昨日、寺子屋オンエアの実験授業をしました。google+のハングアウトオンエア機能を使って、自宅で勉強する生徒と教室をウェブカメラと音声で結び、互いの様子を見ながらそれぞれが自分の勉強や仕事をするという形です。
実際にやってみて、この方式は、もう少し洗練されたものにすれば、通信の授業にも使えると思いました。
言葉の森の電話通信の指導では、担任の先生が生徒に自宅に電話をして説明をします。生徒は電話を切ったあと、自宅で作文を書きます。書いている途中にわかりにくいところがあれば、教室に電話をして聞くことができますが、やはりわざわざ電話をするというのは億劫なのか、そういう電話はあまりありません。
これがもし、オンエアで先生と生徒がつながっている状態であれば、生徒はすぐに先生に質問ができます。もちろん、先生はその生徒につきっきりでいるわけではなく、順番にほかの生徒に電話指導をしているのです。
オンエアでつながっている利点は、もうひとつあります。それは、音声を切っておけば、画面は見えても、ほかの人の声は聞こえないことです。通学教室では、先生が生徒に説明をしたり生徒が暗唱をしたりするときに、他の生徒にもその声が聞こえるので、気が散る可能性があります。特に難しい課題を考えて書いている生徒には、雑音の入らない状態で静かに書く環境があるのが理想です。それが、オンエアの授業では容易に実現できます。
人間は、ひとりで勉強するよりも、仲間と一緒に勉強した方が張り合いがあるようです。教室に来る生徒の中にも、自然に仲のいい友達ができて、その友達に会いに教室に来るというような感じになってきます。同じようなことがオンエアの授業でも成り立ちます。
このように考えると、将来は、通学の教室に通うというよりも、自宅で通信のオンエア授業を受けるというやり方が一般化するかもしれません。
日本は、都市部に人口が密集しているので、塾や予備校が駅前にあることが多く、通学でもそれほど負担に感じません。しかし、世界に目を転じると、勉強する場所が歩いて通える範囲にないという地域も多いのです。
インターネットの回線や機器は、これから更に低廉化し、途上国でも利用しやすくなってきます。今後は、この寺子屋オンエア方式が、世界の教育の標準スタイルになってくるのではないかと思いました。
2011年3月11日から、日本が大きく変わりました。
その日を境に、多くの人が、自分の人生と日本の運命を同じように大事なものと考えるようになったのです。
その流れは、今も続いています。
そして、欧米型の資本主義は、今大きな曲がり角に来ています。
これまでの世界経済を発展させてきたものは、「神の見えざる手」という名のエゴイズムでした。
そのエゴイズムが、人間社会の中に大きな格差を生み出し、日々それを拡大させ、もはや自力で回復することが不可能なまでに社会の亀裂を作り出しています。
日々加速して拡大する中央銀行の借金の流れの先にあるものを、多くの人は気づきはじめています。
いずれ大きな破綻が来たときに、自分の身だけを考えて奪い合いを始める社会では、どこにも平穏はありません。
東北の人々が3.11で示したような、助け合いと譲り合いの気持ちが広がる社会では、破綻は新しい時代のきっかけとなるでしょう。
今の社会はまだ、富を求める欲望で動いているように見えます。
しかし、人間は本当は心の奥で、そういう欲望の世界とは別の次元に移りつつあります。
未来の社会に生きる人間が持つ欲望は、創造と向上と貢献への欲望になるでしょう。
その社会を世界に先駆けて提案するのが日本の役割です。
2011年3月11日は、そういう社会の出発点だったのだと思います。