教育に関するブログを、ここ数日よく目にしました。
一つは、In Deepさんのブログの記事でした。
もう一つは、アゴラというサイトの池田信夫さんの「学校は教育に向いていない」と、中沢良平さんの「学校は勉強するところではない」という記事でした。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51957877.html
記事の内容は、学校は学力をつける場所ではなく、不自由な集団行動に同調する姿勢を作る場であり、社会に出るときの学歴を発行してくれる場である、というものです。
これは、実感として多くの人が感じていることだと思います。
私(森川林)も、小中学生のときは、学校の授業で机に向かって先生の話を聞いているのが退屈で退屈で、いつも窓の外を見ては、自然の生き物は自由でいいなあと思っていました(笑)。
昔の子供たちで、塾や予備校に行く人はほとんどいませんでした。学校以外にそういう不自由な場所に行くというようなことは、誰も考えつきもしなかったのです。
私が学校の授業で唯一ほっとする時間が、テストの時間でした。テストは、自分から進んでやればいいからです。だから、授業のときと違ってテストは退屈しませんでした。
こう考えると、勉強は家でしてきて、学校はテストをする場だけでもいいのではないかと思えてきます。ちょうど今の反転授業のようなものです。
子供たちは、勉強が嫌いとよく言いますが、単純に勉強が嫌いなのではありません。
人間にはもともと向上する意欲があるので、勉強をして自分が賢くなるのは好きなのです。嫌いなのは、無意味な知識を覚えこむことと、それが外からの強制として行われることです。
だから、基本的な学力をつけるために自分のペースで勉強するということであれば、そういう勉強は苦になりません。
この場合の基本的な学力とは、決して初歩的な易しいレベルの学力というのではありません。東大の推薦入試で、学力の担保して見ると言われている「センター試験8割」の学力です。
こういう基本的な学力を子供が自分の力でつけるというのが、これからの勉強に求められているのです。(つづく)
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ここのところ、続けて教育を話題にしたブログを目にすることがありました。
まず、In Deepさんのブログから。
「世界大学ランキングの日本の大学の順位の急落からさえも思う「もう詰め込み教育から子どもたちを解放させて、遊ばせてやれ!」…の想いは強まるばかり」
http://oka-jp.seesaa.net/article/427109409.html
東大の世界大学ランキングからの順位低下は、子供の塾通いが始まり出したころから始まっているというグラフをもとに、成績をよくするよりも頭をよくしよう、子供は勉強などせずに遊ぶことだ、と述べています。
ここに書かれていることは確かにそのとおりで、今の勉強の仕組みの中では、成績をよくすることは頭を悪くすることにつながっています。もちろん、本を読むとか九九を覚えるとかいう段階では、そういうことはありません。成績をよくすること=頭をよくすることだからです。
しかし、受験勉強に近づくにつれて、成績をよくすることと頭をよくすることは反比例してくるのです。
例えば、こんな問題です。
「次の中で体温が変化する動物はどれですか。ア.シャチ イ.サバ ウ.カケス エ.マムシ」(朝日小学生新聞「受験理科」より2015/10/2)
小学生で、生きたシャチ、サバ、カケス、マムシなどを見ているような子は、ほとんどいません。実物の実感がないところで、名前という記号と、それに合った図や写真という記号と、恒温動物という知識としての記号を、ただ頭の中で結びつけているかどうかを見るだけなのです。
もちろん、こういう知識もあっていいのです。しかし、それは本を読んだり、図鑑を見たり、実物に触れたりすることによって、自然に身につけるものです。自然に身につけたものであれば、「生き物の中には、体温が変わるものと変わらないものがあるんだなあ」という理解ですから、一瞬で頭の中に入ります。そして、具体的にどの動物がそうなのかということは、必要なときに調べればいいのです。
ところが、これを知識として覚えようとすると、ただ大きな理解をしただけでは駄目です。特に試験に出そうな間違えやすい例を重点に何度も反復して頭に刻みつけなければなりません。これが頭を悪くします。
身につける必要のない、そして自分でも興味がない知識を、何度も反復して頭に入れておく子が成績のよい子になってしまうのです。(つづく)
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昔の子供は、みんなそうだと思いますが、学校から帰ったらランドセルを家の中に放り投げて、すぐ近くの原っぱに。
暗くなって夕飯の時間になるまで、誰もたっぷり遊んでいました。
それで、みんな頭がよくなっていったのです。(かなあ)
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