絶対音感を育てる方法は、音を単音やメロディーとして聴くのではなく、和音として聴くことを繰り返すのだそうです。単音やメロディーとして聴いた音は、音と実体、又は音とメロディーの流れを把握する力を育てます。しかし、この方法では絶対音感は育ちません。
ところが、和音というひとつの確固とした響きを持ったものを繰り返し聴いていると、その和音を構成している単音が絶対音感として把握されるようになります。つまり、単音は、それと分かちがたく結びついた全体の世界を先に感じ取ることによって、絶対的な座標を持つようになるのです。
このようにして、絶対音感を持つと、ある曲を数回聴いただけで、それを同じように演奏できるようになります。相対音感しか持たない大多数の人は、ある曲を聴いてそれを同じように歌うことはできますが、同じようにすぐ演奏することはできません。
図式的に言うと、相対音感は、曲というものを、左から右へと流れる横の音のつながりとして把握する力です。これは、だれもが自然に持っています。絶対音感は、曲を構成する音を、横のつながりとしてだけでなく、縦の座標として把握する力です。左右との相対的な位置としての音ではなく、その音自体が座標上の位置を持っているのです。
これと似たことが言葉にもあてはまります。普通の生活では、言葉は状況との関連で語られます。寒いから「寒い」という言葉を発し、おなかがすいたから「おなかがすいた」という言葉を発します。この状況と結びついた言葉を聞くことによって相対語感が育ちます。ここで言う相対とは、言葉が状況に対応しているということです。この相対語感が、一般に言われる言語能力です。
子供は成長するにつれて、相対語感として身につけた言語能力によって、より広い世界を理解するようになります。言葉は単に状況と対応しているだけではなく、言葉と言葉の組み合わせによって構成された、より大きな体系を理解する手段にもなっています。これが学問のような体系を理解する言葉です。人間は、相対語感を組み合わせて、より大きな体系を理解します。
乳幼児に物語を聞かせるとき、言葉は状況との関連ではなく、物語という大きな世界を構成する要素として語られます。同じ物語を繰り返し聞いていると、子供は、物語というひとまとまりの世界があるのだということを感じ取ります。自分を取り巻く環境は、ただ暑かったり寒かったりするという現象的なものだけではなく、その背後にひとまとまりのストーリーや体系として構成されているものだということを感じ取るのです。
物語という全体の世界が先にあり、その全体の世界を感じる中で、全体と分かちがたく結びついた構成要素としての言葉を繰り返し聞いていると、言葉に対する絶対的な座標が育ちます。これが絶対語感です。絶対的な語感が育つと、ある新しいひとまとまりの物語や学問体系を聞いたときに、それをすぐに理解しそのまま同じように再現することができるようになります。南方熊楠(みなかた くまぐす)や塙保己一(はなわ ほきいち)に見られる超人的な理解力は、この突出したひとつの例だったのです。(つづく)
日本人の学習力を支えてきたものは、幼児期の教育文化です。それは、添い寝と語り聞かせの文化です。母子が密着して感情のやりとりをする中で、昔話などを聞かせてきた文化が、日本人の学習力の土台を作ってきました。
しかし、現代の社会では、その文化が少しずつ失われてきています。その一方でテレビなどの機械による音声が乳幼児の成長に影響を及ぼしています。このため、他の国々より一足先にテレビ大国になった日本において、感情把握に支障を感じる子供たちが増えてきたのです。
0-2歳のテレビをシャットアウトするとともに、語り聞かせの文化を復活し、短いお話を反復して聞かせることによって、日本人の学習力は再びすぐに復活するでしょう。
言語能力は、幼児期までの語りかけによって身につきます。親が子供に何かを話しかけるとき、その言葉はそのときの状況と関連しており、多くの場合、あとに何らかの結果が続きます。幼児は、言葉を聞くときに、その言葉を自分の中で模倣し表現します。そして、自分の表現した言葉と結果が結びつくことによって、状況を言葉で表現できるということを学ぶのです。
しかし、ここで形成される言語感覚は、相対言語感覚とでも呼べるものです。幼児は、言葉によって現実が表現されることを学びます。寒いという言葉には、寒いという現実が対応し、おなかがすいたという言葉には、おなかがすいたという現実が対応します。
ここまでは、普通に成長する過程でもだれでもが身につけるものです。しかし、ここに、更に、物語のようなある程度の長さを持った文章を繰り返し聞かせられるとどうなるでしょうか。
乳幼児は、全身全霊で自分を取り巻く環境に適応しようとして生きています。もしオオカミに育てられれば、オオカミの親が感じたり表現したりすることを、同じように自分も感じ表現できるように成長するでしょう。
この時期に、お話を繰り返し聞かせられると、子供は、世界が文章によって再現できるひとまとまりの体系を持ったものとして存在していることを感じ取ります。言葉は、単に実体や状況を表すだけのものではなく、文章というひとつのまとまった世界を表すものだということを知るのです。
ここで生まれる理解力は、単なる言葉の理解力とは異なっています。(つづく)