△木の俣渓谷(今度のサマーキャンプで遊びに行くところです)
小学生のお母さんから、よく、「理科や社会はどういう勉強をしたらよいか」と聞かれます。
私の返事は、「理科や社会は学校でやっていれば十分」です。
学習塾や通信教育などで勉強すると、国語や算数だけでなく、理科や社会もついてきます。
どうせ勉強をするならバランスよく全教科やる方がいいという考えもあります。しかし、小学生のうちに時間の余裕があるからと言って、与えられたメニューを全部やっていると、学年が上がるにつれて勉強の時間に追われるようになってきます。
理科や社会は、広い意味で読書の一種ですから、本を読む力さえつけておけば、わざわざ学校の授業以外に勉強する時間を設ける必要はないのです。
そのかわり、重点を置くのは、国語の読む力です。読む力とは、ある程度難しい文章も楽しく読めるという力です。
極端に言えば、この読む力さえついていれば、あとは本人がやる気になったときにどうにでもなるのです。
もう一つは、算数が苦手にならないくらいに、つまり普通か普通以上にできるようにしておくことです。
というのは、算数はいったん苦手になると、どこから手を付けていいかわからなくなることがあるからです。
しかし、これも普通に勉強していれば特に問題はありません。
この国語と算数を重点にした勉強で、生活に余裕を持たせるようにし、その余裕の時間で、読書や対話やさまざまな経験をしていくのです。
小学4年生までは、勉強面で難しいことは何もありません。
だから、親が勉強をさせれば、誰でも成績が上がります。
しかし、ここで必要以上に成績を上げても、それはその後の学年の成績には結びつきません。小4までは普通にほどほどにできていれば十分です。
高学年になって成績が伸びる子は、低中学年で勉強をしていた子ではなく、読書や対話をしっかりしていた子なのです。
▽参考記事
「幼児期の勉強の要は、親子の対話と作文」
https://www.mori7.com/index.php?e=2166
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今の日本の勉強環境は至れり尽くせりなので、その分無駄なこともかなり多いのです。
子供時代に必要なのは、同じ無駄でも、無駄な勉強ではなく無駄な遊びの方です。
無駄な勉強はあとに何も残りませんが、無駄な遊びは子供に多くのものをもたらすからです。
江戸時代の寺子屋教育の理論面を支えた貝原益軒は、「学問は本、技芸は枝」と言いました。
世の中には、いろいろな習い事がありますが、いちばんの中心は学問です。
そして、その学問の中心は読む力なのです。
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昨日の小6の思考発表クラブで、子供がyoutubeなどインターネットを長く見るようになって、その分読書量が減っている気がする、という相談がありました。
昔、テレビが普及し始めたころ、評論家の大宅壮一氏は、一億総白痴化という言葉で、テレビが人間の思考力や想像力を低下させていると警鐘を鳴らしました。
このテレビよりも誘惑度の高いのが、インターネットの世界です。
テレビや漫画は、つい惰性で見るので無駄な時間を過ごしがちです。
インターネットは、それ以上に惰性で見てしまうことが多いのです。
数年前、イギリスの中学生がSNSに時間を取られ、読書をしなくなったという記事が載っていました。
これは、日本でも同じ事情になりつつあると思います。
では、どうしたらいいかというと、これはやはり自己コントロールによる、生活とインターネットの共存しかないのです。
禁止というのは、小学校低学年のころはあり得ますが、高学年や中学生の子に禁止というのは、問題を先送りするだけになります。
誘惑に負けるというのは、子供だけの問題ではなく、大人も含めた人間の本質的な問題です。
それを克服するのが、広義の教育です。
私の考えの基本は、「よく遊び、よく学べ」です。
youtubeも楽しむ、SNSも楽しむ、そして読書も、勉強もたくましくやり遂げる、しかし、そういうことができない人とも仲よく接する、という人間像の目標を立てて、そこに近づくように親子で努力していくということな のです。
▽参考記事
「国語の成績は、氷山の水より上の部分。下の部分は、親の価値観と生活習慣」
https://www.mori7.com/index.php?e=2184
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子供がyoutubeやSNSに夢中になっていたら、親はどうしようかと悩むと思います。
しかし、そういう無駄な回り道に見える時間も、将来子供が自立するためには必要です。
放置するのでも、禁止するのでもなく、共存するという仕組みを作っていくことがこれからの子育てには必要になってくるのです。
子供が小さいころに、命令や禁止を中心に子育てをしていると、その子が成長したときに、本人の自主性に訴えるということができなくなります。
だから、親の言うことを何でも聞くような子供時代にこそ、その子の自主性を尊重して接していく必要があります。
人間にはもともと、よりよく生きたいという本質があるので、その本質を引き出すことが子育ての基本方針になると思います。
親がまともで躾もきちんとしている場合、情報の取捨選択が正しく行われるので問題はないのかも知れません。しかし良識のない親、躾もいい加減な親の場合、ネットにはテレビと違って放送倫理などはありませんから子供が誤った情報を信じてしまったり過激な思想に染まってしまったりなどの危険性が高まると思います。今はゆとり世代が親であり、政府の教育方針も歪んでいますので、近い将来、偏った知識を持つ倫理観に欠ける大人が量産されるというような事態が生じるかもしれませんが、政治に無関心で教育よりも学歴を重視する現代社会ではそれも仕方ないことなのでしょうね。
匿名さん、ありがとうございます。
今の教育の問題点のひとつは、家庭での教育が後退していることです。
いちばんの格差はそこにあるのではないかと思っています。
TVの問題は、その受動性にありました。
時間とともに音声と映像は強制的にながれるもので、
読書のように自主的に速度をコントロールできるものではありません。
また、放映されるチャンネルはせいぜい10であり、
その中において各番組の意図は限られています。
その多くはCMスポンサーの意図であり、
否応なしに視聴者は資本主義に組み込まれるものでした。
この2点において、先見の明があった大宅壮一氏は、
文明破壊装置という定義をしたのでしょう。
その聡明さは特筆たるものがあります。
YouTubeがTVにとってかわるのは間違いないと思いますが、
大きな違いはマウスクリックを挟むという能動性です。
ここにどんな影響度が生まれるか、注目しています。
くまモンさん、ありがとうございます。
YouTubeの特徴は、発信する手段にもなるということです。
今は、ユーチューバーが再生回数を競い合っているところがありますが、それはまだYouTubeが成熟していないからです。
将来は、不特定多数の再生回数よりも、ある特定の仲間と価値ある情報を共有するという形に進化していくと思います。
テレビ等の営利が絡んだ扇情的・短絡的な報道内容に自らが操作されていることに気づくのは、上記の匿名コメントがそうであるように、大人の我々でも個人の努力のみでは難しいことです。
それに加え、Youtubeなどに代表されるインターネットの広告やコンテンツが、人々から収益を得るための仕掛けは、試行錯誤を繰り返し、年々多様化・巧妙化しています。
ですので、これらの誘惑とうまく付き合っていくには、各家庭ごとの対応では足りないのではないか、と危惧しております。
同じ志を持った家庭同士が連携し、情報交換を密に行い、インターネットと共存できる具体的方法を共有することが肝要だと思います。
最新の医学研究でYouTubeを筆頭としたスマホコンテンツがテレビやテレビゲームよりも遥かに脳に悪影響だと証明されました。
平均して1日三時間以上の視聴で前頭葉と側頭葉を大きく萎縮させることが医学的に証明されています。
YouTubeを子どもに野放図に解禁するのは児童虐待に相当します。
大人ですらもがYouTubeを筆頭としたSNSで陰謀論やヘイトを煽動され、YouTubeカンパ詐欺などにひっかかったりYouTubeエコチェンで危険思想をこじらせて反社会的言動を繰り返す事態が日常化しており、このような有害コンテンツを子どもに視聴させるのは虐待に相当します。
情報リテラシー教育とYouTubeが脳に与える悪影響のレクを子どもにうけさせる必要があります
最近の研究では、ゲームは頭をよくするということが言われています。
ゲームは頭をよくするが、youtubeは頭を悪くする、というのはなぜかというと、ゲームが自主的主体的であるのに対して、YouTubeやスマホは受動的であるからです。
根本的な解決は、子供が受け身の喜びよりも創造の喜びを感じるような生活を行うことです。
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