====4月15日のfacebook記事より====
作文というのは、国語力の集大成のようなものですから、いろいろなところで欠点が目につきやすいものです。
ほとんどの人は、それをすぐに直そうとします。
しかし、その欠点はそう簡単には直らないものがほとんどです。
だから、作文教育に熱心になればなるほど、作文の苦手な子が増えるのです。
誤解の多い指導法でよくあるのは、ほかの子の上手な作文を見せることです。
... 上手な作文を見せて、「こんなふうに書いたらいいんだよ」と言われて、「はあい、そんなふうに書きます」となる子はひとりもいません。
作文は、その子のこれまでの読書や対話や経験の総合的なものですから、すぐには書き方を変えることができないのです。
上手な作文を何度も見せられていると、だんだん劣等感が増してきて、かえって書けない子になっていくのです。
いちばんいいのは、その子の作文のいいところだけをしっかり褒めることです。
そして、その一方で、読書や音読や対話の自習を気長煮続けていくことです。
しかし、褒め方も、ただ褒めればいいというだけでは、そのうち褒めることがなくなってきます。
その子のできるぎりぎりのところを目標にして、それができたら褒めるということができればいちばんいいのです。
今日も、いい天気で、風の強い日です。
ちょうど春先は、「風が吹けば桶屋が儲かる」という季節なのでしょう。
桶と言えば、桶に入る水の量は、その桶の周りを囲むいちばん低い板によって決まるというリービヒの最小律という法則がありました。
作文の評価も、欠点が最初に目につきやすいという点で、ちょっとそれに似ています。
桶に入れるものを液体ではなく、果物のような固体にすると、もしかすると最大律というものが成り立つのかもしれません。(新しい法則(笑))
====4月13日のfacebook記事より====
本当は、勉強は楽しいものです。
その楽しい勉強観を持つためには、自分で勉強することが大事です。
本格的な勉強が始まるのは、高校生になってからです。
そのときにがんばれる子は、小学校時代に自分のペースで余裕のある勉強の仕方をしてきた子です。
小学生の勉強する内容は限られているので、時間をかければ誰でも成績が上がります。
だから、塾によっては、学校が終わってからすぐその足で塾に向かわせ、夜中まで勉強漬けにするところがあります。
そして、それで実際に成果が上がるのです。
しかも、子供はそのときそれなりに生き生きと楽しくやっているように見えます。
しかし、そのあとが問題です。
自分で勉強するのではなく、人にやらされて勉強することに慣れてしまった子は、中学生になっても、やらされないと勉強できなくなることが多いのです。
そして、勉強は、苦しいものだから、強制や褒美がないとできないものだという勉強観を持ってしまいます。
だから、小学生の勉強は、結果が第二、方法が第一です。
結果を求めすぎると、方法が二の次になってしまいます。
子供が小さいときほど、勉強は子供自身のペースで無理なくやるようにしていくことです。
その結果と方法の兼ね合いを見られるのは、やはりお父さんやお母さんなのだと思います。
今日ものどかな春の空です。
植え込みのツツジも、次々と花を咲かせ始めました。
ツバメは、まだ来ていないようですが、今ごろ太平洋のどこかを飛んでいるのでしょうか。
果たして、この間作った巣に来るかなあ(笑)。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。