昨日の記事を読まれた方から、日本と外国での国語教育の違いが参考になったというお便りをいただきました。
お便り、アリガチョーク! ( -ω-)ノ-=≡≡≡☆−(>。<) イタイ! なんてことをやっている場合じゃなくて。
続きを少し書きます。
大岡昇平の「野火」に感銘を受けたという方も多いと思います。
それはそれでいいのですが、私は、日本の文学の弱点がある意味で典型的に表れているような気がします。
戦争中でやむをえず人の肉を食べたという話ですが、私は、食べたくなければ食べるな、食べたのだったら、もう済んだことなのだから、ああおいしかったでいいだろ、という考えです。
現実世界を生きている健康な人は、だれもこのように考えて世の中を渡っていると思います。解決のつく問題なら考えなければなりません。しかし、解決のつかない問題なら問題そのものを保留にして生きていくのが普通の人間です。解決のつかない問題を、解決する気もないままにいつまでも眺めているというのが文学であるとすれば、それは読む人を後ろ向きにする役割しか持たないでしょう。
ところが、国語の選択問題は、こういう解決のつかない問題をいつまでもこねくりまわしている心理を問うようなものが多いのです。
太宰治の短編の「トカトントン」なども、インターネットで探して読んでみるとわかりますが、人間性を低めることによって成立している真実です。文学者は、高い真実を追求する仕事をするべきです。低い真実を伝えることなどは、2ちゃんねるなどでも十分にやられていることで、わざわざ文学を志す人間がやるほどのことではありません。
====参考までに「トカトントン」の一部
私は寝不足の眼を細くして、それでも何だかひどく得意な満足の気持で、労働は神聖なり、という言葉などを思い出し、ほっと溜息(ためいき)をついた時に、トカトントンとあの音が遠くから幽かに聞えたような気がして、もうそれっきり、何もかも一瞬のうちに馬鹿らしくなり、私は立って自分の部屋に行き、蒲団(ふとん)をかぶって寝てしまいました。
====
かってに寝てろ、と言いたくなります(笑)。
日本の国語の教科書には、「羅生門」とか「こころ」とか、湿っぽい話が多すぎます。小学校の国語教科書でも、アンハッピーエンドの話が多すぎます。そういう暗い話が高級だと思うのではなく、もっと明るくてレベルの高い話を国語教育の中で目指していくべきだと思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
国語の本質は、言葉による思考力です。ですから本来男女の差というものはありません。
ところが日本の国語には特殊な事情があり、他の国の国語に比べて、情景の描写や心情の描写が多い、という特徴があります。
この背景には、明治以降、現代日本語の文章の骨格を作った人が、一般に生活力の乏しい文学者だったということがあるようです。そのために、現代日本語の文章は、ある意味で優しくひ弱な文章が多いという特徴を持つようになりました。そして、そういう文章の好きな人が国語の先生になり、国語のテストとしてそういう問題を出します。それで女性が国語がが好きになることが多い、ということになったのだと思います。
言語の大きな役割の一つは、健全な社会人が建設的なことを述べるために読んだり書いたりするということです。ところが日本ではそういう面が、特に国語の勉強で弱くなりがちなのです。
私自身の例で言うと、中学生か高校生の時期に亀井勝一郎の評論を好きになったことがあります。その評論を読んでいるといつの間にか健全さとか建設的とかいうことが、レベルの低いことのように思えてきてしまうのです。その影響は、かなりあとまで残りました。
大学入試センター試験の物語文などにも、その日本文学の特徴がよく表れています。健康な男の子にしてみれば、どうでもいいようなことをああでもないこうでもないと書いているのが、物語文の性格のように思えてきます。そのため、理系の男の子はそういう国語の文章に魅力を感じないのです。将来は、もっと論理的な、実際の生活に役立つ文章の力が必要になってくると思います。
ところが、もちろん受験のためには、そういうひ弱な物語文を読む力も必要になってきます。愚痴のような文章を味わう力も軽視することはできないということです。なぜかというと、日本人の多くは日本社会の中で生活をしていくので、日本の文化を感じる力が必要になってくるからです。例えば、人に物を贈るときに、「つまらないものですが」というような渡し方をする文化に慣れている方が、日本での人間関係はスムーズにいきます。ですから、国語力というのは、本来は思考力が中心ですが、その一部に日本の文化力というものがあり、その日本文化が、他の国の文化よりも女性的な面を多く持っているということです。
作文の得手不得手に関していうと、小学生のときは大体において女の子の方が文章を書くことが得意です。しかし、中学生、高校生になると、どちらかというと男の子の方が文章を書くことが得意になってきます。これは文章のジャンルが事実中心の生活文から説明や意見中心の論説文に変化していくからです
事実中心の事実文物語文と、説明や意見中心の論説文の両方の力をつけるためには、すぐれた物語文とすぐれた論説文を読む必要があります。一般にいうと、入試問題に出てくる文章は質の高いものが多いので、その問題集の問題文を読書代わりに読むということを取り入れていくといいでしょう。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
面白かったです!! 来月の教室新聞に使わせていただいていいですか?
コメント、ありがとうございます。アリットイカビーム(o゜ー゜)/…‥—————<コ:彡ケリ!☆)×_x)/アウッ なんてことをまたやってる場合じゃなくて。
国語教育の原点は、勇気と知性と愛だと思います。
これから、そういう新しい国語教育文化を作っていくためにがんばりたいと思っています。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。