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「中学生からの作文技術(本多勝一)」批判(2)
森川林 2005/12/07 05:21 
 前回は、読点の打ち方と批評の仕方について書きましたが、今回は全体の章について書きたいと思います。

 第一章は、「かかる言葉と受ける言葉」についてです。本多氏は、「かかる言葉と受ける言葉は近いほどわかりやすい」と述べています。これはそのとおりです。例えば、「美しい水車小屋の娘」よりも、「水車小屋の美しい娘」の方がわかりやすいということです。しかし、文章の目的は、「読む側にとってわかりやすく」書くことにあるのではありません。「自分の書きたいことを読む側にとってもわかりやすく」書くことにあります。自分の書きたい順序で読み手にもわかりやすく書くために、句読点の工夫があります。シューベルトの歌曲集で、「美しき水車小屋の娘」という標題があるのは、その詩の訳者が「美しき」をまず伝えたかったからでしょう。「水車小屋の」をまず伝えたかったのなら、「水車小屋の美しき娘」となったはずです。論理的にどちらがわかりやすいかということ以前に、自分が何を先に伝えたいかということがあるのです。その上で、誤解を避けるために「美しき、水車小屋の娘」などという句読点の工夫が出てきます。決して句読点の論理が先にあって、それに合わせて語順を入れ替えればいいというのではありません。

 第二章は、「かかる言葉の順序」についてです。本多氏は、「節を先にし、句をあとに」「かかる言葉は長い順に」と述べています。これもそのとおりです。例えば、「年輪のゆたかなよく育った太い竹」の方が「太くよく育った年輪のゆたかな竹」よりもわかりやすいということです。しかし、ここでも大事なことは、書き手が何を先に伝えたいかという意識が最初にあります。「太くよく育った」をいちばん言いたいのなら、その言葉を最初に持ってくることは何もさしつかえありません。その上で誤読を避けるために、句読点の工夫をするのです。

 第三章は、「テンやマルの打ち方」についてです。本多氏は、読点は論理を明確にするためのものだと位置づけ、論理に合わないテンは間違いだと決めつけます。そうでは、ありません。読点は文章をわかりやすくするために打つものです。そのために、ある程度の論理的な裏づけが必要なのです。本多氏の作文技術では、「論理のテン」→「読み手にわかりやすく」→「語順を入れ替える」と進みますが、本当は、「自分が伝えたい語順」→「読み手に分かりやすく」→「必要に応じたテン」→「論理の裏づけ」となるのです。

 第四章は、「漢字の使い方」についてです。本多氏は、漢字とかなはわかち書きと同じ役割で、文章を読みやすくするためのものだと述べています。だから、「『漢字』にするか『かな』にするかは、その前後で適当な方を選ぶ。無理に統一してはならない」と続けます。だから例えば、一つの文章の中で「いま」と「今」が前後の関係で適当に混在していてもよいというのです。それでもわかりにくいときは、本当にわかち書きにすればよいと話は進みます。なぜ、こういう無理な論理展開になるかというと、読点を論理のテンと限定したために、漢字とかなでつじつまを合わせなければならなくなったからです。漢字とかなは、書き手の文字感覚で、書きたい方を選ぶというのが普通だと思います。「いま」と書く人はどこでも「いま」と書くでしょうし、「今」と書く人はどこでも「今」と書きます。前後の関係で漢字にするかかなにするかを決めるというルールは、多くの人にとって逆に違和感のある書き方だと思います。

 第五章は、「助詞の使いかた」についてです。「は」や「が」や「も」についての説明が書かれていますが、この章が中学生の作文技術にとって特に何か有用なものを提供しているとは思えませんでした。

 第六章は、「改行を考える」です。段落は思想の一単位だから、論理的におのずから決まってくると、本多氏は述べています。しかし、必然的に決まると言えるほど明確ではないのが段落です。書き手の考え方によって、文章は大きくくくられることもあれば、小さくくくられることもあります。本人は話が新しい段階に入ったつもりでも、ほかの人は必ずしもそうは思わない場合もあります。段落は文章を読みやすくするためにあるのです。そのために、論理的に話が変わってくるところで行を変えるのです。決して論理が先にあり、論理的であれば読みにくくてもいいというのではありません。本多氏は、サルトルの「自由への道」で一冊の本の半分にあたる一章全部が改行ゼロだった例を挙げていますが、それはサルトルが文学的な効果を意図して書いたか、よく考えないで書いたからだと思います。サルトルは、主著の一つである「弁証法的理性批判」でも、あまりよく考えを整理しないで書いている印象を私は受けました。

 第七章は、「無神経な文章」についてです。悪い文章を例に挙げて批判することは、文章の勉強を最初のうちだけは上達させます。しかし、悪い例の批判をいくら続けても、上手な文章を書けるようにはなりません。教育の基本は、よい文章を読むことによって、よい文章を書く力をつけることです。悪い文章を批判することによって、悪い文章を書かないようにすることは、教育の導入期にだけ必要なことです。そして、悪い文章を批評する場合も、大事なことは、批評の仕方の思いやりです。本多氏の批評にあるような「ヘドが出そう」「いやみったらしい」のような言葉を中学生どうしが互いの作文の批評に使うとしたら、その作文の授業はかなり寒々としたものになると思います。

 第八章は、「リズムと文体」についてです。自分の好きな文章の例は、だれでも自分の好みでいくらでも出てきます。しかし、このような好みの文章の羅列が、中学生の作文力の向上につながるとは思えません。
 本多氏は最後に、文章改良の例を書いています。ここが、本多氏のこれまでの作文技術の集大成と言えるところでしょう。しかし、その改良のもとになる文章は、「芝生をいためる球技等の行為は厳禁する」という短い標語でした。(笑)

「中学生からの作文技術(本多勝一)」批判(1)
 前回は、読点の打ち方と批評の仕方について書きましたが、今回は全体の章について書きたいと思います。

 第一章は、「かかる言葉と受ける言葉」についてです。本多氏は、「かかる言葉と受ける言葉は近いほどわかりやすい」と述べています。これはそのとおりです。例えば、「美しい水車小屋の娘」よりも、「水車小屋の美しい娘」の方がわかりやすいということです。しかし、文章の目的は、「読む側にとってわかりやすく」書くことにあるのではありません。「自分の書きたいことを読む側にとってもわかりやすく」書くことにあります。自分の書きたい順序で読み手にもわかりやすく書くために、句読点の工夫があります。シューベルトの歌曲集で、「美しき水車小屋の娘」という標題があるのは、その詩の訳者が「美しき」をまず伝えたかったからでしょう。「水車小屋の」をまず伝えたかったのなら、「水車小屋の美しき娘」となったはずです。論理的にどちらがわかりやすいかということ以前に、自分が何を先に伝えたいかということがあるのです。その上で、誤解を避けるために「美しき、水車小屋の娘」などという句読点の工夫が出てきます。決して句読点の論理が先にあって、それに合わせて語順を入れ替えればいいというのではありません。

 第二章は、「かかる言葉の順序」についてです。本多氏は、「節を先にし、句をあとに」「かかる言葉は長い順に」と述べています。これもそのとおりです。例えば、「年輪のゆたかなよく育った太い竹」の方が「太くよく育った年輪のゆたかな竹」よりもわかりやすいということです。しかし、ここでも大事なことは、書き手が何を先に伝えたいかという意識が最初にあります。「太くよく育った」をいちばん言いたいのなら、その言葉を最初に持ってくることは何もさしつかえありません。その上で誤読を避けるために、句読点の工夫をするのです。

 第三章は、「テンやマルの打ち方」についてです。本多氏は、読点は論理を明確にするためのものだと位置づけ、論理に合わないテンは間違いだと決めつけます。そうでは、ありません。読点は文章をわかりやすくするために打つものです。そのために、ある程度の論理的な裏づけが必要なのです。本多氏の作文技術では、「論理のテン」→「読み手にわかりやすく」→「語順を入れ替える」と進みますが、本当は、「自分が伝えたい語順」→「読み手に分かりやすく」→「必要に応じたテン」→「論理の裏づけ」となるのです。

 第四章は、「漢字の使い方」についてです。本多氏は、漢字とかなはわかち書きと同じ役割で、文章を読みやすくするためのものだと述べています。だから、「『漢字』にするか『かな』にするかは、その前後で適当な方を選ぶ。無理に統一してはならない」と続けます。だから例えば、一つの文章の中で「いま」と「今」が前後の関係で適当に混在していてもよいというのです。それでもわかりにくいときは、本当にわかち書きにすればよいと話は進みます。なぜ、こういう無理な論理展開になるかというと、読点を論理のテンと限定したために、漢字とかなでつじつまを合わせなければならなくなったからです。漢字とかなは、書き手の文字感覚で、書きたい方を選ぶというのが普通だと思います。「いま」と書く人はどこでも「いま」と書くでしょうし、「今」と書く人はどこでも「今」と書きます。前後の関係で漢字にするかかなにするかを決めるというルールは、多くの人にとって逆に違和感のある書き方だと思います。

 第五章は、「助詞の使いかた」についてです。「は」や「が」や「も」についての説明が書かれていますが、この章が中学生の作文技術にとって特に何か有用なものを提供しているとは思えませんでした。

 第六章は、「改行を考える」です。段落は思想の一単位だから、論理的におのずから決まってくると、本多氏は述べています。しかし、必然的に決まると言えるほど明確ではないのが段落です。書き手の考え方によって、文章は大きくくくられることもあれば、小さくくくられることもあります。本人は話が新しい段階に入ったつもりでも、ほかの人は必ずしもそうは思わない場合もあります。段落は文章を読みやすくするためにあるのです。そのために、論理的に話が変わってくるところで行を変えるのです。決して論理が先にあり、論理的であれば読みにくくてもいいというのではありません。本多氏は、サルトルの「自由への道」で一冊の本の半分にあたる一章全部が改行ゼロだった例を挙げていますが、それはサルトルが文学的な効果を意図して書いたか、よく考えないで書いたからだと思います。サルトルは、主著の一つである「弁証法的理性批判」でも、あまりよく考えを整理しないで書いている印象を私は受けました。

 第七章は、「無神経な文章」についてです。悪い文章を例に挙げて批判することは、文章の勉強を最初のうちだけは上達させます。しかし、悪い例の批判をいくら続けても、上手な文章を書けるようにはなりません。教育の基本は、よい文章を読むことによって、よい文章を書く力をつけることです。悪い文章を批判することによって、悪い文章を書かないようにすることは、教育の導入期にだけ必要なことです。そして、悪い文章を批評する場合も、大事なことは、批評の仕方の思いやりです。本多氏の批評にあるような「ヘドが出そう」「いやみったらしい」のような言葉を中学生どうしが互いの作文の批評に使うとしたら、その作文の授業はかなり寒々としたものになると思います。

 第八章は、「リズムと文体」についてです。自分の好きな文章の例は、だれでも自分の好みでいくらでも出てきます。しかし、このような好みの文章の羅列が、中学生の作文力の向上につながるとは思えません。
 本多氏は最後に、文章改良の例を書いています。ここが、本多氏のこれまでの作文技術の集大成と言えるところでしょう。しかし、その改良のもとになる文章は、「芝生をいためる球技等の行為は厳禁する」という短い標語でした。(笑)

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