学力には、大きく分けて理解力と表現力があります。
現在の受験体制を中心とした勉強の中では、理解力の基礎となる記憶力が特に重視されがちです。それは記憶の再現という形の試験が、○と×をつけやすい単純な試験だからです。
多くの受験生を短時間で採点するためには、答えが一意的に決まっている再現型の問題を出す方が能率が上がります。しかし、そのために子供たちは、記憶することや理解することが勉強の中心だと思ってしまうのです。
しかし、これからは、理解力ばかりでなく、表現力が理解力以上にもっと重視されるようになります。
記憶力や理解力が必要とされた社会は、同じ作業を正確に続けることが要求される工業型の社会でした。しかし、与えられた課題を与えられたとおりに正しく遂行する能力は、次第に人間ではなく機械やソフトウェアによって代替されるようになってきます。
これからの社会では、与えられた仕事を決まったやり方で取り組む人よりも、新しい課題を自分で発見して創造的に解決する能力を持つ人が求められてきます。そこで、創造力の土台となる表現力を育てることがこれからの学力の中心になってくるのです。
作文というのは、何もないところに自分の考えを創造していく勉強です。特に、言葉の森で行っている構成図をかきながら考えるという作文は、創造的に考える力を育てるのに役立ちます。
今、目の前に置かれている勉強の状況を見るだけでなく、将来の社会によって求められる学力という観点から、子供たちの勉強の重点を考えていく必要があります。
将来の学力として必要なものは、第一に自分の考えを創造的に表現するという意味での作文力、第二にその表現力の基礎となる読解力を育てるという意味での国語力、第三に創造性を数学的にも適用できるようにするという意味での数学力です。
しかし、数学や英語は、学年が上がってからでも、取り組み方によって比較的短期間に成績を上げることはできますが、作文力や国語力は、子供のときからでないと得意にさせることはなかなかできません。だから、小学校1年生の楽しく勉強できる時期から作文の勉強を始めていくことが大事なのです。
ユダヤ民族は、聖書を暗唱するという勉強法で知られていますが、その暗唱の勉強するときにコツがあります。それは、体を前後に揺らしながら暗唱するのです。
体を前後に揺らしながら暗唱した方が能率がよいということは、私の経験からもそういえると思います。
暗唱するときに、じっと椅子に座ったまま静かにやっているよりも、部屋の中をぐるぐる歩き回りながら声を出した方が、ずっとスムーズに文章を覚えることができます。
ですから、家庭で子供たちが暗唱の練習をするときに、お父さんやお母さんは、机の前に座って真面目に動かずに暗唱するなやり方ではなく、体を揺らしたり歩き回ったりしながら暗唱するやり方をすすめてあげるといいと思います。
では、なぜ体を動かしながら暗唱した方が頭に入りやすいのでしょうか。
話は変わりますが、生まれたばかりの子猫を自分では動けないような状態にして、人間が抱き抱えていろいろなものを見せるという心理学の実験が行われたことがあります。
人間があちこちに運んでいろいろなものを見せるのですから、感覚器官ということだけに関して言えば、猫はそれらのものを見ているはずです。ところが、自分で動くという行動なしに、目だけで見たものは、その後猫が成長したときに視覚として認識できなかったようなのです。
見るという感覚器官は、見ることを目的として育つのではなく、その猫が生きるという行動の手段として見ることによって初めて育つのだといえます。
また、話は変わりますが、幼児期にテレビやCDやDVDによって絶えず言語の流れる環境にさらされた子は、言語能力が正常に成長しないようです。
言語というものも、それ自体を目的として聞いたり読んだりするから能力が育つのではなく、自分が生きるという行動の手段として読んだり聞いたりすることによって初めて正しく発達するのです。
こう考えると、体を動かしながら暗唱したほうがよいということも納得できます。
動きながら暗唱することによって、暗唱が単に暗唱自体を目的としているのではなく、対話や討論のような自分が生きるという行動の手段として暗唱しているという身体感覚を持つことができるようになるからです。この身体の感覚が脳に働きかけるので、脳が自然に能率よく文章を覚えるようになるのです。