言葉の森の生徒のパソコン入力の清書データが蓄積されてきましたので、いつか機会を見て全学年の森リン点の集計を行い、個人の作文力の位置がわかるようにしたいと思っています。
作文の評価というものは、個々の作品に限ってみると、取り上げた題材の面白さなどで差があり、読む人の主観によっても差があります。しかし、長期間の作文力という点から見ると、大きな傾向がはっきり表れてきます。
ときどき保護者の方から、「毎週がんばって書いているのはわかるが、実力がどの程度ついているのかわからない」という声を聞きます。森リンの点数の傾向を見れば、自分の作文力の進み具合と全体の中での位置がわかります。
森リンは、個々の作品の評価については、誤差があります(特に低中学年では誤差が大きくなる面があります)。しかし、作品の集計数が多くなれば全体の傾向はかなり正確にその生徒の作文力を表します。
しかし、この集計を見る際に、ぜひ家庭で気をつけていただきたいことがあります。それは、
1、絶対に、ほかの子と比較してがんばらせようとしないこと
2、作文を直して作文力をつけるのではなく、読む力をつけることで作文力を向上させること
の2つです。
今、毎月の森リン大賞では、小4までの学年は1位の作品を表示していません。なぜかというと、1位の作品を表示すると、ほとんどの保護者が、その1位の上手な作文と自分の子供の書いた作文を比較してがんばらせようとしてしまうからです。
上手な作文の背景には、その子のこれまでの何年間もの読書や対話などの日本語環境の厚みがあります。それを、短期間で作文の上だけで真似することはできません。そのできないことを子供に要求すれば、子供はただ自信をなくすだけです。
作文の実力をつける方法は、その子の今の作文のいいところだけを褒めて、その一方で毎日の音読、暗唱、読書、対話の自習を続けていくことです。毎日の読む力の蓄積が出てきたときが、作文の力がついてきたときなのです。
森リン点を上げるために表現を工夫して編集し直すのは、自分の文章を見直す機会になりますが、表現の工夫だけで、文章力が上達することはありません。語彙の種類ひとつをとっても、読む本の幅の広さや質の高さがその子の語彙力を決めています。小手先の工夫で語彙力を増やすことはできません。
無理に語彙を増やして作文を書けば、点数を少しは上げることができますが、かえって読みにくい文章になります。それでは本末転倒です。自分の自然に持っている語彙力で上手な作文を書くことが勉強の目標です。そのためには、
作文を直して作文の力をつけるのではなく、読む力をつけてそれが作文に出るようにするという勉強の仕方が必要になるのです。
教育は、人間の幸福、向上、創造、貢献と結びついているという話の続きです。
第二は、向上のための教育です。
今の教育は、向上のために行われているように見えますが、しかし、その目的が受験に合格することに絞られすぎているところに問題があります。その結果、試験でいい点数を取ることが勉強の目的のようになっています。
例えば、一夜漬けや山をかけるような勉強でも、点数がよければそれでよいという発想を子供は持ちがちです。試験の前に集中力を育てるのはいいことですが、試験でがんばりすぎると、試験が終わったら何もしないということになりかねません。
人間が向上心に目覚めるのは、中学3年生ごろからです。だから、高校生になると、勉強はだれに言われなくてもやるようになります。しかし、それまでの小学校時代と中学校時代の大部分は、子供は親や先生の価値観で勉強しています。だから、周囲の大人が、勉強はテストでいい点数を取るためにあるのではなく、自分自身を向上させるためにあるのだと教えていくことが必要なのです。
例えば、テストでわからない問題が出た場合、あてずっぽうで答えを書き、それがたまたま○になっても何のプラスにもなりません。そういうときは、その答えを空欄にして×にしてもらった方がずっといいのです。大人は、そういうことをわかっていますが、子供にはそのことをはっきりと言葉に出して伝える必要があります。
また、今の入学試験は点数で差をつけるために難問を一部に入れることがありますす。総合点でいい点数を取るためには、難問はほどほどに切り上げて、易しい問題や普通の問題で得点を上げていくことが必要になります。しかし、そういう試験勉強に慣れてしまうと、仕事や人生でも難問を避けて易しい問題だけに取り組むようになります。これも、向上とは正反対の考え方です。
向上とは、人間の能力全体の向上です。受験する科目だけに絞った点数の向上ではありません。高校生になると、理系だから国語はやらないとか、文系だから数学はやらないとかいうことが、ごく普通に受け入れられるようになります。しかし、それでは、当面の大学入試には役立っても、世界に通用する学力はつきません。
確かに、日本の社会は、組織力で持っています。個々の人が自分の得意分野を生かし、苦手分野を支え合うことで、組織全体の力で業績を上げることができます。しかし、これからの高度な知的社会では、理系と文系の分離は個人の能力向上という点でも問題がありますが、組織全体のチームプレイにおいても意思疎通の妨げになってきます。
勉強の目的は、ガラパゴス化した日本の大学入試に合格することではなく、自分自身を向上させるためにあるのだということを、親も子も含めて社会全体が認識していく必要があるのです。(つづく)