25日(木)の発表交流会は、少人数でしたので、発表ごとに質問や感想を聞くことにしました。
たまたま、木曜日の思考発表クラブを生徒と先生が集まったので、互いに一度聞いたことのあるような発表もあったと思います。
今回の発表交流会は、事前に参加フォームで参加を連絡してもらうというところがわかりにくかったようです。
次回は、どんな人が参加しているかを見て、参加する日程を選べるようにできると思います。
本日27日(金)は、1月の最後の発表交流会になります。
見学だけで参加する形でも結構ですので、発表交流会を見てみたい人はぜひどうぞ。
子供は、見学だけで参加する場合、読んでいる本の紹介をしてください。
大人は、見学だけで参加できます。
ただし、いずれもカメラはオンでお願いします・。
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学校にいる間は、人間の能力には差があるように見えますが、社会に出てからは、能力の差のようなものは関係がなくなります。
社会に出てからは、自分からやると言うか、あとからついていくという言うか、そのどちらが多いかが最も大きな差になります。
だから、子育ての一つの目標は、自分からやると言える子を育てることです。
小さな挑戦、小さな自信が積み重なって、大きな挑戦になっていくのです。
子供たちが自信を失ってしまうのは、点数で評価されることが多くなるからです。
だから、親はいつも、子供を点数とは関係のないところで認めてあげることです。
実際、社会に出たら学校時代の点数など関係なく、積極的に生きるかどうかがほとんどすべてだからです。
発表交流会の意図も、そういうところにあります。
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1月24日に引き続き発表交流会を行いました。
この日は、参加者が多かったので、午後7時から始めて、終わったのが午後8時半ごろになってしまいました。
発表交流会で面白いのは、参加者が互いに質問や感想を言い合うところですが、24日は時間がなかったので、それがあまりできませんでした。
しかし、今回から参加フォームであらかじめ参加者がわかるようにしたので、次回からは参加状況を見て会場を複数に分けるようなこともできると思います。
以下の写真や動画は、みんなの発表の一部です。
これらのほかにも、読んでいる本の紹介や、カメラにいろいろなものを見せて口頭で行う発表など、いろいろな発表がありました。
参加された生徒のみなさん、講師のみなさん、ありがとうございました。
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発表交流会の発表は何でもいいのですが、主なものは、読んでいる本の紹介、作文の構想図、理科の実験、社会の研究、料理や工作、いろいろな経験などです。
本の紹介については、「あ、その本読んだことある」とか、「面白そうだから、今度読んでみたい」とか、意外と交流があります。
オンラインなので、本の貸し借りなどはできませんが、ほかの人が読んでいる本というのは、結構読書生活の刺激になるようです。
昨日24日の発表交流会は、人数がやや多かったので、時間を延長して午後8時半までやることになりました。
途中、お腹がすいてきたのでしょう。
小2のRちゃんはおにぎりを食べながら参加していました(笑)。
こういう自由な参加の仕方ができるところが、オンライン発表会のいいところです。
あと、突然、「ちょっと」と言って画面からいなくなった子がいたので、しばらく待っていたら、戻ってきて、「トイレに行ってきた」。
画面には映りませんが、お母さんやお父さんも一緒に見学できるので、子供たちの様子がわかって面白かったと思います。
今度は、もう少し人数調整して、もっと質問や感想のやりとりをする時間を作りたいと思います。
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府立福知山中学校・立命館中学校・東山中学校 D.Nさん
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和光高校(推薦) R.Iさん
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1月23日(火)に、発表交流会を引き続き行いました。
今回は、作文の構想図の発表と、日本銀行券に関する社会研究の発表がありました。
いろいろなことを準備してしっかり発表できる子は、勉強力に余裕があります。
今は、習い事に追われて、できるだけ手を抜いて勉強したいという子供が増えていますから、こういう発表する余裕があることは貴重です。
かつて、ゆとり教育の弊害が叫ばれたことがありますが、ゆとり教育は、現場の力がないと手を抜く勉強になってしまうことがあったからです。
逆に、子供たちの実力に余裕があるところでは、通常の勉強以上に密度の濃い勉強ができていました。
これからの社会では、与えられたものを受け取るだけでなく、自分から何かを創造する力が必要になってきます。
受け取る形の勉強は、必要になった時点で取り組めばすぐにできるようになります。
もちろん、すぐにとは言っても、体系的な勉強では数ヶ月以上かかることはありますが、それでもやる気になったときからが勝負なのです。
今は、親が焦って、子供にまだ勉強に対する意欲がない時期から、必要以上のことを詰め込んでいる気がします。
勉強は、親が、少しものたりないと思うぐらいのところが、子供にとってはちょうどいいところです。
多くの人は、子供の勉強が予定よりも早く終わると、つい追加の勉強をさせてしまいます。
本当は、そのときは、「わあ、すごい。早く終わってよかったね」と言っておしまいにするのがいいのです。
すぐに点数に結びつかない時間が、あとで子供たちの創造力の財産になってくるからです。
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小学校低学年の子供たちで、なぜ勉強しすぎの子が多いかというと、この時期は何でも簡単に吸収できる時期だからです。
だから、周囲の同じ年齢の子供でも、「もう○○ができる」などというすごい子が現れやすいのです。
そして、そういう子を見ると、親は自分の子供と比較して焦ってしまうことがあります。
しかし、そういう早期教育の差は、大したものでない場合がほとんどです。
学年が上がると、誰でもそこに追いつくので、結局低学年のころにあった差はなくなってしまいます。
しかし、大きく差のつくものもあります。
それは、読書と対話と自由な遊びです。
また、運動系、音楽系に近い勉強もそうです。
例えば、算盤は運動系に近く、暗唱は音楽系に近い勉強です。
しかし、いちばん大きなものは、やはり家庭の日常の中で言葉の生活を充実させることと、本人が自由に遊べる時間を大切にすることです。
言葉の充実は思考力を育て、自由な遊びは創造力を育てるからです。
そして、自由な遊びは、やがて年齢が上がるにつれて、自由な学問研究や自由な仕事の創造につながっていくのです。
自分なりの面白い実験や研究をしている子を見ると、私は将来有望だと思ってしまいます。
そういう子は、何をやるにしても、自分らしい一工夫を付け加えようとするからです。
一方、勉強に疲れた子は、やれと言われた最低限のことしかやろうとしません。
例えば、作文の字数の課題が600字だとすると、600字っぴったりで終わらせるのです(笑)。
作文の好きな子は、字数の目標とは関係なく、自分の書きたいことを納得行くまで書いていきます。
今は、字数ぴったりに終わらせる子の方が成績はいいことが多いのですが、将来は、目標を超えて熱中する子の方が大物になっていくのです。
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