毎月の森リン大賞
森リンの丘
毎月10日以降に、前月の森リン大賞の代表作品を選定します。
順位は、思考・知識・表現・経験の点の平均点で表示していますが、総合点は、この平均点に均衡点を加えた点数になっています。
小1の代表作品 2026年7月分
AI森リンベスト10
クレープ作り
小2 あけあか(akeaka)
2026年7月4日
私は七月十九日にお姉ちゃんと朝ごはんにクレープ作りをしました。前にお父さんとお買い物に行った時にクレープの材料を買ってきました。 私が作ったのはチョコバナナクレープとみかんのクレープです。バナナとチョコの相性が良くて美味しかったです。
「ひっくり返すのが難しいね。」
とお姉ちゃんが言っていました。
「私できないからやって。」
とお姉ちゃんに言いました。クレープを作ることができて嬉しかったです。 お店屋さんみたいには上手にできなかったけど、美味しくできたので、また作りたいなと思いました。次はクレープをひっくり返すのを上手にしたいです。
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小2の代表作品
AI森リンベスト10
キッザニアっていいな
小2 かほ(akaoho)
2026年7月4日
七月十八日の土曜日に家から三十分のキッザニアで、教えてくれるお姉さんの皆さんと十時十分の希望者の皆さんと妹と私で、お仕事体験をしました。私がピザ作りの体験をしている時、教えてくれるお姉さんが、一番うれしいことを言ってくれて心がぽっかぽかになりました。
ピザの生地を伸ばしていると、ピザの作り方を教えてくれるお姉さんが、
「このしいている板ぐらいの伸ばせば形も整うよ。」
と優しくみんなに教えてくれました。そのおかげで上手に形が整いました。私が具材のトマトをどこに置くか迷っていると、
「風車みたいにおくと見た目がきれいになるよ。」
とお姉さんがそっと教えてくれて見た目もよくなりました。ピザの味は、まるで一人前のシェフのようにほっぺが落ちるほどおいしかったです。
もし、ピザが大人気すぎてできなかったら、とてもショックを受けていたかもしれません。どうしてかと言うと、前とても行きたかったピザに行けなかったからです。
キッザニアは、未来に役立つ楽しいことばかりです。みんなと一緒に少しずつ少しずつ楽しみながら学んでいきたいと思います。
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小3の代表作品
AI森リンベスト10
ゆららに行ったよ
小3 あけりさ(akerisa)
2026年7月4日
「今からゆらら行こうー。」
お父さんがニコニコえ顔で言いました。わたしは、ゆららというせんとうに家族でよく行きます。家族みんなゆららが大好きです。ゆららというせんとうはろてんぶろや、いろんな色の温泉があります。赤やむらさきなど、日によってちがいます。
ゆららが好きな理由は、深い温泉があるからです。深さは、110センチメートルあります。お母さんが、
「泳いだらいけんよ。」
といつもゆららに行った時、注意します。わたしが、
「うん、分かった。」
とたくらんだ顔で返事をします。でも実は、人がいない時に泳ぎ回っています。どうしてかというと、冬は海やプールに行けないので泳ぎたくなるからです。あと泳ぐのが好きだからです。まるで海だと思ってゆうゆうと泳ぎ回っています。もしわたしがせんとうだったら泳いでいる人がいたら、わたしもいっしょに泳ぎ回ります。
お母さんは、小学生の時、お風呂は好きじゃなかったと聞きました。その理由は、めんどくさかったからです。お風呂は1分ですましているので、おばあちゃんに、
「カラスの行水。」
と言われていました。1週間、かみの毛をあらわなかったから、シラミのけんさでひっかかったそうです。それからお風呂に5分くらいで入っていたようです。今は、おふろは、15分から20分くらいかかっています。今の母からは全く想ぞうできません。お母さんは、1分でお風呂をすましていたけど、わたしは、1分でお風呂に入れません。どうしてかというと体全体をあらわないといけないからです。
わたしは、お母さんに、かみの毛をあらってもらいたいです。これからも、人がいない時にこっそり泳ぎ回りたいです。今一番行きたいおんせんは、雪がいっぱいふっている、秋田県の入とうおんせんです。どうしてかというと、雪を見ながら、温泉に入りたいからです。
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小4の代表作品
AI森リンベスト10
はたして「便利」は良いことか(清書)
小4 りり(riri)
2026年7月4日
ランプ屋の巳之助は、村に電灯をつけようという意見を持つ村長の家に火をつけようとした。
「マッチを持ってくりゃよかった。こげな火打ちみてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア。」
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
と気づく巳之助。
「世の中が進んで古い商売がいらなくなれば、男らしく、すっぱりその商売は棄てて、世の中のためになる新しい商売にかわろうじゃないか」と火をつけずにすんだ話。
私が一番おもしろかったのは、巳之助が愚痴をこぼすところです。愚痴はあまり良いことではないけれど、たまには活躍するものだなと思いました。
もし私が巳之助だったらもっとマッチを探していると思います。その途中に自分のやろうとしていることがひどいことだと気がついてやめると思います。
父の似た話は、私が鼻血を出した時、「上を向いて首の後ろをトントンとたたくんだよ」と間違えたことです。
血が胃に流れ落ちると気持ちが悪くなり、もどしてしまうこともあるそうです。幸い、母が最新の対処法を知っていたので良かったのですが、「あっぶな~い」と心の中で言っていました。
今の時代、AIなどが発明されて、すごく便利です。グーグルなどで調べ、正しい情報かどうかも見分けることが少なくなっていると思います。昔はスマホなどインターネット自体がなくて、本や辞書などで調べていたと聞いたことがあります。本は著者がはっきりしているし、編集者も出版する前に調べているので大体正しいです。逆にネットの世界はだれでも配信できるため、合っているかどうかも分からないのです。人間どんなに便利になっても、調べ、見分ける力のように、どこまで進化し続けたとしても頭の使い方が違うだけで考える力は必要なのです。色んな新しい技術が絶対に良いことだけなのか、本当にこのままどんどんAIに頼ってよいのか、自分のためにも考えながら暮らしていこうと思います。
私はさっそく辞書を手にとってページをめくりました。
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小5の代表作品
AI森リンベスト10
昆虫の食生活と地球の循環(清書)
小5 はるまき(akoruka)
2026年7月4日
普通の哺乳類でサイズの小さいものは、葉だけを食べるということはせず、もっと栄養の詰まっている果実や種子や貯蔵根(いも)を食べる。だが昆虫は、大量にありながら他の動物たちがあまり手をつけなかった葉っぱという食物に目をつけ、成功した。また、昆虫は変態することにより、良い環境を探して移動したり、広く子孫をばらまいたりできないという短所を解消したのである。私がこの長文を読んで一番印象に残ったことは、昆虫の、成長に合わせた食生活だ。昆虫は、成長に応じて食べるものを変え、その時にとって有利な生活をしていると知り、よくできた仕組みだなぁと感心した。
私は、ある植物公園に行った時、ミツバチが美味しそうに花の蜜を吸っているところを見た。まるで花とミツバチがおしゃべりしているようで、ほっこりしたのを覚えている。だが、この長文を読み、疑問に思ったことがある。もしこのミツバチがまだ子どもなのであれば、蝶々とは食べるものが違うという事になる。蝶々は、幼虫の時には葉を食べるからだ。つまり、ハチと蝶々は食べるものが違うという事なのだろうか。
調べてみると、やはりハチと蝶々では食べるものが違うと書いてあった。まずハチは、人間と同じように、親が赤ちゃんを大切に育てるそうだ。だから、花粉を食べて体内で作り出す「ローヤルゼリー」や、種類によっては肉団子を、親が与えてくれる。つまりハチの赤ちゃんは、お腹がはち切れそうになるほどおいしいご飯を食べているという事になる。だが蝶々の親は、卵を産んだらどこかへ行ってしまうらしい。だから、目の前にある葉を、自力で食べているのである。私はこの事を知り、昆虫はどの種類も同じ生活をしているという訳ではなく、色々な特徴に応じた生活をし、うまく生き続けているのだと痛感した。
もしも全ての生物が葉しか食べなかったら、きっと葉はすぐになくなり、葉の取り合いになってしまうだろう。だけどこの世界では、生物がそれぞれの特徴に合った生活をしている。だから、地球が上手く循環しているという事がわかった。だが最近、自然破壊が問題になっている。このまま自然が破壊されると、葉がないから昆虫が絶滅し、昆虫がいないから他の動物も絶滅し、その動物の肉を食べる私達人間も絶滅するという最悪のドミノ倒しが生まれてしまう。だから私は、ゴミを減らして埋め立て地を大きくしないようにしたり、電気を無駄に使わないようにしたりして、全ての生物が心地よく暮らせる地球にしていきたいと思う。
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小6の代表作品
AI森リンベスト10
食文化
小6 ひなすみ(akohina)
2026年7月4日
アメリカ国内でケーキミックスは大ヒットした。そこで、国内で売りつくすと、ヨーロッパやオーストラリアにも進出した。どこでも大当たりで、次の有望な市場として日本に目が向けられた。ただし、ケーキミックスは、オーブンで焼くように出来ていたが、そのころの日本の家庭にはなかった。しかし、オーブンが無くても自動炊飯器ならある。そこで、自動炊飯器でケーキミックスを作れるようにし、日本の市場に進出した。しかし、さっぱり売れなかった。その理由が製造会社はわからなかった。そこで、主婦を集めて雑談形式で原因を調査すると、「なかなか、よくできている。」という好意的な意見が多かった。しかし、話が進むうちに「でも、あれは、バニラやチョコレートが入っているのよね。」という発言があった。これをきっかけに売れない理由が一気に明らかになった。それは、「ご飯を炊くのと同じ器でケーキを作ると、バニラやチョコレートに汚染されてしまうのではないか・・・。」ということだった。「炊飯器をよく洗えばいい。」というのは浅はかな考えで、人間の心理はそんなに簡単なものではない。この分析結果を聞いた製造会社はきっぱり日本市場から引き上げていったそうだ。
私の家でもお米を残すと怒られはしないが、嫌な顔される。そして平日の朝ごはんは絶対お米が主食と決まっている。ある時私は、「どうして朝ごはんがパンじゃダメなの?」と聞いたことがあった。すると母は、「パンだったら2時間目くらいでお腹が空いちゃうでしょ。」と言っていた。確かに、土曜日の朝などにパンを食べると、4時間くらいたった、12頃にお腹がすく。だがお米を食べていると腹持ちがよく、ちょうど良い時間にお腹がすく。私はパンの方が好きなのだが、お米の方が現実的に考えると、日本人全体の食生活に向いているのではないだろうか。
学校の給食でもお米を主食とすることが重視されていると感じる。例えば、私の学校では1週間のうち3日間はお米が主食の給食が出される。このようにパンなどの洋食を食べるという選択肢もある中、学校ではお米を主食とすることが重視されているのではないだろうか。一方で、アメリカでは決まった主食があまりないそうで、ジャンクフードを食べることが多いようだ。極端に言えば、主食がないということは、その国独自の食文化を持たないということではないだろうか。確かに他国の食文化を取り入れるということも大切である。しかし、取り入れすぎて自国の伝統食品の原型がなくなっていては、元も子もない。さらに、伝統食品とは、その土地、風土、人に合うようにできていると思われる。したがって、他国の食べ物は、その国の人にしか合わず、別の国の人が食べるとあまりいい影響はないのではないかと思う。
このように、人間にとって食文化とはとても大切なものである。なぜなら、その土地柄、風土に深く関わり合っているからである。ヨーロッパの人々の中には、生海苔が食べられない人がいるらしい。それは消化酵素の中に海苔を分解してくれる酵素を持っていないからだそうだ。一方、島国に住んでいる私たち日本人は、昔から生海苔などを食べていた。そのため、現在も生のりを消化する酵素を持っている。したがって、食べるものは文化によって違い、人々に大切にされてきたのではないだろうか。これから私は、世界のさまざまな食文化について理解を深めていきたい。
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中1の代表作品
AI森リンベスト10
原語と主張
中1 あかささ(akasasa)
2026年7月4日
一般的にある言語がそれまで接触のなかった別の言語と接触するようになると、そこに相互の交流が生じ、双方の言語の中に相手の言語によるいろいろな変化の起こることが知られている。普通には外来語と呼ばれて、何かと、議論の対象になるタイプの言葉は、実は英語を旗頭とするヨーロッパ諸言語に日本語が干渉されて起こった言語変化に他ならない。このような外来語の問題は言語の問題であると同時に、それはまた文化文明の問題でもある。人々は単に自分たちの言語に不足する語彙を補うために外国の言葉を求めるだけでなく、素朴な実用性の見地からだけでは説明のできない多くの要因が絡んでいるからである。誰でも知っている、それだけに目立つ外国語への対応は、外国語そのものを外来語と使う方法であった。しかし、これ比べるとはるかに目立たない対応は、すでに日本語の骨肉と化している漢字をいろいろと組み合わせて新語を作るという方法である。高度の文明文化を簡潔に表現する力をすでに持っていた漢字という言語要素が日本にあったということは、幸運なことと言わねばなるまい。その理由は二つある。
一つ目の理由は、人の意見をよく聞いて、実践してみると自分にプラスになるからだ。僕は、5年生の時に、漢字学習をする時間があった。その時に担任の先生から。「けテぶれ」という学習方法を習った。「け」は「計画」で、「テ」は「テスト」、「ぶ」は「分析」、「れ」は「練習」というものである。つまり、計画を立て、まずわかるかどうかテストをして、その結果を分析し、その結果から練習をやっていくというものだ。これを習って実践してみると、普段の漢字テストは60点台だったのだが、なんと90点台に跳ね上がったので、人の話を聞いて実践するというのはとても大切なのだなと思った。ちなみに、最近は忙しくてやれていないが、漢字のテストがある時はこれを使っている。けテぶれはすごいと思う。
二つ目の理由は、自国の良さを見つめなおすということも大切だからだ。日本への訪日外国人は、2026年の1~5月で1793万6000人を記録している。また2025年の世界の観光都市ランキングは、
1.パリ
2.マドリッド
3.東京
~
11.大阪
~
19.京都
20.バンコク
と日本の地名が3つも入っており、日本は相当人気な観光地と言えるだろう。だから、改めて自国を見つめ直すということは大切だと思う。
確かに、自分のやり方を通すということも大切なことである。しかし、『自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない』という名言があるように自分なりに消化してから何かを取り入れ、自分を高めていくことが必要だと思う。僕は、これから、人の話を自分の成長の糧として、日々努めていきたいなと思った。
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中2の代表作品
AI森リンベスト10
ユージーン (清書)
中2 あさくに(asakuni)
2026年7月4日
要約:アメリカ合衆国、オレゴン州のユージーンという町は日本に住んでいる人々には想像がつかないほどの時間のゆったりさを秘めた町だろう。赤の他人同士が町であった時挨拶をするだけでなく、障がい者と非障がい者が平等に共存しているのだ。日本などの国だと、車椅子の人を押してくれる方がおり、そのワンセットでなんとなく「親と子」関係が芽生えてしまっているような気がする。しかし、その車椅子を動かすのに第二者の力が必要なかったらどうなるだろうか。そう、もしも車椅子が人力ではない電気などの他のエネルギー源を使い、動いていたら。まさにその「もしも」がユージーンにはあるのだ。一人で移動できることにより、車椅子の方々は「孤独」、「寂しさ」、「不安」などの感情を理解することができる。英国の児童文学作家、ローズマリ・サトクリフ氏などが感じた見えない「微妙な壁」に衝突するのは、「自由を知る権利」だと思う。ユージーンの風は私に障がい者の力、立ち位置は時代と場所によって変わるのだと力強く教えてくれた。
障がい者への手助けの良さは無数にあるが、今回は二つの別々の視点から二つの良さを提示したいと思う。まず、手伝っている人の主観から見たときはほとんどこれといって特筆すべき良さはない。ただの自己満足と「運をためた」という根拠のない快感だ。宗教ではないが、やはりこの大量生産、大量消費の空虚な時代に何か自分が信じられるもの、揺るがない絶対条件が心の中にあった方が格段に良い。もちろんこの空虚さに全身全霊を賭け、真っ向から攻撃を受けるのも面白そうなものだが。最近親族や友達の中にスマホや何かしらの電子機器を所持する人が多くなるにつれ感じたことなのだが、このような機器はダジャレではないが本当に人類の危機と見なしてもおかしくないと思う。数日前、スマホの使い過ぎで子供の脳のある部分が発達しなくなったり、全体的に近視になりやすいと聞いたことがあるが、心から同感である。オーストラリアはもう実行し、ヨーロッパ諸国も実行しようとしているが、スマホのSNS等の規制は必要不可欠で、子供、いわゆる希望の卵を守らなくてはならない。日本ではあまり感じなかったが、現在GDP第一位のアメリカの中学生はたまに狂ったかのようにスマホを手放さない者がちょこちょこいる。私の知り合いの一人もそのグループに所属してしまい、「そんなもんやめてしまえ」ときつくいったことがあるが、相手は共感したが、どうしてもできないなどと言い訳していた。これは確実に脳の発達に支障が出ているなと確信した瞬間だ。自分が近代文明の呪縛に自由な行動、本当の人間を封じ込められているのを自覚しておきながらも、どうしても脳のドーパミンの分泌が収まらず、そのまま見て見ぬふりをし、自分をだまし、現状維持をしているのだ。知り合いにこの話をした後、「同様の症状が出ているものはもう自分の人生から除外してしまおうか」と悩んだほどだ。しかし、共感し、新たな知識、感覚を学ぶことが可能な人間本来の特色を尊重し、この思想は間違っていると判断した。学力と同様、いったん脳の発達が遅れてしまったら、積極的に回復させようと務めない限り回復の見込みは無いそうだ。子供の脳は柔軟で柔らかいために回復の可能性はあるが、大人になってしまったらもう希望は無いに等しい。多くの人々はこの事実に少しづつ気付いており、何かしないといけないと自覚しつつ、同じく見て見ぬふりをしている。やはり、「障がい者は特別」、「障がい者は特別」というが多くの方はたかが体のある部分の成長が少し遅いか、完璧に欠如しているかで今のように珍獣がいるかのようにちやほやしなくてもよいと思う。多少のサポートをしつつも、他の子供たちと同じように接し、対応し、スマホなどの危険からも守らないといけない。話を戻して、障がい者目線の良さとしては単純に助けてくれるということもあるが、それにより自分がいま侵されている現状、不利を自分が再認識し、自分を構築していくことができる。構築するというのも、「僕は障がい者でみんなに助けてもらうんだ」などと安易な妄想ではなく、自分の生まれながらの不条理を向き合い、これとどうやって共存し、自分を確立させるかという「依存」ではなく「戦い」を自分に申し出なければならない。この考え方は私が尊敬する前衛芸術家、岡本太郎の考えと私自身の考えを融合したものだ。最近多くの人が偉人の名言などを調べ、「ほほーん。この人はこのようなことを考え、言ったのか」と思っているのだという固定概念があるが、実際それを自分の考え、思想の構成要素にしなければ自分は単なるその偉人のクローンに過ぎないのだ。さぁ私のコンプレックスを少し述べたが、岡本太郎は過去に「キノコ雲も見なかったし、火傷もしなかった、そして現在、生活をたくましくうち出し、新しい日本の現実を作り上げる情熱と力をもった日本人、その生きる意志の中にこそ、あの瞬間が爆発し続けなければならないのだ。」 と述べていた。これは本当に印象に残っている私の座右の銘といっても過言ではない金言であり、本当にユーリ・ガガーリンの「地球は青かった」のように皆さまにも浸透してほしい。「忘れたいほど残酷な事実を人々は必ず鮮明に覚えておく必要がある。」これが私が今考える解釈だ。解釈の素晴らしい点は柔軟であることで、その人の考えに忠実だ。障がい者の方々も自分の現状を四六時中念頭に置き、常に考え、自分の確立を模索しなくてはならないと思う。
障がい者への手助けの不利な点は特にない。このはっきりとした断言に困惑する方々もいるかもしれないが、障がい者たちが助けてくれる人、その行為が「当然」であり、「当たり前」と信じてしまったらその依存のループからでるのは困難なこと以外は行動自体に問題は無い。ただし、前述した自分との葛藤の持続を忘れてしまうのは大変残念で、しいて言ったら一応「不利」となるのだと思う。人間はAIでは無いので常にこのことを考え、実行することはできないが、思い出してまた続けることは出来る。しかし、完璧に忘れ、存在自体否定してしまうのは心外であり、これ以上悲しいことは無い。無論、いつしか再度自覚する時が来るのだが、その際は時のギャップがその人をひどく傷つけてしまうかもしれない。この説明文だけではいまいちパっと来ないと思うので、「死」の存在で考えたらどうだ。生きとし生けるものには必ず「死」というゴール、最終目的地が存在し、いつでもみんなを待っている。私が初めて死というものを自覚したのは確か4,5歳の時だ。実際私が2歳の時に私のことを大変可愛がってくれた祖父が他界してしまったのだが、その時はまだいまいち「死」の概念が理解できていなかった。ただもう会えないと聞いて悲しかった。それから、時が流れ幼稚園で「恐竜」の魅力にどっぷりハマり、その生体、世界、特徴の神秘性に魅せられた。しかし、多くの人が知っている通り、恐竜の1億6000万年の時代は隕石衝突により幕を閉じた。これを初めて知って、「こんなに強く、たくましい恐竜の世界が終わるなんて信じられない」と思った。そして、博物館などで恐竜の化石などを見て、「あゝ本当にみんな死んじゃったんだ」と初めて思った。そしたら自分にもいつか死が来るのではないかと心配になり、涙したのを鮮明に覚えている。そして最近またそれを意識し始めたのだ。忘れてはいけない事実を念頭に置くのは、一見苦しいことだが、実際これは人生の羅針盤としての働きがある。先程の例を使うと、「自分にもいつかは自分の時代の終わりが来るので、生きている間をどれだけ輝かしく出来るだろう」と考えることもできる。このような悲しいことにも副作用があるが、よりよい考え方、捉え方があるのも覚えておいてほしい。
確かに自分再発見の可能性や忘れてしまう恐怖は障がい者への手助けという比較的実行しやすい行動から産声を上げる者たちだが、ここで私が提示したいシンテーゼは人生を謳歌し、生命力みなぎる芸術にしなければならないということ。多くの現代人は先程私が述べたように電子機器に封じ込められ、自分の本質を見失っている。かといって高齢者、特に後期高齢者になると、若かれし頃を思い出し、自分の人生はどうだった、これからどこに行くのか、とえらい哲学的な事を自分に問いかけ、たまの人は老年期うつ病になるのだ。このような衝突と犠牲は人間いつしか経験するものなのだが、早いうちから経験しといた方が良いと再度主張する。どう経験するかというとこれはいたって簡単で、自分がだれで、自分はこれからどこへ行くのかと自分に何度も問いかけたらいいだけの話だ。答えが出てくる時間は人によって個人差はあるが、自分なりの一時的な答えが出てきたら、それを自分の血や肉にしなければ意味がない。自分の脳に刻み込んだ後にそれを使い、また新たな物を生成していかないといけない。人間は立ち止まってしまったら、そこから老いや錆が入ってくる。よって、絶えず、前進することに意味があり、そうする義務がある。ちなみに私が「一時的」といった意味はこれも二つあり、一つはある知識が不動のものになったら、もし覆す大きな事柄が来た時、心に重大な負担が来るからである。もう一つは完成したら、そこから老いるからである。これは最近私がハマっている安藤忠雄氏のとあるコメントに似ているが、安藤氏は大阪のことを「未完成だから強い」と言っていたと思う。完成したら、そこから進歩がない。その斬新な考えが最近よくポワっと浮かび上がってくる。そう考えたらサグラダファミリアは未完のままでもいいのではないかと不思議に思う。確かな今の自分にぴったりの自論が見つかった時、少しの光が差し込むかもしれない。
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中3の代表作品
AI森リンベスト10
乗り越えた先にあるもの(清書)
中3 あかるら(akarura)
2026年7月4日
生きることは学ぶことであり、創造することである。その創造を生む力、そして成功の条件はどこからくるのか。それは、逆境を人生のプラスに取り込んでいく能力である。私も逆境をプラスに変えられるような生き方をしたい。
その方法として第一に、すぐに考え、行動に移すことだ。逆境の中で延々と思案していると、時間が経つほど大きく重く感じられてしまうことも多い。だからこそ、すぐに考え行動に移すことでよりプラスの発想ができるのではないか。例えば受験での経験がそうだった。クラスや新聞で触れる同年代の勉強に励み、受験に挑戦しようとする姿に刺激を受け、私も挑戦してみたいと口にしたことをきっかけに受験勉強は始まった。英語を生かせる学校が良いと母と話し今の学校に決めたものの、その道程は長かった。初めて開いた過去問題も注意書きさえ全て読めない状態だった。もちろん中に書かれている文章題も読めるはずがない。このとき初めて、いかに自分の英語の力が足りていないかをはっきりと思い知らされた。しかし一人で思案していたとしても合格までにたどりつかない。私は家族と相談し、自分と学校の求める英語力の差を明らかにした上で塾への通学や英検の取得など次々と行動に移し、一つずつ乗り越えていった。途中、自分の怪我などトラブルを経験したものの、それまでの努力が重なり、功を奏したのだ。 確かに、時にはじっくり考えて様子を見ることは大切だ。自分で先走ってしまえば空回りすることになる。しかし、逆境のときこそすぐに行動を起こすということが人生の力となるのだ。
第二に、逆境は皆で乗り越えるという社会的体制を作ることだ。「三人寄れば文殊の知恵」とあるが、どんな問題が発生したとしても一人で抱えることと、全員で協力して解決していくことでは心の負担や解決の過程が大きく異なる。例えば「アポロ計画」が当てはまるだろう。月に着陸するという夢を追い求め、ついにはその歴史的偉業を成しとげたか、その道は必ずしも平担とは言えない。彼らは何度も逆境に見舞われながら、冷静な分析と判断が功を奏し、月面に着陸するまでになったのだ。初めて月面に足跡を残すまでに至ったアポロ11号が最も有名であるが、その偉業の後にも計画は続いていた。その一つにアポロ13号というミッションがある。宇宙において人間の命を左右しかねない酸素タンクが爆発し、酸素と共に電力までもが消失するという事故が発生した。予備の設計間違いの発覚などミスが重なり生還の危機にまで陥っていたが、この危機的な事故は後に乗り越えられる。これはその場にいた宇宙飛行士だけの力ではない。地球の司令官に加え、アポロ14号の準備をしていたライバル達の協力と努力である。これは皆が宇宙事業に携わる一人として思案したからこその結果なのだろう。もしも状況が少しでも違っていれば宇宙での失敗となりかねなかった。トラブルが発生したときにこそ、立場や他者との違いを超えて皆が自分ごととして考え、解決していく必要があるのだ。
確かに、順境にいるほど、私達は心のゆとりや幸せを感じる。私もできれば常に順境の中で日々穏やかに過ごしたいと考える。マラソンでも誰もが向かい風の中で走りたいとは思わない。できれば追い風の中を走りたいだろう。しかし「逆境のなかには、すべてそれと同等か、もしくはそれ以上の大きな利益の種子が含まれている。」という言葉がある。逆境にいるその辛さから逃げず、乗り越えていくことが強い精神を形作り、未来の自分を成長させる。だからこそ、逆境を肯定的に捉えられる人間に私はなりたい。
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高123の代表作品
AI森リンベスト10
二者択一か、それとも
高3 かずま(auyoto)
2026年7月4日
テストの点数は人間の価値を図る絶対的な尺度であり得るのかという問題について、A、B両氏の紙上討論が行われた。A氏。テストはやはり必要ではないか。もし競争原理を否定したら、どんな世の中になるだろう。社会各般の活動を停止せねばならなくなる。人より速く走るな、理解は人より早くするなというのは無理な話である。B氏。教育に評点は不必要であるばかりでなく有害である。評点の目指すところは点取り競争であり、学校を優勝劣敗、弱肉強食の場に変えてしまった原因の一つである。この競争原理を否定しない限り学校の荒廃はなくせない。確かにどちらも筋の通った論説だ。しかし、この二人に限らず多くの人が、そもそも、二つの持つ効能を正しく理解できていないのではないか。
まずこの議題はどっちつかずという視点が持ちづらい。確かに教育の基準を数字で取るか取らないかは、一見すると二者択一のように思える。そうして自分が納得した片方の意見のみを選択し、もう片方には目もくれないという事案が発生してしまう。それでは、自分が選択した方の効能を正しく理解できても、もう片方を自分のものとくらべ、貶め、さげすむようになってしまうだろう。これが二つを中立的な観点で見ることを阻害し、二つの効能を正しく理解する最大にして最強の障壁だ。程度の差はあれ、結局自分が選択した方が優れているとなってしまえば、両者の正しい効能を理解することは出来ないだろう。だが実際に数字で取るか数字で取らないかという問題は、0か100かの問題ではない。
昔は将来につながる成績に関わってくるのはテストの点数だけだったが、今では主体的に学習する態度という新たな項目が加わるようになった。もちろん従来のテストの点数が考慮されなくなったわけではない。このように両者は決して二者択一ではないのだから、どちらか一方の支店に凝り固まる前に、両者を第三者の目線、中立、どっちつかずの視点で観察する必要があるのだ。それが出来ていないと、今日のように正しいのはアレだ、いやコレだなどという無駄な論争を呼ぶ羽目になってしまうのだ。
解決するためにできることは、より果敢に、広い視点で物事を見ていくことしかないだろう。前述した問題は、二つの選択肢をよく観察すること、そして0,100でなく、中間の選択肢を考慮することで解決する。昨今、このようなどっちつかずという視点はかなり注目されていることかと思う。学校でも一つの物事を様々な角度から視てみよう、二つの意見を組み合わせてみようなどと教わることがあるだろう。しかし、だとしたらなぜ今回に限って両極端な論争が巻き起こっているのだろうか。しかも議題は、よりによって教育の方針である。教育の中で二つのことを学んでおきながらその教育に関する問題で、両極端な論争が巻き起こるとは皮肉なものだ。これはなぜか。やはり教育という公共事業の重要性を、多くの人が見にしみてわかっているからだろう。
かつて日本は米英中などとの破滅的な戦争に及び、有史に残る大きな被害を受けた。そのような戦争に挑んだ理由として後世の人間、つまりわれわれだが、は様々なものを考えた。その一つには教育も含まれている。戦前の皇道教育によって育てられた人間が戦争を引き起こし、敗戦という痛手を負わせたのだといった具合だ。その結果、昔以上に我々は、教育という制度に対して畏怖の念を抱くようになり、やがてそれは改革への恐怖につながることになった。
その結果、恐怖から目を背けるか、恐怖を完膚なきまでに撃滅するかという二つの、両極端な視点に人々の思考が陥りやすくなり、今日の論争があるのだと私は思う。確かに、教育という国の未来を作る事業だからと言って怖気づくのは分かるが、そうする必要も意味もない。もちろん無鉄砲にやればいいわけではないが、決して停滞してはならないのだ。両極端な論争を続けては、いつまでたってもよりよい社会は作れない。その先にあるのはどちらか一方がもう片方を弾圧する時代だ。そのような時代は誰だって後免被るだろう。我々は新たな終着点を見つけるために、恐怖を克服せねばならないのだ。目を背けるでも、否定し続けるでもなく。
結局のところ、数字を重視するかしないかは、何を育てようとするかの違いでしかない。のではないか。数字を重視すれば伸びる人はさらに伸び、逆に落ちこぼれはさらに落ちこぼれる。一方重視しないというのであれば、伸びる人が自分の能力を生かしきれないが、落ちこぼれがどん底から這い上がるチャンスが得られる。この二つの性質をどちらか一方だけを支持し、他方を陥れる努力ではなく、中間点を探す努力をするべきなのだ。かつて高度成長期の日本では、大きいことはいいことだと言われてきた。ならば我々も大きい懐を持ち、両者を冷静に眺め、観察するべきではないか。決して極端な思想を持ち、他方と消耗戦をして永遠と戦い続けるわけにはいかない。我々に必要なのは新たな視点、中間点であり、騒ぎ立て続ける地獄の絶滅戦争ではないのだ。
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