穴埋め様だといったじゃないですか」と言われるかもしれない。だが、このツールの長所は様々な場面で活用できる所だ。余白の穴埋めのみならず、もう一つの視点として使えるのだ。非合理的情熱はまさに暴走する炎のようだといったが、それとは対照的に論理的思考は風のように爽やかで、人にも操れるのである。この非合理的な情熱による地熱発電と論理的思考の風力発電のまさに「二刀流」で人々の思考、生活、そして世の中がより豊かなものになることを願う。
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中3の代表作品
AI森リンベスト10
世界の中で生きる(清書)
中3 あかるら(akarura)
2026年6月4日
私は自国の利益だけでなく全地球的な利益を考えられる人間になりたい。
その方法として第一に、好奇心を持つことが挙げられる。近年のSNSの影響か、一つの物事に過度に集中している人々が多いと感じる。確かに人の価値観や好みは多様であるものの、それは他方、広い視野を持っていないとも言えるだろう。これでは自国だけでなく他国も含めた「地球」的な利益の考えられない状態に陥りかねない。例えば、私の友人の一人に区の子供会議がきっかけでアメリカへ飛び立った人がいる。彼女は幼いころから知的好奇心やチャレンジ精神に溢れており、それが会議への参加の動機になったのだろう。長年の活動の末、彼女は区の子供会議で提言をまとめ、ついに代表者としてアメリカで発表するという貴重な経験を得ることができたのだ。様々な活動は受験に備えたものだと考えることもできるが、これは決して外的要因では成し得なかったことだろう。これはさらに彼女の視野をより広げたことに間違いない。もちろん、好奇心さえあれば良いというのではない。その好奇心を発揮するステップを確実に踏まなければ、目標は達成されない。世界でも通用する教養と好奇心は世界に羽ばたくためのエネルギーに、そしてそこで得た広い視野が地球全体の利益を考えることに繋がるのだ。
第二の方法として、相手との新しい関わり方を考えることである。日本では「同調圧力」が根強く残る。だからといってすぐに議論を始めれば良いというのでもない。相手の話に聞く耳を持たず、自論ばかりを展開していても意味がない。これでは未熟者と捉われかねない。私の学年でも、ディスカッションなどの協働的な活動の際、相手の考えを厳しく非難する人がいる。時にその批判から解決法が導かれることがあるが、自分以外を集中的に攻撃する姿は目に余る。どんなに魅力的なアイディアが出ていたとしても彼女の好みで決定されてしまったことも少なくない。全地球的な利益を考えるためには自国だけでなく他国を考える、つまり、自分と相手について考慮する必要がある。だからこそ、目の前の相手との接し方を見出すことも全地球的利益を考える方法の一つではないか。確かに「敵のいない人はいない」と言う人もいる。しかし、初めから決めつけず、自分から常にオープンにいることが仲間を増やし、最終的に見方を広げるのだ。これは国境をつなぐ第一歩になるだろう。
確かに、自国の利益がある程度なければ、全地球的な利益は考えられない。近年まで話題になっていたSDGsが存在感を弱めているのも、相次ぐ戦争や災害で余裕を失い、自国の安全と利益を追い求め、世界全体が共有する長期的な課題に目が向いていないからだろう。 世界を見て思考を広めるには世の安定も必要なのかもしれない。しかし「国境線は見えなかった。見えたのは、ただ一つの美しい地球だけだった。」という言葉がある。「自国」という区分も必要だが、必ずしもそれに従えば良いというものではない。皆の利益を追い求めた国際協力こそ国境を越えて行われるべきである。どの国も短期的なトラブルで頭を悩ませている今だからこそ、新しい視点を投げかけるために、全地球的な利益を考えられる人間に、私はなりたい。
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高123の代表作品
AI森リンベスト10
自立しない若者
高2 ヨーヨ(waoho)
2026年6月4日
施肥が十分な茶の木には花が咲かないが、放置され栄養不足になると子孫を残すため一斉に花を咲かせる。また、茶園では変種を防ぎ品種を維持するため、種子ではなく「挿し木」や、枝を折って土に挿し発根させる「取り木」で増やすのが一般的だ。現代において、恵まれた環境で苦労せずに自立しない若者が増えているのが問題だ。
その原因として第一に、物や情報が最初から最適化され、失敗と格闘する「過程」が周囲から奪われているからだ。すなわち、現代のデジタル社会では、最初から「正解」が用意されすぎている。例えば、プログラミング教室に通う僕自身の経験がその最たるものであろう。最近では、コードを生成AIと紐づけ、自動でプログラムを適用できる便利なシステムがある。僕もたまに活用するのだが、コードが複雑になればなるほど、不具合が生じた際の修正箇所が多くなる。しかも、AIはなぜか高度なコードを書くため、自分に本当の実力がないとバグを修正できないという致命的な事実に気が付いたのだ。確かに、AIという恵まれた環境に依存すれば効率は良い。だが、自分で一行ずつコードを書いてエラーを出し、数時間かけて泥臭く直すという「苦労の過程」をスキップし続けていては、本当の解決力は身につかない。つまり、便利なものを補助として使わず、苦労を避ける盾にしている社会は、若者が自力でトラブルを乗り越えて「自立」するための心の筋力を奪ってしまいがちなのだ。
第二の原因として、一度の失敗も許さない「減点方式」の社会が、人間の防衛本能と最悪の形でマッチしてしまっているからだ。本来、人類の長い進化の歴史を振り返れば、原始の時代において、未知の領域への挑戦や失敗は即座に「生物的な死」を意味していた。そのため、私たちの脳には「危険を冒さず、安全な縄張りにしがみつくこと」を正解とする生存戦略が刷り込まれている。ところが現代社会は、餓死するリスクがほぼゼロであるにもかかわらず、一度の失敗がSNSでの炎上や社会的な孤立に直結しかねない冷徹なシステムになっている。このような現状において、若者が「恵まれた親元や安全な環境」に依存し続けることは、生物として極めて合理的な防衛反応であると言わざるを得ない。結局、過程を認めず結果だけで人間を裁く社会では、若者に自立というリスクを冒せという方が無理な話なのだ。
確かに、厳しい現実から目を背け、ぬるま湯のような環境に甘んじ続ける姿勢は克服されるべき課題だ。しかし、「雨降って地固まる」というように、人生の真の自立とは、多くの失敗や苦労という「雨」を経験するプロセスを経て、初めて強固なものへと仕上がるのだ。
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(2014年7~8月は未集計) |
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2006年9月~2009年8月までの森リン大賞
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