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「Power vs Force」から「Truth vs Falsehood」へ
森川林 2005/12/04 05:24 
 昨年、「パワーVSフォース」という本の紹介をしました。そこで、キネシオロジーという人間の筋肉の反応を利用した正誤判定が可能らしいということを書きました。
 その後、同じ著者の本が何冊か出版されているので、アマゾンで注文して読んでみました。と言いたいところですが、英語で書いてあったのでほとんど読めませんでした。
 ところで、最近の著書「トゥルースVSフォールスフッド」をつまみ読みすると、このキネシオロジーテストの限界が逆に明らかになっていました。

 今回は逆に、このキネシオロジーという発想のマイナス面に光を当てておきたいと思います。
 これは、キネシオロジーに限らず、宗教や占いをはじめとするすべての超越的なもの(現実の理解を超えたもの)について当てはまることです。一言で言えば、これらの超越的なものには、正しい要素と誤った要素が分かちがたく結び付いており、人間が強力な常識を持たなければその正誤を分別することができないということです。そして、多くの人は、超越的なものの力に圧倒されて常識の方を放棄してしまうようです。
 このような意味で、すべての宗教は基本的にオウム真理教と同じ性質を持っています。個々の宗教で、例えば輸血をしないとか肉食をしないとかいうのは、個人の信条の自由として尊重されなければならないことは当然です。しかし、その宗教がもし政治的権力を持つようになった場合、他の人に対して「輸血をすべきではない」とか「肉食をすべきではない」ということを強制する可能性があるのです。なぜならば、それらの信条は個人の自由意志によって為されたものであるにも関わらず、神からの命令として実行されているからです。「私がしたいから」という話であれば、対話の余地がありますが、「神様がそう言ったから」では人間どうしの対話は成り立ちません。そして、対話がない中で対立を解決する手段は、結局暴力にならざるを得ないのです。これが宗教の弱点です。
 キネシオロジーは、のべ何百万人もの実験データによって科学的な裏づけを持っているかのように叙述されています。しかし、ここにはその実験データを解釈する仮説の側に大きな誤まりがあるのです。それは、キネシオロジーは、客観的な正誤を判定しているのではなく、その人の意識(又は無意識)の中にある正誤を判定しているに過ぎないということです。
 同様のことは、水の結晶のようなことにも言えると思います。「ありがとう」という紙をはったコップではきれいな結晶ができ、「ばかやろう」という紙をはったコップでは醜い結晶しかできなかったという実験です。ここでも、考えられることは、水が紙に書いてある字を読んだわけではなく(笑)、紙をはった人の意識を反映したのだろうというのが、普通の常識的判断です。
 エドガー・ケイシーは、無意識のリーディングの中で、人間が知ることのできなかったさまざまな真実を明らかにしました。しかし、ここに登場する神様は、キリスト教というきわめてローカルなものに限られています。キリスト教以外のあらゆる宗教の神が登場することのない真実は、やはり一面的な真実だろうというのが、普通の常識的な考えです。
 心理学の実験で、被験者に苦痛を与えることが必要なのだと説明された人のほとんどは、平気で他人に苦痛を与えることができたそうです。この場合も、「たとえ必要なことであっても、他人に苦痛を与えることはしたくない」と言うのが常識を持った人間です。そして、「苦痛を必要としない方法を考えよう」と提案するのが創造的な人間です。しかし、整然とした理屈に対抗するだけの強力な常識を持つ人さえほとんどいなかったということをこの実験は示しています。

 キネシオロジーは、自分の肉体にとってプラスかマイナスかということは正確に判断できると思います。これはOリングテストと同じです。ビタミン剤と人工甘味料を袋に入れて、キネシオロジーテストによって中身を判断するというのは可能だと思います。
 また、自分の知っている身近な人が、自分にとってプラスかマイナスかということも、同様に判断することは可能だと思います。これは、常識で考えてもありうることで、何となく話が合う人と合わない人がいることは多くの人が経験していることだからです。
 しかし、ここから話を拡大して、自分が直接には知らない人、例えばガンジーとかマザー・テレサをキネシオロジーが判断すると言った場合、そこで判断されているのは、ガンジーやマザー・テレサというリアルな人間ではないはずです。キネシオロジーが判断しているのは、人々の意識の中にある、又は、メディアを通して知らされた知識の中にあるガンジーやマザー・テレサです。これが常識です。
 キネシオロジーは、自分に直接影響のあるものごとを判断するには、有効なテストだと思います。しかし、自分の直接的な関わりを離れて、客観的な事象を判断しようとするとき、そこに数々の主観的偏向が入り込む余地があるのです。テストに参加する人が多くなればなるほど、そのテストはそれらの参加者の集合的な意識に影響されるようになり、あたかも客観的な数値であるかのように振る舞いはじめます。しかし、それは科学ではありません。ただのマジックなのです。ところが、この科学とマジックは、科学の要素が強い部分からマジックの要素が強い部分まで境目がない状態で分かちがたく結び付いています。それは、すべての宗教と同じです。普遍的な要素とその宗教だけに当てはまるローカルな要素が分かちがたく融合しています。それを見分けることができるのは、人間の人間的な常識です。しかし、その常識は、科学的装いと拮抗できるほど強力な常識でなければならないのです。
[:ねずみ:][:きつね:][:うし:][:チューリップ:]
 昨年、「パワーVSフォース」という本の紹介をしました。そこで、キネシオロジーという人間の筋肉の反応を利用した正誤判定が可能らしいということを書きました。
 その後、同じ著者の本が何冊か出版されているので、アマゾンで注文して読んでみました。と言いたいところですが、英語で書いてあったのでほとんど読めませんでした。
 ところで、最近の著書「トゥルースVSフォールスフッド」をつまみ読みすると、このキネシオロジーテストの限界が逆に明らかになっていました。

 今回は逆に、このキネシオロジーという発想のマイナス面に光を当てておきたいと思います。
 これは、キネシオロジーに限らず、宗教や占いをはじめとするすべての超越的なもの(現実の理解を超えたもの)について当てはまることです。一言で言えば、これらの超越的なものには、正しい要素と誤った要素が分かちがたく結び付いており、人間が強力な常識を持たなければその正誤を分別することができないということです。そして、多くの人は、超越的なものの力に圧倒されて常識の方を放棄してしまうようです。
 このような意味で、すべての宗教は基本的にオウム真理教と同じ性質を持っています。個々の宗教で、例えば輸血をしないとか肉食をしないとかいうのは、個人の信条の自由として尊重されなければならないことは当然です。しかし、その宗教がもし政治的権力を持つようになった場合、他の人に対して「輸血をすべきではない」とか「肉食をすべきではない」ということを強制する可能性があるのです。なぜならば、それらの信条は個人の自由意志によって為されたものであるにも関わらず、神からの命令として実行されているからです。「私がしたいから」という話であれば、対話の余地がありますが、「神様がそう言ったから」では人間どうしの対話は成り立ちません。そして、対話がない中で対立を解決する手段は、結局暴力にならざるを得ないのです。これが宗教の弱点です。
 キネシオロジーは、のべ何百万人もの実験データによって科学的な裏づけを持っているかのように叙述されています。しかし、ここにはその実験データを解釈する仮説の側に大きな誤まりがあるのです。それは、キネシオロジーは、客観的な正誤を判定しているのではなく、その人の意識(又は無意識)の中にある正誤を判定しているに過ぎないということです。
 同様のことは、水の結晶のようなことにも言えると思います。「ありがとう」という紙をはったコップではきれいな結晶ができ、「ばかやろう」という紙をはったコップでは醜い結晶しかできなかったという実験です。ここでも、考えられることは、水が紙に書いてある字を読んだわけではなく(笑)、紙をはった人の意識を反映したのだろうというのが、普通の常識的判断です。
 エドガー・ケイシーは、無意識のリーディングの中で、人間が知ることのできなかったさまざまな真実を明らかにしました。しかし、ここに登場する神様は、キリスト教というきわめてローカルなものに限られています。キリスト教以外のあらゆる宗教の神が登場することのない真実は、やはり一面的な真実だろうというのが、普通の常識的な考えです。
 心理学の実験で、被験者に苦痛を与えることが必要なのだと説明された人のほとんどは、平気で他人に苦痛を与えることができたそうです。この場合も、「たとえ必要なことであっても、他人に苦痛を与えることはしたくない」と言うのが常識を持った人間です。そして、「苦痛を必要としない方法を考えよう」と提案するのが創造的な人間です。しかし、整然とした理屈に対抗するだけの強力な常識を持つ人さえほとんどいなかったということをこの実験は示しています。

 キネシオロジーは、自分の肉体にとってプラスかマイナスかということは正確に判断できると思います。これはOリングテストと同じです。ビタミン剤と人工甘味料を袋に入れて、キネシオロジーテストによって中身を判断するというのは可能だと思います。
 また、自分の知っている身近な人が、自分にとってプラスかマイナスかということも、同様に判断することは可能だと思います。これは、常識で考えてもありうることで、何となく話が合う人と合わない人がいることは多くの人が経験していることだからです。
 しかし、ここから話を拡大して、自分が直接には知らない人、例えばガンジーとかマザー・テレサをキネシオロジーが判断すると言った場合、そこで判断されているのは、ガンジーやマザー・テレサというリアルな人間ではないはずです。キネシオロジーが判断しているのは、人々の意識の中にある、又は、メディアを通して知らされた知識の中にあるガンジーやマザー・テレサです。これが常識です。
 キネシオロジーは、自分に直接影響のあるものごとを判断するには、有効なテストだと思います。しかし、自分の直接的な関わりを離れて、客観的な事象を判断しようとするとき、そこに数々の主観的偏向が入り込む余地があるのです。テストに参加する人が多くなればなるほど、そのテストはそれらの参加者の集合的な意識に影響されるようになり、あたかも客観的な数値であるかのように振る舞いはじめます。しかし、それは科学ではありません。ただのマジックなのです。ところが、この科学とマジックは、科学の要素が強い部分からマジックの要素が強い部分まで境目がない状態で分かちがたく結び付いています。それは、すべての宗教と同じです。普遍的な要素とその宗教だけに当てはまるローカルな要素が分かちがたく融合しています。それを見分けることができるのは、人間の人間的な常識です。しかし、その常識は、科学的装いと拮抗できるほど強力な常識でなければならないのです。
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