国語の本質は、言葉による思考力です。ですから本来男女の差というものはありません。
ところが日本の国語には特殊な事情があり、他の国の国語に比べて、情景の描写や心情の描写が多い、という特徴があります。
この背景には、明治以降、現代日本語の文章の骨格を作った人が、一般に生活力の乏しい文学者だったということがあるようです。そのために、現代日本語の文章は、ある意味で優しくひ弱な文章が多いという特徴を持つようになりました。そして、そういう文章の好きな人が国語の先生になり、国語のテストとしてそういう問題を出します。それで女性が国語がが好きになることが多い、ということになったのだと思います。
言語の大きな役割の一つは、健全な社会人が建設的なことを述べるために読んだり書いたりするということです。ところが日本ではそういう面が、特に国語の勉強で弱くなりがちなのです。
私自身の例で言うと、中学生か高校生の時期に亀井勝一郎の評論を好きになったことがあります。その評論を読んでいるといつの間にか健全さとか建設的とかいうことが、レベルの低いことのように思えてきてしまうのです。その影響は、かなりあとまで残りました。
大学入試センター試験の物語文などにも、その日本文学の特徴がよく表れています。健康な男の子にしてみれば、どうでもいいようなことをああでもないこうでもないと書いているのが、物語文の性格のように思えてきます。そのため、理系の男の子はそういう国語の文章に魅力を感じないのです。将来は、もっと論理的な、実際の生活に役立つ文章の力が必要になってくると思います。
ところが、もちろん受験のためには、そういうひ弱な物語文を読む力も必要になってきます。愚痴のような文章を味わう力も軽視することはできないということです。なぜかというと、日本人の多くは日本社会の中で生活をしていくので、日本の文化を感じる力が必要になってくるからです。例えば、人に物を贈るときに、「つまらないものですが」というような渡し方をする文化に慣れている方が、日本での人間関係はスムーズにいきます。ですから、国語力というのは、本来は思考力が中心ですが、その一部に日本の文化力というものがあり、その日本文化が、他の国の文化よりも女性的な面を多く持っているということです。
作文の得手不得手に関していうと、小学生のときは大体において女の子の方が文章を書くことが得意です。しかし、中学生、高校生になると、どちらかというと男の子の方が文章を書くことが得意になってきます。これは文章のジャンルが事実中心の生活文から説明や意見中心の論説文に変化していくからです
事実中心の事実文物語文と、説明や意見中心の論説文の両方の力をつけるためには、すぐれた物語文とすぐれた論説文を読む必要があります。一般にいうと、入試問題に出てくる文章は質の高いものが多いので、その問題集の問題文を読書代わりに読むということを取り入れていくといいでしょう。
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面白かったです!! 来月の教室新聞に使わせていただいていいですか?
コメント、ありがとうございます。アリットイカビーム(o゜ー゜)/…‥—————<コ:彡ケリ!☆)×_x)/アウッ なんてことをまたやってる場合じゃなくて。
国語教育の原点は、勇気と知性と愛だと思います。
これから、そういう新しい国語教育文化を作っていくためにがんばりたいと思っています。
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上手な作文は皆同じように上手だが、下手な作文はそれぞれに下手である、というような言い方をすることができます。
これは健康と病気の関係にも当てはまります。健康な人は皆同じように健康ですが、病気の人はそれぞれに病気です。
ところで、現代の医学や科学や教育は、欠点に対して対処療法をして直すという発想しがちです。ところが、そのような方法では、病気の種類はどんどん増えていきますが、病人は減りません。病気の原因にいろいろな名前をつけて治し方を工夫していくよりも、大切なことは、トータルな自然治癒力をつけて、身体全体を健康にするということです。
勉強についても事情は似ています。勉強の苦手なところを細かく分けて、それぞれの欠点に適した処方箋を書くというようなことをしても、欠点はなかなか直りません。健康における自然治癒力と同じものは、作文における読む力聞く力です。読む量と聞く量が増えていくと、自然に書く力と話す力がついてきます。
具体的には、読書と対話です。対話は、両親がいろいろな話を聞かせてあげるという方法で子供に話しかけ、日本語のインプットを増やしていくという形です。こういう話しかけが、作文の勉強の土台になります。
多くの人に共通する作文の問題点を四つ挙げたいと思います。
第一は、書くことがない、書く気がしないという場合です。これは、小学生でも中高生でも同じです。本を読んでいないと問題意識がわかないので、書く意欲がわいてきません。特に、中学生や高校生で書くことがないという場合は、本を読んでいないというのが原因になっていることが多いものです。
第二は、長く書けないという場合です。長く書けないのは、実例がないからです。実例を増やすためにもやはり読書が必要です。本を読んでいると、それが物語の本であっても自然にそこから自分の体験実例を連想できるようになります。長く書くための、手っ取り早い方法は、目標の字数を決めて何が何でもそこまで書くという練習をすることです。両親や先生など周りの人が手伝ってもいいですし、会話をたくさん入れて芝居の台本のようになってもかまいません。何しろ目標の字数までむりやりにでも書くようにすると、そこで、その字数が自分の実力になり、次回からはその字数までは比較的楽に書けるという力がついてきます。
第三は、速く書けないということです。これは、読書をする場合、前に戻って読んでしまうために速く読めないというようなことと共通しています。書きながら前に戻ってときどき読み返しながら書くという書き方をすると、書くスピードは遅くなります。速く書くための練習方法は、一言でいうと根性です。なるべく速く書こうと思って書くことによって速く書く力がついてきます。
第四に、意外に多いのが、漢字の間違いです。特に高校生ぐらいで学力は十分にあるのに、小学校中高学年のころの漢字を間違えて覚えているというケースがよくあります。これは大人でも同じです。小学校中高学年のころは勉強に対する自覚がないので、その時期に覚えた漢字は、勘違いして覚えていることがかなりあります。間違ったまま覚えている漢字をずっと正しいと思って大人になるまで使っているのです。この解決方法は、他の人に自分の書いた文書を見てもらうか、又は、自分の書いた文章に出てくる漢字を正しいと思うものも含めて逐一辞書で調べ直してみるかどちらかです。
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