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学力日本一と入試成績のずれはなぜ起きるか as/1579.html
森川林 2012/07/12 17:37 



 2011年11月のプレジデントファミリーの記事に、「「秋田が学力日本一」はウソ!? 四谷大塚・全国統一テストを詳細分析」という記事が載っています。

http://www.president.co.jp/family/backnumber/2011/20111200/21032/


 「「秋田が学力日本一」はウソではありません。一方、四谷大塚の全国統一小学生テストの上位は首都圏がトップというのもウソではありません。このパラドックスの秘密は、入試問題というものの性格にあります。

 ひとことで言えば、入試問題を解く力は、学力ではなく入試訓練力なのです。入試訓練力は、もちろん学力を土台にしていますが、入試の合否に関する影響力という点で言うと、学力よりも入試訓練力の方が通常はずっと影響が大きいのです。

 上位の学校を狙う子の学力は、どの子も既に備わっているはずですから、入試の合否を決めるのはほぼ百パーセント、入試問題で訓練した力です。そして、そういう訓練力は1年間もあれば大きく成長します。だから、中3のとき学力が上の子よりも、そのとき学力は下でも、高校生になって入試訓練力を伸ばした子の方が、大学入試に勝つことができるのです。


 学力と訓練力の差が最も大きいのが数学です。私(森川林)は、上の子が中3のとき、高校入試のための勉強を見てやったことがあります。ところが、そのとき試しに自分で近くの普通の私立高校の数学の入試問題をやってみたところ、ほとんど0点だったのです。それで、1冊の問題集を買って、子供には自学自習で勉強させ、できなかった問題は解法を見て子供自身で理解させ、解法を見てもわからない問題だけ一緒に考えることにしました。

 私は、高校時代は公立高校の理系のクラスでした。数学は好きではありませんでしたが苦手ということは全くなかったのです。それが、いくら現役から時間がたっているとはいえ、たかが高校入試問題でほぼ0点とは……(笑)。

 しかし、今更じっくりやっている暇はありませんから、とりあえず子供が解法を見ても理解できない問題を一緒に考えることにしました。すると、夏休みの約40日間、1日に1題か2題そういう難問の解法を見ているうちに、入試問題のパターンが頭の中に入ってきました。そして、やがてどんな問題を見ても解き方の見当がつくようになったのです。子供も、もちろん夏休みの間に数学が得意科目になりました。

 今考えると、それは数学の学力がついたのではなく、数学の入試問題の訓練力がついたのだということです。学力はもともとそれほど変化はしません。しかし、訓練力に関しては、わずかの期間に大きく上昇するのです。


 高校入試の数学の得点力は、わずか1か月ほどで大きく変化します。だから、中学生時代のうちは、学力と訓練力の差はそれほどはっきりしません。そのため、秋田の子は、中3になっても学力は東京の子よりも高いのです。

 しかし、大学入試では、訓練力の上昇には、もっと長期間かかるようになり、次第に学力と訓練力は、かけ離れたものになっていきます。これを裏づけるのが、知能テストの成績と数学の成績の相関です。

▽学年ごとの知能テスト(言語因子)と数学の成績の相関(倉石精一郎京都大学教授の調査による)
┏━━┳━━┓
┃小4┃0.76┃
┣━━╋━━┫
┃小6┃0.66┃
┣━━╋━━┫
┃中1┃0.82┃
┣━━╋━━┫
┃中3┃0.55┃
┣━━╋━━┫
┃高2┃0.03┃
┗━━┻━━┛

 つまり、小中学生のころは、知能テストの成績のいい子は、算数・数学もよくできます。しかし、高校生になると、知能テストと数学の成績の関連はほぼなくなってしまいます。(相関が0.03というのは無関係というのとほぼ同じです)

 国語や理科の教科では、大学入試と知能テストの成績は比較的高い相関があります。しかし、数学に関しては、知能テストと入試の成績は、全く関係がないと言ってもいいほどです。数学に次いで、知能テストと入試の成績の関係が薄いのが英語です。そして、入試では、数学と英語の得点力が合否に大きく影響します。

 つまり、ここから言えることは、小学校、中学校と学力の高かった秋田の子は、高校に入ってからも学力は高いだろうということです。しかし、首都圏の学力の高い子が、高校に入ってから入試の訓練力をつけていくのに対して、秋田の子は入試の訓練力というものをあまりつけない高校生活を送っているのだと思います。これが、入試の結果の差になって現れてきます。

 だから、小中学校のころ日本一だった秋田の子の学力が低下したわけではありません。入試訓練力を新たにつける機会が少ないだけなのです。


 このように考えると、子供たちの勉強の理想の姿がわかってきます。それは、大きく四つの段階に分けられます。

 第一は、基礎技能を身につける時期です。数学で言えば計算練習です。

 第二は、学力を身につける時期です。数学の例を続けると、教科書の単元を積み重ねていく時期です。

 第三は、入試訓練力を身につける時期です。教科書を超えた入試問題を解く訓練をしていく時期です。

 そして、第四は、創造的な研究をしていく時期です。これは、入試の訓練のように答えのあるものを早く見つける学習ではありません。自分の力で新しい問題を発見する学習です。

 大事なことは、それぞれの段階は、前の段階の延長にはないということです。四つの段階は、質的に異なったものなのです。つまり、計算練習がいくら速く正確になっても、それで自然に学力がつくわけではありません。また、教科書の進度がいくら進んでも、それで入試が突破できるわけではありません。また、入試の成績がいくらよくても、それでその分野の独創性のある研究者になれるわけではありません。

 勉強というものは、それぞれが前の段階を前提にしていながら、それでいて質的に異なるものだと自覚して進めていくことが大切なのです。

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エコールグランデ 20160204  
中学程度以下の算数と数学には知能テストの言語因子と相関が高く、高校以上の数学には知能テストの非言語因子と相関が高いと発表されているように思いますが

森川林 20160205  
 エコールグランデさん、そういうことはあると思います。
 大事なことは、学年が上がるほど、数学や英語は、もともとの頭のよさというよりも、努力と勉強の仕方で決まるということです。(ただし、大学入試レベルぐらいまで)

教育好き 20181002  
学力テストのランキングは、公立小中学校の平均値
しかしながら、秋田と東京では全く違うことがある。学力テストを受けながらも成績優秀な国立附属、私立や中高一貫校の中学生の成績が平均値に反映されない。秋田附属に若干流れる秋田と東京では比較するとおかしな結果になる。つまりは、国立私立含めた本当の全平均を出さないから大学進学率と違う結果になる。又、国もランク付けの目的が違うと考えられる

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創造性を育てる作文 8(主題の創造性)(最終回) as/1578.html
森川林 2012/07/11 21:15 


 主題の創造とは、感想や意見の創造のことです。人間は、ある物事に対して、関連する知識を持ち、考え方の枠組みを持ち、表現する言葉を持ちますが、それとともにある価値観、例えば好悪、善悪などの主観的な理想を持ちます。それが主題です。

 主題の最も原初的な形は、感覚的な感想です。例えば、遠足に行って、「くたびれた」「楽しかった」「また、行きたいと思った」などと思うのが感想です。この感想が意見の形で発展すると、主題性が明確になってきます。例えば、「みんなと仲よくすべきだ」「自分を意見を持つべきだ」「長期的な視野で考えるべきだ」などです。

 この主題にも創造があります。それもやはり主題に習熟することによって生まれます。主題の習熟とは、自分の考えた主題を繰り返すことではありません。自分以外の多くの人がその主題を述べる中でその主題が反復され、その反復の結果としてその主題自体に一つの隙間が見出され、それを埋めることで創造が生まれるという仕組みです。

 ルターは、当時のキリスト教の圧倒的な支配体制のもとで売られる免罪符を見つめる中で、自然に「神は、善行によってではなく信仰によって人を義とする」という境地に達しました。これが、主題の創造です。

 作文の勉強において、主題の創造は、発表や対話の中で行われます。ある物事に対して多くの人が同じような意見を述べるとき、そこに自ずからその主題の持つ限界が見出され、その隙間を埋めるものとして新しい主題の創造が始まります。それまで最も強固に成り立っていたかのように見えた価値観は、その強固さゆえに多くの人に反復されることによって、やがて陳腐化し、隙間ができ、その隙間を埋めるために新しい価値観に取って代わられるのです。

 日本の近代において、尊王攘夷が尊王討幕に変わったのは、攘夷の障害が大きかったからだけではありません。攘夷の持つ限界が自ずから明らかになることによって、尊王討幕へと進んだからこそ、そのあとに来た価値観は、脱亜入欧になったのです。

 だから、主題の創造で大事なことは、多くの人が発表することと、それが公開されていることです。これによって多数決や強制というやり方をとらなくても、主題の方向は自然に収斂されていきます。しかし、その収斂は決して固定化したものではなく、時の経過とともに新たな主題へと変容する生きた収斂です。この新たな主題が、主題の創造なのです。


 これまでの話をまとめましょう。

 これからの教育で最も大事になるのは創造であり、その創造は、題材、構成、表現、主題の各分野で生まれるということを説明しました。

 これを実際の作文教育の中で実現するためにはどうしたらいいのでしょうか。

 第一に、意欲の創造を支えるために、教育においてこれまで以上に自分らしさというものを評価することです。

 第二は、暗唱、音読、復読などによる題材の習熟に力を入れることです。

 第三は、構成を重視した作文指導です。それは、項目を重視した指導と考えてもいいでしょう。

 第四は、表現の工夫です。特に小学生の場合はたとえ、中高生の場合は自作名言を中心とした表現の工夫です。自作名言は、表現の創造を超えて主題の創造に近いものになります。

 そして第五は、発表です。同じテーマで他の人の作文を読むことによって、多くの人が論じる主題に精通し、やがて新しい主題を作る準備をすることです。


 これまで、子供の教育は、浅い知識を広く習得し、覚えた知識を速く正確に再現することを目標にしてきました。しかし、それは結局、メモリの速度とハードディスクの容量を競うコンピュータを育てるような教育でしかありません。

 機械的な学力は、機械の活用によって簡素化し、そのかわり人間にしかできない創造に力を入れていくのがこれからの教育の重点です。そのために、作文教育を中核とした教育によって創造性のある子供たちを育てていくことが、これからの大きな課題になるのです。(おわり)

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創造性を育てる作文 7(表現の創造性) as/1577.html
森川林 2012/07/10 20:30 



 5月22日の記事「創造性を育てる作文 6」のつづきです。
 だいぶ時間が空いてしまったので、これまでのあらすじを。

====

「創造性を育てる作文 1」
 作文の勉強の目的は、「正しく、わかりやすく、美しく、速く」書くことに加えて、「創造性を育てる」ことにある。

「〃 2」
 創造性には、まず意欲の創造性がある

「〃 3」
 これからは知識の底辺を伸ばすよりも、創造性の高さを高めることが重要になる。

「〃 4」
 読む創造性は、知識が血肉になることが条件である。

「〃 5」
 知識に習熟するための勉強の有効な方法が暗唱である。

「〃 6」
 書く創造性とは、構成を使った創造である。

====

 なんだかややこしい話が続いていますが。
 題材の創造性(読む創造性)、構成の創造性(書く創造絵性)に続いて、今回は、表現の創造性、次回は、主題の創造性です。


 表現による創造とは、作文の場合、主に比喩による創造です。あらゆる表現はもともと創造ですが。その中でも特に比喩は独創性の高い創造です。

 物事と言葉とは、必ずしも一義的に結びついているわけではありません。例えば、この黒いかたまりを、「犬」と言っても、「ミニチュアシュナウザー」と言っても、「黒い子犬」と言っても、どれも正解です。物事は一つですが、それを表す言葉は何種類もあります。だから、物事と言葉の間には、常にギャップがあります。

 話すことにも書くことと同じような創造的な要素はありますが、話にはほとんどの場合、直接的な相手がいます。人間は、話をするとき、言葉を単なるキャッチボールのようにしてコミュニケーションをしているわけではありません。相手の投げていないボール、つまり言っていないことも察する力があるからです。

 例えば、食卓で、はっと気づいた顔をして、「あれとって」と言おうと思い、「あ……」と言うとき、近くにいる人はすぐにそれが醤油(しょうゆ)だとわかる、というようなコミュニケーションが、話すときのコミュニケーションです。それに対して、書くコミュニケーションには直接の相手がいません。だから、話すよりは書く方が表現の創造性を必要とします。この表現における創造性を伸ばすことが、作文教育のひとつの目標です。


 ところで、表現の創造の前提となるものは、言葉そのものへの習熟です。ある言葉が使えると言っても、使えることがそのままその言葉に習熟していることではありません。習熟には個人差があります。

 例えば、カタツムリという言葉を知っている子はたくさんいますが、その知り方の度合いにはさまざまな差があります。それは、カタツムリの属性をどれだけ知っているかという差です。カタツムリは、小さい、殻がある、臆病ですぐに角をひっこめる、雨が好き、ゆっくり進む、ニンジンを食べる、などのさまざまな属性は、言い換えればカタツムリという言葉が持つ概念の広がりを示す何本もの手足です。

 たとえやダジャレが使える子は、このひとつの言葉に対する概念の手足が多いのです。小1、小2の子が、たとえをなかなか使えないのはこのためです。教えられたたとえを理解することはできますが、自分で作ることができないのは、子供たちの使える言葉が、まだ数本の手足しか持っていない素朴な言葉だからです。だから、たとえの練習とは、たとえを教えることではなく、日常生活の体験や読書の中で、言葉の持つ概念の手足を増やしていくことです。


 この概念の手足というものが、文章に対する理解の深さを規定します。ここに国語の勉強の特徴があります。

 国語にも、数学にも、難問というものがあります。易しい問題とは、テストのために作られた空間が限られて閉ざされている問題です。難問とは、そのテストの空間が広く閉ざされていない問題です。

 例えば、数学の場合は、その単元の勉強だけでなく、ほかの単元で学んだことを使わなければ解けないような問題が難問です。

 国語の場合は、その文章で問われている状況を理解するために、その文章以前の経験や読書による共感が必要になる問題です。

 だから、数学はわからなくなったら、わかるところまで戻るという勉強が基本です。これに対して、国語はわからなくなったら、わかるようになるまで読書や経験を積み重ねるという勉強になるのです。したがって、国語の勉強は、問題を解く勉強はほんのわずかでよく、中心になるのは言語を豊かにする読書や対話や暗唱の勉強なのです。(つづく)

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作文の勉強は小1、小2から as/1576.html
森川林 2012/07/08 20:56 



 国語の指導をしている人の中に、「作文は小4から」と言う人がいるようですが、小4からでは遅すぎるというのが本当です。

 小3や小4は、小学生がいちばん小学生らしく充実した勉強をする時期です。読書で言うと、読むのが楽しくなる本がたくさんあり、読書をする力もついてきます。作文で言うと、作文を書く力がつくとともに、作文に書く材料には事欠きません。ちょうど勉強の花が咲く時期なのです。

 ところがここできれいな花を咲かせるためには、まだ花の咲いていない小1、小2のころの準備が必要になってきます。書いたものを添削するだけの事後指導が中心の作文指導であれば、作文が上手に書けるようになってから赤ペンで添削するということしかできませんが、本当に大事なのは添削する以前に実力をつけておくことなのです。

 小3、小4のころは、どの子も生き生きと作文を書きますが、これが、小学校高学年になると、3、4年生ほど無邪気に、書くことや読むことに喜びを感じることができなくなってきます。コンクールなどに入選していちばん素直に喜べるのが小3や小4のころで、それよりも学年が小さいとうれしさという実感があまりありません。また、それよりも学年が大きいと今度は気恥ずかしさのようなものが出てきます。

 だから、作文の勉強が最も充実するのが小3や小4のころですが、しかし、だからこそそのころから作文の勉強を始めるのでは遅いのです。

 勉強の習慣のようなものは、小1や小2のころに形成されます。例えば、毎日の暗唱のような勉強も、小学校低学年で始めれば楽に定着しますが、小3や小4になってからだと、なかなか習慣になりにくいところがあります。

 また、小学校高学年になったり、中学生になったりして勉強や部活などが忙しくなると、作文の勉強が習慣として定着していない場合は、継続することが難しくなります。しかし、小学校低学年のころから作文の勉強をしている子は、そういう忙しい時期でも何とか工夫して続けることができるのです。

 小学校1、2年生は、作文の勉強だけに限っていえば、字数も少なく内容も乏しく、勉強の中身があまりないように見えるかもしれません。しかし、この時期は、外に見えない勉強が蓄積されている時期です。例えば、毎日暗唱をする習慣や、毎日本を読む習慣、毎週作文を書く習慣、書いた作文や音読する長文について毎週親子で対話をする習慣などが形成されています。

 昔から習い事は6歳6か月からと言われています。6歳台では、どのような習い事もお遊びのような感じになります。しかし、この時期に始めた習い事は、ずっと続くものになることが多いのです。

 作文の勉強は、特に言葉の森の場合は大学入試の小論文や現代文のレベルまで続いているので、ずっと続ける値打ちのあるものです。ほかの習い事にもそれぞれの価値はありますが、小学生から高校生まで続けられて、それが大学生になっても社会人になっても役立つ実力となるというものはあまりありません。

 だから、作文の勉強は、小1や小2から始めた方がいいのです。

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創造する子供たち、対話のある家庭、自助の教育 1 as/1575.html
森川林 2012/07/07 20:42 



 今、世の中は大きく転換しようとしています。「我思う。故に我有り」で始まった欧米の個人主義の文化が、経済的にも理念的にも行き詰まりを見せ、その方向に人間の明るい幸福な未来はありそうもないと多くの人が気付きはじめました。

 それに取って代わるものが、今、経済的に台頭しつつある新興国だと思う人はいません。新興国の経済発展は、単なる遅れて来た欧米化であり、古い世界に生まれた新しい力に過ぎません。中国やブラジルは、ヨーロッパやアメリカや日本がたどって行き詰まった道を、まだあとから走っているに過ぎないのです。

 では、欧米に代わる新しい道があるかといえば、それがまさに日本がかつて明治維新という欧米化の中で否定してきた古い日本の文化の中にあったのです。そのことがはっきりわかったのが、3.11の東日本大震災でした。この過酷な自然災害と人為的な災害の拡大の中で、日本文化が精神的にまだ強い生命力を持っていて、それは欧米の文化とは異なる文脈の中でこれまで生き続けていたことがわかったのです。その隠されていた日本文化を、欧米のもたらした科学技術の光の中で、新しい世界文化として開花させることが、これからの日本の果たすべき役割です。

 欧米の文化は、主人と奴隷の文化でした。頭脳として判断し命令する役割を持つ人と、手足として命令され働くだけの役割を持つ人とがはっきりと分化され、幸福は消費生活の中にあると思いこまされてきたのが欧米の文化でした。働くことは苦役であり、働きから解放されることが人間の理想でした。この、それなりに首尾一貫した世界に、日本人もまた洗脳されてきたのです。

 しかし、日本の歴史には、その欧米の価値観とは異なる文化も連綿と流れていました。それは、だれもが等しく創造する主体で、その創造と愛と調和の中で社会が成立することが可能だという確信に裏づけられた文化でした。

 欧米文化は、自分以外のすべての主体を物として対象化する文化でした。だから、欧米文化の理念的な究極の理想は、自分だけが主人となり自分以外のすべての主体が奴隷となる社会を作ることでした。その理念の近似的な社会形態が、カースト制度のような、ヒエラルキーで社会の隅から隅までが組み立てられた社会でした。

 日本文化は、これとは正反対の文化を持っていました。日本人にとっては、あらゆる対象は単なる物ではなくそれ自体の意志を持つ主体だという無意識の前提がありました。「鶴の恩返し」の鶴は、単に機を織るマシーンではなく、自らの意志を持つ主体者でした。雪の中で立っていた笠地蔵は、単に笠をかぶせてもらう対象としての石の像ではなく、自ら行動する意志を持った主体でした。

 多くの日本人にとって、スズメやカエルやハエも、人と同じような心を持つ主体でした。(やれ打つな蠅が手をする足をする 一茶)。そして、植物でさえ、人間と共存すべき対等の意志を持つ主体だったのです。(朝顔につるべとられてもらひ水 加賀千代女)

 しかし、明治以来の教育は、日本本来の文化とは異なる欧米の文化の中で育まれてきました。学校教育の中では、ハエやアサガオは、実験や観察の対象ではあっても、共存する仲間ではありませんでした。日本の文化は、学校の中ではなく家庭の中で細々と受け継がれてきたのです。

 明治時代に全国に作られた学校制度は、子供たちを一挙に欧米の文化に適応させるための制度でした。それは、日本の近代化が直面していた富国強兵の国家像に合うための優れた歯車としての人間を育てる教育制度でした。そして、優れた歯車として求められる能力は、時代の変化とともに変化しながらも、歯車であるという目標だけは一貫して続いていたのです。

 歯車を動かす方向としてのハンドルも、やはり欧米文化の提供したものでした。方向は決まっているから、あとはその方向に合わせて能率よく動く歯車となれ、というのが、近代の、そしてこれまで続いていた教育の本質的な価値観でした。(つづく)

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