言葉の森新聞7.3週号でお知らせした「問題集読書と四行詩の自習登録」のページができました。
https://www.mori7.com/mori/mdds.php
問題集は、各自でご用意ください。
このページで自習登録をすると、言葉の森から、「問題集読書と四行詩の手引」と「分冊作成用の表紙」が送られてきます。
自分で分冊を作成し、毎日4-6ページ読み、四行詩を1つ書いて、作文と一緒に先生に送ります。
そうすると、先生の方で自習チェックをするようになります。
問題集読書は、小学5年生から受け付けていますが、実は5年生にはまだ少し難しいと思います。しかし、5年生でも、いい詩を書いてくる子はかなりいます。
毎日4-6ページ読み四行詩を1編書くのにかかる時間は、大体15分です。このわずか15分の勉強で、読む力も書く力もつきます。
問題集なので、問題を解きたくなる人もいると思いますが、問題を解く勉強というのは多くの場合時間の無駄です。国語の勉強は、読む力をつけるという正攻法で取り組んでいくものです。
四行詩は、作文と一緒に先生に送るので、ルーズリーフのようなものに書いていくといいと思います。返却された四行詩をファイルしておくと、あとでいい思い出になると思います。
読書というものの最終的な姿は、ひとりで読む、好きなものを読む、自分のペースで読む、考える材料として読む、という形です。本を読む生活が日常化している人は、通常こういう読み方をしています。
しかし、世の中には、本の好きでない子に本を読ませる工夫として、この読書の自然な形から遠ざかる読み方を教えているところもあります。子供の教育としての読書は、大人の読書生活としての読書とは異なりますから、いろいろな工夫をするのはよいことですが、あまり人工的な工夫は、かえって長続きしません。
学生時代に読書会をしたことのある人は多いと思いますが、読書会の欠点は、第一に、読むのが遅すぎることです。本というものは一挙に最後まで読んだ方が頭に入ります。難しい本の場合は、最後まで読んでそのあと再読すればよいのです。ところが、読書会では、1章を1週間かけて読むというような読み方をします。これでは、理解できるものもかえって理解できなくなってしまいます。
第二に、読む人のレベルに違いがあることです。参加する人が同じぐらいのレベルだということは、めったにありません。すると、話がはずむのは、低いレベルの話題のときだけということになります。
第三は、興味が人によって違うということです。したがって読書会は多くの場合、一部の人にだけ興味があり、ほとんどの人にはあまり興味のない本で行われるようになります。
読書は、読書会などでゆっくり読み合うよりも、自分のペースで好きな本をどんどん読んでいった方がずっと楽しく能率よく身につきます。
読書会形式が役に立つのは、その本に精通していて参加者全員よりも一段高い立場にいるリーダーとなる人が存在しているときです。これは、学校でいえば先生にあたります。つまり、いい先生がいる、参加者が大体同じレベルである、参加者の興味が似ている、というのが、読書会がうまく行く条件になります。
しかし、これは参加者と本のレベルが低いときに成り立ちやすい条件です。参加者と本のレベルが高くなるにつれて、この条件は成り立ちにくくなります。
小学校の学年で言うと、小学校2年生から4年生ぐらいまでは、読むレベルが似ているので、読書会という形式で本を読むことも可能です。しかし、小学校2年生から4年生のころは、そういう回りくどいやり方をしなくても、読む機会さえ増やせば、だれでも本を読むようになるものです。
小学校5年生以上になると、読書会はかなり難しくなります。このころになると、読める子と読めない子の差がかなり広がるので、そういう読書力の差をうまくまとめられる先生はほとんどいなくなります。そして、たとえうまくまとめられる先生がいたとしても、読書力のある子は、読書会よりも自分のペースで本を読むことを好むようになるのです。
こう考えてみると、読書会形式は、教室集団の一斉授業で、先生の工夫がカギで、参加する生徒はただのお客さん、という近代の学校スタイルの勉強を無意識のうちに踏襲しているように見えます。
未来の教育は、個人別に対応し、先生は後ろから見守るだけで、生徒が自分のペースで進めていく、というようなものになります。
読書する子を育てるという場合、どんな本をどのように読むかということよりも、まず毎日必ず読むということが大事です。毎日家庭で本を読む時間を確保すれば、それだけで本を読む子は育ちます。そのあと、初めてどのような本をどのように読むのかを考えていけばいいのです。