言葉の森の低学年の長文音読を難しく感じる方が多いと思います。
読む力には個人差があるので、長文音読は、次のように進めていってください。
第一に、その子が無理なく読めるところまでを毎日読むようにするということです。
一編の長文を全部読むのに時間がかかる場合は、最初の一段落だけ読んでおしまい、という形にしてかまいません。大事なことは、一日の量は短くてもいいから毎日読むということです。
第二に、いつも褒めてあげるということです。どんなにつっかえて読んだとしても、読み終えたときに、「だんだん上手に読めるようになってきたね」と褒めていると、不思議なことに本当に上手に読めるようになっていきます。どうしても、子供の読み方が気になって直したいという場合は、「今日は、お母さんが読むから聞いているだけでいいよ」と言って、お母さんやお父さんが読んで聞かせてあげてください。それを何度か続けているうちに、読み方の指導をしなくても同じように読めるようになってきます。
第三は、意味のわからない言葉が出てきたときです。長文の中には、低学年の子が日常には接しないような言葉が出てきます。しかし、そのときに意味を調べさせる必要はありません。音読の目標は、すらすら読めるようになることですから、意味不明の言葉でもそのまま読めればそれでいいと考えていってください。
しかし、子供は、何度も読んですらすら読めるようになり、読み方に余裕が出てくると、必ず意味のわからない言葉を聞いてきます。そのときこそ、お父さんやお母さんの出番です。その言葉の意味をお父さんやお母さんの今持っている知識の範囲で(つまり新たに辞書などで調べたりせずに)説明してあげるのです。聞く力が育つのは、聞きたいことを聞くからです。そして、説明するときは、できるだけ面白く長々とお喋りを楽しむようなつもりで話してあげることです。
このような音読の仕方によって、読む力や聞く力とともに、親子のコミュニケーションも育てていくことができます。
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文章を読む力は、想像以上に大きな個人差があります。
計算力や漢字力は点数に表しやすいので、一見大きな個人差があるように見えますが、実はその差は大きくありません。
これらの勉強は、勉強した量に比例して身につくものなので、あとからいくらでも追いつくことができます。小学校低学年の成績はあてにならないというのは、この理由からです。
ところが、文章を読む力(読解力)はそうではありません。
文章を読む力は、だれもが同じように持っています。点数に表しにくいので、どの子もあまり差がないように見えます。これは、聞く力も同じです。
しかし、読む力や聞く力は、勉強した量に比例して身についたものではありません。日常生活の中での読む経験や聞く経験を通して、あたかも自然に身につくかのように身についていったのです。
読む力や聞く力の差は、次のようなときに表れます。説明書などの文章を渡されたとき、読む力のある子は、だれに言われなくてもすぐに読み始めます。読む力のない子は、自分からは読み始めません。自分では読まずに何が書いてあるかを他人に聞こうとします。
学校の先生などが、少し込み入った説明をするとします。聞く力のある子は、一度でそのとおりに実行します。聞く力のない子は、難度も聞きなおしますが、なかなか実行できません。
これらの読む力や聞く力は、その子がこれまでの日常生活でどれだけ読む力や聞く力を使ってきたかということに比例しているので、一度差がつくと、その差は広がるばかりとなります。
低学年のころは、目につきやすい勉強に力を入れるのではなく、目につかない読む力や聞く力を育てていくことが大切です。読書や対話が重要だというのは、そのためです。
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医療と農業と教育には、共通点があります。それは、いずれも生命のあるものを相手にしていることです。
更に言うと、政治や経済も、ある意味で社会的な生命のあるものを相手にしているので共通点があると言えます。しかし、話を広げるとわかりにくくなるので、今回は、医療と農業と教育について考えていきたいと思います。
医学と農学と教育学は、西洋の科学を取り入れて大きく発展しました。
しかし、今それが大きな曲がり角を迎えています。
そこで見直されつつあるのが東洋の発想ですが、これはまだ大きな流れにはなっていません。なぜかというと、東洋の発想には、西洋科学のような明確な再現性がないからです。Aという薬を与えたらBという結果になったということであれば、だれもが納得できます。しかし、東洋的な発想は、出る結果もまちまちですし、かかる時間もまちまちです。そこで、どうしても東洋の科学には神秘的な概念が出てきてしまうのです。
神とか霊とか魂という客観的に定義できない概念で組み立てられた論理は、異なる考え方との対話の可能性を閉ざします。そのために、東洋の発想は大きな流れになることがなかったのです。
しかし、ここに来て、新しい科学の可能性が開かれてきました。その一つが脳機能科学で、もう一つが遺伝子生物学です。(量子力学は、まだ観念的に利用される可能性しかありません)
この結果、東洋と西洋の科学が新しい概念で総合化される可能性が出てきた、というのが、現在の状況だと思います。
以上の話を前提にして考えてみると、医療と農業と教育における新しい可能性を次のように考えることができます。
医療の分野では、自然治癒力を生かすことがこれからの最重要課題になると思います。農業の分野も同じで、自然の生命力をいかに生かすかということがこれからの目標になります。教育の分野はどうでしょうか。
教育の分野では、人間が生まれつき持つ学習意欲をいかに生かすかということが大きな目標になると思います。これを、例えば自然学習力と名づけます。自然学習力を生かす教育が、これからの教育の課題になるというのが、私の考えです。そこに、現代の脳機能科学と遺伝子生物学の成果を結びつけるというのが、今後の研究の方向になると思います。(ただし、それは、遺伝子工学のような物理的なやり方ではなく、むしろ哲学的なやり方で、ということです)
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日本語は、長い文章を話したり書いたりすることにあまり向いていない言葉のように思います。
「くまのプーさん」という子供向けの本があります。作者はイギリスのロンドン生まれです。私は、昔この本を読みながら、日本人なら同じ内容をこう長々とは書かないだろうなあと思いました。日本人の感覚としては、不必要な説明や言い回しが多すぎる印象なのです。たぶん、こういう文章スタイルは、シェークスピア以来のイギリスの伝統なのでしょう。
日本の文化では、長さよりもむしろ、無駄を排した短さが尊重されてきました。それが、短歌や俳句などの短い詩形式となって表れています。
石川啄木の歌集や詩集にある短い文章を、日本人は一つのまとまった作品世界として味わいます。その短さに比べると、例えばゲーテの詩集などには、詩なのだか散文なのだかわからないと思うようなものがあります。
そんなことを考えているうちに、日本人のこの短さを好む傾向を、むしろ生かしていくことができるのではないかと思いました。
ところが、これまでの文学の延長で短さを生かすとなると、日本には短歌のように情景や心情を表す形式しかないようです。短歌の中には、意見や思想を盛り込んだものもありますが、論説的な内容を盛り込むのは無理があります。
そこで、考えたのが四行詩という形式です。
基準は、(1)四つに分けて書く、(2)自分なりの発見や創造を書く、(3)できればたとえや自作名言のような表現上の工夫をする、です。
日常生活の中で、ふと、いい考えを思いついた。しかし、長く書くほどの時間はない。短歌などの形式にはなりそうもない。そういうときに使えます。
次は、先日、あるところに書いた文章です。最後の四行目が自作名言になっています。
過去にさかのぼって、嫌だったことをすべて面白かったことに思い返す。
すると、そのときに傷ついたDNA情報が修復される。
そのようにして、人は次々と失われた遺伝子情報を取り戻す。
大事なことは、未来を明るく生きることではなく、過去にさかのぼって明るく生きてきたことだ。
これなら簡単。
四行という制約があるので、無駄に時間をかけることもありません。
作文の勉強としても使えそうです。
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作文小論文の実力は、ある程度まで字数力に比例しています。小学生から高校生の場合、同じ時間内にどれくらい長く書けるかを見てみると、文章力と文章の長さの間にはかなり相関があります。
しかし、もちろん例外もあります。一つは、小学校低学年で長く書きすぎる子は、意外と苦手な子が多いということです。長さだけを目的にするのであれば、句読点などを気にせずに、「そして」「それから」「それで」とどんどんつなげていけば、いくらでも長く書けるからです。もう一つは、高校生以上で、考えることや書くことが好きな子は、優れた内容の文章を密度濃くまとめることもあるということです。
長く書くコツは、二つあります。一つは、小学生の場合です。説明や感想を中心に書くと、字数はどうしても短くなります。逆に、描写の部分を増やせば字数は増えます。描写を増やすためには、そのときの会話を思い出すことです。会話の改行で字数が長くなるように見えるということもありますが(笑)、それ以上に、会話を書くことによって、そのときの様子を絵を描くように書くので自然に長く書けるようになるのです。
もう一つは、中学生以上の場合です。中学生以上になると、作文のジャンルが説明文や意見文になるので、描写的に長く書くことは難しくなります。そこで、実例を増やして書くようにするのです。その実例は、体験実例ではなく、主に知識実例です。本をよく読んでいると、使えそうな知識が蓄積されていきます。教科書で覚えるような知識は、断片的な知識であることが多いので、作文の実例としては役に立ちません。歴史の教科書をいくら読んでも歴史実例は増えませんが、ある人物の伝記を一冊読めば、そこからいろいろな生きた実例を身につけることができます。
そして、本当はもう一つ、長く書くための大事なコツがあるのです。それは、根性です(笑)。というとおかしく聞こえますが、「今日は、何が何でも○○字まで書こう」と思って、無理矢理にでも字数を引き伸ばすと、その無理矢理書いた字数が、なぜか自分の実力になっていくのです。
この根性というコツは、書くスピードにもあてはまります。書くのに時間がかかる生徒は、書き出す前に、「何が何でも○分で書き上げよう」と思って書くと、そのスピードが次第に自分の実力になっていきます。
これからの勉強の参考にしてください。
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4.4週の「山のたより」についている読解問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出しています。
読解問題の答えを作文の丘から送信する人は、作文の丘に答えを入れる欄がありますから、清書と一緒にそこから送信してください。
読解問題の答えを作文用紙に書く人は、作文用紙に問題と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。住所シールは、清書の1枚目にはってください。問題の方にははりません。

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サツキ4.3週の長文で、一部ミスプリントがありました。
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5. やがて……、たねがついています。
6. 草のみです。
7. みなさんが、……めをだすばしょをみつけるのです。
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の6番の文が前後とつながりませんので、6番を飛ばして読んでおいてください。
正しい長文は、課題の岩に入れなおしました。
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言葉の森の作文の書き方は、あるパターンを指定してその枠に沿って書く形になっています。こういうスタイルで作文の勉強をしているところは、ほかにはないと思います。
なぜパターンや表現項目を決めて書くかというと、事前指導に力を入れるためです。事前に作文の書き方のアドバイスができるので、生徒は作文を書きやすくなるのです。
一つの書き方を何ヶ月も続けていると、作文を書く形が決まってきます。しかし、それで不自由になるかというと、そうではありません。
4.2週の言葉の森新聞に高3のM君のメッセージがあります。その中に、次のようなことが書いてありました。「作文を書くのが得意になってきたら、だんだんこの『設計図』を、自分なりに『崩してゆく』ことをしたいと思うようになるでしょう。私の場合、最初は学校の作文などでも、言葉の森で習ったような型で書いていましたが、作文が楽しくなると、それを自分なりに変え、いくつかの学期でのポイントを組み合わせるようになりました」
つまり、自分なりに自由な書き方をするための土台として、構成を決めて書く練習があるのです。設計図どおりに書く力があれば、設計図を自由に変更して書くことができるようになります。
自動車教習所で縦列駐車を学ぶときの方法も似ています。「車の左の角があの目印のとこころに来たらハンドルを左に切って、そのあと右の角があの目印のところに来たら右に切る」。これで、初めての人でも一度で縦列駐車ができるようになります。しかし、その方法は、その場所に停めるときにしか使えません。ところが、何度もその場所をその方法で停めていると、次第に縦列駐車一般の停め方が身についてきます。
似たことは、勉強の仕方にもあてはまります。成績を上げるコツは、同じ参考書や同じ問題集を何度も繰り返し勉強することです。ところが、多くの人はつい、同じものを何度もやるよりも、違うものを少しずつやった方がいいと思ってしまいます。
一冊の問題集を繰り返し解く場合、一回目で解けなかった問題が二十パーセントあり、二回目で解けなかった問題が十パーセントあり、三回目で解けなかった問題が五パーセントあれば、その問題集は最終的に九十五パーセント消化したことになります。しかし、一冊目の問題集で二十パーセント解けない問題があり、二冊目の問題集でも二十パーセント解けない問題があり、三冊目の問題集でも二十パーセント解けない問題があれば、それらの問題集は最終的に八十パーセントしか消化できなかったことになります。そして、かかる時間は三冊の問題集を解く方がずっと多いのです。
まずパターンをすっかり身につけるということを勉強の中心に置き、そのパターンの中身を豊かにする方法として、読書や体験に力を入れていくというのが作文の勉強の考え方です。
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