ツバメのツーちゃんと名犬ゆめ
作文は、国語力の集大成なので、欠点が目につきやすいという話の続きです。
よくあるのが、「字がきたない」「漢字を使わない」。
男の子なら、誰でも身に覚えがありそうです(笑)。
字がていねいで、漢字が使ってあるのにこしたことはありません。
しかし、字のていねいさは、初めて文字を書き始めた小1のころからのことなので、文章を書く量が増えてからではなかなか直りません。
また、文章の中身がよければ、今はパソコンで入力できるので、生活上困ることはほとんどありません。
昔、超がつくほど字の下手な生徒がいましたが、高3のとき代ゼミの小論文模試で最高点を取ってきました(笑)。
いい文章を書く子と、字の下手な子というのは、ある程度の相関があるような気さえします。
だから、ていねいに書くことは大事ですが、そんなに気にすることはないのです。
漢字は、書き取りの練習を真面目にしていなければ正しく書けるようにはなりません。
だから、思った以上に時間がかかります。
800字の作文で誤字が1か所あったとしたら、それは確率的に1か所あるということなので、文章に誤字が全くなくなるまで約1年かかります。(週に1回書くペースで)
成績の優秀な高校生でも、小学生のころは遊びほうけているのが普通ですから(そうでない人もいますが)、小学校の4、5、6年生で習った字を勘違いして覚えていることがかなり多いのです。
これは、高校生のときに小論文の勉強をみっちり1年間やれば直ります。
だから、大学入試に小論文があるというのは、実はとても意義あることなのです。
言葉の森で作文の勉強をする目標の具体的なイメージは、大学入試の現代文と小論文で高得点が取れることと、更にその上に創造的な思考ができるようになることです。
そのための方法は、多読と難読と対話と作文です。
そういう大きな方向さえ押さえておけば、途中の小さな欠点はそれほど口やかましく言う必要はありません。
注意をすることによって、親子でストレスを感じることの方が問題なので、基本はいつも楽しく褒めていくことです。
====4月15日のfacebook記事より====
作文というのは、国語力の集大成のようなものですから、いろいろなところで欠点が目につきやすいものです。
ほとんどの人は、それをすぐに直そうとします。
しかし、その欠点はそう簡単には直らないものがほとんどです。
だから、作文教育に熱心になればなるほど、作文の苦手な子が増えるのです。
誤解の多い指導法でよくあるのは、ほかの子の上手な作文を見せることです。
... 上手な作文を見せて、「こんなふうに書いたらいいんだよ」と言われて、「はあい、そんなふうに書きます」となる子はひとりもいません。
作文は、その子のこれまでの読書や対話や経験の総合的なものですから、すぐには書き方を変えることができないのです。
上手な作文を何度も見せられていると、だんだん劣等感が増してきて、かえって書けない子になっていくのです。
いちばんいいのは、その子の作文のいいところだけをしっかり褒めることです。
そして、その一方で、読書や音読や対話の自習を気長煮続けていくことです。
しかし、褒め方も、ただ褒めればいいというだけでは、そのうち褒めることがなくなってきます。
その子のできるぎりぎりのところを目標にして、それができたら褒めるということができればいちばんいいのです。
今日も、いい天気で、風の強い日です。
ちょうど春先は、「風が吹けば桶屋が儲かる」という季節なのでしょう。
桶と言えば、桶に入る水の量は、その桶の周りを囲むいちばん低い板によって決まるというリービヒの最小律という法則がありました。
作文の評価も、欠点が最初に目につきやすいという点で、ちょっとそれに似ています。
桶に入れるものを液体ではなく、果物のような固体にすると、もしかすると最大律というものが成り立つのかもしれません。(新しい法則(笑))