日本人の対話は、欧米人のディベートとは違います。
意見の異なる部分を論破し合うのではなく、実例の異なる部分を認め合うのです。
だから、子供との対話も同じ。
子供が、「こんなことがあって、こう思った」と言ったら、親は、「お母さんは、そう思わないわ」などと言わずに、「お母さんも、(それと似た話で)こんなことがあったわ」と言うのです。
すると、お父さんがやってきて、「パパは、ちょっと違うけど、こんなことがあったぞ」などと言うのです。
そうして、互いに異なる実例を共有し合うのが対話です。
ときどき、似た例を探すのに、インターネットで検索してホームページをコピーして渡す人がいます。みんなやっていると思いますが(笑)。
でも、いちばんいい実例は、そういう正確ないデータよりも、お父さんやお母さんの体験談です。
ところで、お父さんは物事を説明的に理解しているので、なかなか体験談が出てきません。
しかし、子供が喜ぶのは、お父さんの自慢話です。
ここで、お父さんが自慢話を始めたときも、お母さんは、「私は、そうは思わないわ」などと言わずに、「私にも、似た例があるわ」と続ければいいのです。
似た例を広げていくことで、子供の創造力も広がります。
なぜかというと、子供は、自分の体験と異なる似た例を知ることで、その隙間を埋めようとするからです。
そして、対話は子供の思考力も育てます。
対話の中では、「どうして」という言葉がよく出てきます。
異なる実例を理解しようとするとき、子供はそれを自分の知っているメタ言語で理解しようとするからです。
今日は、昨日にもまして更に快晴。(超快晴とでも言うのかなあ)
まだ朝ですが、秋の夜長はみんなの自慢話で家族の対話を楽しんでください。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
点数ではなく中身を見よう。
点数を見るからどうしていいかわからなくなり、他人に任せるようになり、
長期的なことも短期的なこともまとめてやらせるようになるのです。
数値化された情報は、しばしば現実の本当の姿を覆い隠します。
しかし、数字がなければ大きな流れを見ることはできません。
数字を生かしながら数字に流されない自分なりの見方が必要です。
子供がテストを持って帰ったら、点数を見るのではなく、その中身を見るようにしましょう。
そして、時には、その問題を親も同じようにやってみて答えを出してみるのです。
すると、自ずから何をすべきかということがわかってきます。
先日、facebookグループ「帰国子女の原」で、海外に暮らす方の投稿に参考になるものがありました。
http://www.facebook.com/groups/189776334405898/
その人は、日本語補習校が近くにないので、家庭で子供たちの日本語学習を工夫したそうです。
その方法は、現地の子供たちと一緒に日本語で遊ぶ企画、日本の漫画や、日本語のアニメやドラマを楽しむ工夫など、生活の中で自然に日本語に触れる機会を増やすことでした。
私はその記事を見て、日本語補習校が近くになく宿題やテストのようなものがないことが、かえってよかったのではないかと思ったのです。(あればまたそれを生かす工夫もできたかもしれませんが)
子供の教育の中心となる場は家庭で、その担い手は親、特にお母さんです。
点数のような外から与えられた評価は、たまに大局を見るときに利用すればいいのです。
基本は、親が自分の目で見る子供の姿だと思います。
今日は、10月14日。
何の日かと思って調べてみたら、大政奉還のあった日でした。
私たちの祖先、と言ってもほんの数世代前の祖先は、国難を自分たちの工夫で切り抜けてきました。
これから日本と世界が遭遇するさまざまな問題も、すべて他人や他国に頼らずに自分たちで切り開いていきましょう。
それでは、今日も静かな秋のいい一日をお過ごしください。
(中根)
(写真は、数前の秋訪れた岐阜県苗木城址の石垣)