私は本気でけんかをしたことはありませんが、戦いごっこは大好きです。
ときには社長さんの靴下、ときにはぬいぐるみ、ときには風船。これまでいろいろな相手と戦ってきました。
一番印象に残っているのは、ゼンマイで動くネズミのおもちゃです。
私の先祖は、ネズミ捕りを仕事にしていたそうです。その血が私にも流れているのだと思います。
ネズミが相手なら一晩ネズニ戦い続けると思いマウス。
今日のダジャレはちょっと苦しかったかなあ。(^_^;) でも、まあ、カラット笑ってね。
(注釈:マウス(mouse)はペットとしても飼われるかわいいネズミ。
ラット(rat)は汚い地下にいるようなネズミ。)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
いぎょうぎ、が、良いですね。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。息抜き(19)
●動画:
https://youtu.be/B0M4Yoh-4SY
言葉の森の作文検定®は、他の作文力検定などというものとは全く違います。
どこが違うかというと、客観的な評価ができるところです。
他の作文的な検定試験は、人間が主観的に評価するものですから、人によって、又は、採点した日によって、点数がまちまちになります。
大体よく書けているとか、あまりよく書けていないとかいうことは、誰でもわかります。
しかし、そういう主観的な評価では、子供は何をどうがんばればいいのかわかりません。
これは、学校や塾で行われている作文指導も同じです。
客観的な指導ができないので、よくある指導は、上手に書けた子の作文を見せて、「こんなふうに書いてみよう」とアドバイスをすることです。
しかし、それで、上手に書けるようになる子はいません。
言葉の森の作文指導の客観的な評価は二つあります。
第一は、項目指導です。
低中学年であれば、たとえを入れるとか、書き出しと結びを工夫するとかいう表現上の項目です。
高学年や中高生であれば、名言を入れるとか、複数の理由を書くとかいう主題と構成の項目です。
これらの項目を時間内に目標とした字数で書くように努力をすることによって、作文力が伸びてきます。
客観的な評価の第二は、自動採点ソフト森リン(もりりん)®による評価です。
森リンは、作文に使われた語彙の多様性、重量性、高度性と、それらのバランスを評価しています。
下記の図は、小3の生徒で、ある月に森リン点が1位になった生徒の1年間の点数の推移です。
素材語彙、重量語彙、強力語彙のいずれも点数が上昇しています。
しかし、このような角度で上昇する子は珍しく、普通はもっと緩やかな傾斜で、1年間に2ポイント上がるぐらいが平均的です。
言葉の森の作文検定は、このような2種類の客観的評価によって、人間が主観的に評価するのとは全く違う検定試験になっているのです。
この作文検定を、今年の10月3日(日)の午前9時から行うことを、現在計画中です。
なぜ計画中かというと、ちょうど8月末からサーバーの引っ越しがあるために、サイトの中にあるプログラムを大幅に書き換える必要があるからです。
森リンがそれまでにうまく動けば、作文検定は実施で、そうでない場合は日程を延期します。
今後、作文検定を定期的に行うことによって、子供たちの作文学習の目標を明確にし、自分の作文力の進歩のあとが見えるようにしたいと思います。
なお、この作文検定は、言葉の森の生徒以外の方も受けられますが、項目の書き方などがわかりにくいと思いますので、事前に作文検定の説明会も行う予定です。
また、作文検定の学年別上位5位の作品の中から、人間が評価する形で作文検定大賞を選ぶ予定です。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
今、作文力検定とか、文章力検定とか、少し前は国語力検定とかいうものがありましたが、どれも主観的な文章評価+国語のテストの域を出ていませんでした。
こういう検定試験を受けて、点数をつけられても、子供は何をどうしたらいいかわかりません。
教育のいちばんの基本は、子供がわかることです。
これは、学校や塾の作文指導についても言えることで、作文の授業があっても、そこで子供は何をどうすればいいかわからず、ただ書いたものが先生の主観で評価されるだけだったのです。
その作文指導を客観的な土台に乗せるのが、言葉の森の作文検定です。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。作文検定試験(4)
●動画:
https://youtu.be/pP5x9tPG1pU
今の教育の問題は、現場の先生の個人的な努力にも関わらず、教育システムそのものが時代遅れになっているところから来ています。
まず、1クラス30人から40人のクラス編成では、生徒の創造力や思考力の伸ばす教育はできません。
できるとしたら、既にできあがった知識をいかに能率よく、しかもある程度楽しく教えるかということだけです。
しかし、そのような知識の教育はやがて、優れたビデオ教育に取って代わられるようになります。
ビデオ教育であれば、まだ自分のペースで進めることができますが、リアルな授業形式の教育では、できる子は退屈し、できない子は理解できないまま授業時間を過ごすことになります。
こういう教育が、小学校から始まって、中学、高校と無反省に続けられているところに問題があります。
子供たちの創造力や思考力を伸ばす教育をするためには、1クラスの人数を5人程度に絞る必要があります。
5人より多ければ、子供たちの発表や対話の時間は限られ、自然に先生からの与える授業が中心になります。
与える授業とセットになっているものは、理解度を評価するためのテストです。
そして、授業の内容を、生徒が自分なりに習得するための宿題です。
つまり、今の学校教育は、テストと宿題をセットしなければ成り立たない教育なのです。
この教育のどこの問題かというと、テストに関しては、始めは基本事項の確認だけであったものが次第に、生徒間に差をつけるものになっていくことです。
だから、どうでもいい知識のテストや、解けなくてもいいような難問を出すようなテストが行われるようになります。
宿題の問題は、すでに多くの人が感じているように、やる必要のない時間だけがかかる問題が一律に宿題として出されることです。
大人数(といっても30人から40人ですが)の一斉授業と、差をつけるためのテストと、時間がかかるだけの宿題がセットになっているところに、今の教育の問題が集中的に表れています。
子供たちは、もっと創造的で思考力を必要とする生きた教育を受ける必要があります。
そして、子供たちどうしのコミュニケーションを活発にすることで、互いの共感力を育てる必要があります。
教育に関しては、多くの人が持論を持っています。
それらの持論は、雰囲気的には同感できるものが多くあります。
しかし、そういう持論を述べている人のほとんどは、実際の教育の現場に携わっていません。
だから、それらの議論の多くが、実現が簡単そうに見える空論になっているのです。
多くの優れた教育論がありながら、教育の現状が何も変わらないのはそのためです。
言葉の森は、教育に対する理念を持つと同時に、実際の教育上の実践を長年行ってきました。
単に成績を上げるためだけの詰め込み教育でない、創造力と思考力とコミュニケーション力を育てる教育を目指してきました。
作文という、成績に関係のない教育を40年も続けてきたのはそのためです。
その実践を現在、オンライン五人クラスというプラットフォームで確立する見通しがついてきました。
オンライン五人クラスの教育的な先進性は、まだ多くの人が理解していません。
しかし、5人以内に限定した教育は、落ちこぼれも、浮きこぼれもない、しかも創造的で思考力を必要とする教育を行える新しい教育プラットフォームになります。
しかも、その5人クラスの中で、子供たちどうしのコミュニケーションを通して、勉強だけでない幅広い人間性も育っていくのです。
言葉の森のオンライン五人クラスは、まだ全体の生徒数が少ないので、本来のよさを生かしきれていないところがあります。
例えば、2人しかいないクラスがあったり、学年の違う生徒が同じクラスになっていたりすることです。
しかし、今後、オンライン五人クラスが広がれば、同レベルの生徒の高度なコミュニケーションをもとにした理想的な教育が行われるようになると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。オンライン教育(0) 教育論文化論(255)
●動画:
https://youtu.be/KYngs-3fgHU
国語読解クラスの勉強の中身は、ひとつは、問題集読書です。
もうひとつは、前の月の読解問題の答えの解説を自分で書いて説明することです。
国語の問題集を解くのではありません。
また、読解問題の解説を先生から聞くのでもありません。
自分で読んで、自分で考えるというのが勉強の基本スタイルです。
中学生のある生徒(K君としておきます)が、中1から国語読解クラスを始めました。
最初は普通の点数でしたが、だんだん点数がよくなり、前回のテストではついに100点を取りました。
この読解検定で100点を取るのはかなり難しいので、よくがんばったと思います。
K君は、問題集読書を毎回きちんとやっていて、まだ8月なのに、もう自分の学年の国語の問題集を5回読んでいるところだそうです。
問題集読書というと、普通は問題を解くと考えがちですが、問題を解くだけでは何の力もつきません。
国語力は、難しい文章を繰り返し読む中でついてくるのです。
しかし、学習塾で、難しい文章を繰り返し読むという授業をやっているところはまずありません。
それでは、授業の格好がつかないからです(笑)。
だから、塾の先生は、子供に問題を解かせたり、その問題の解説を講義したりすることで授業らしいことをします。
ところが、それで国語の成績が上がるという子はまずいません。
言葉の森の、問題集読書と読解検定という方法だけが、国語の力を本当につける方法なのです。
問題集読書と読解検定というやり方であれば、家庭の自学自習でも当然できます。
しかし、問題集読書は張り合いがないので、自分だけで続けられる子はほとんどいません。
また、読解検定は、問題を説いて答え合わせをしたあとから本当の勉強がはじまるのですが、問題を解くだけで終わってしまう子がやはりほとんどです。
国語力を本当につけるには、国語読解クラスに参加するのがいちばんなのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155)
●動画:
https://youtu.be/g6-SErsw3Vk
昨日のオンラインサロンで、小1の保護者の方から質問がありました。
それは、中根が、「小1のころの上手な作文は、本当の実力ではない」ということと、「小1や小2のころにがんばらせすぎると、あとで反動が来る」ということを言ったことに関連しての質問だったと思います。
実は、この2つのことは本当で、小学1、2年生のころは、読んだ本の文章がそのまま頭に入っていて、作文のときにそれがそのまま出てくるという面が強いのです。
だから、小学1、2年生とは思えないよう達者な作文を書くことがあります。
しかし、それはその子の作文の実力ではありません。
それまに読んだ本が、そのまま頭から出てくるだけなのです。
だから、小1や小2のころ、長い作文を書いていた子が、小3になって自分の言葉で作文を書こうとするようになると、字数が以前よりも少なくなることがあるのです。
ところで、小1や小2のころの作文は、大人から見ると、直したくなるところがたくさんあります。
しかし、その直すアドバイスはできるだけしない方がいいのです。
子供の立場になってみると、せっかく自分が書いたものを、あとから直されるというのはかなり負担です。
そういう負担を感じることが増えると、子供は、何か書こうとするたびに、親に、「次はどう書くの」と聞くようになります。
それは、自分が書いたあとに直されることに対する予防線なのです。
だから、お母さんが力を入れるところは、作文を直すことではなく、作文を書く前の準備としての題材作りと読書習慣に関してなのです。
質問のあった小1の子のお母さんは、毎回、子供の作文の題材作りに力を入れているということでした。
そういう作文の準備に力を入れる中で、親子の対話が増え、子供の対話力や思考力が育っていきます。
小1のころの作文の勉強で大事なのは、この作文の準備と読書の習慣です。
小学1年生は、小学校時代の勉強の基礎ができる時期ですから、作文の勉強を中心にして、親子の対話、作文の準備、読書の習慣、そして更に暗唱や音読の習慣がつくようにしていくといいのです。
さて、ちょうどそのオンラインサロンが終わってから、残っていた講師が、創造発表クラスを担当している先生で、「作文の準備でいろいろしたことを創造発表クラスで発表して、その中身を作文に書くという組み合わせがよい」とアドバイスをしてくれました。
確かに、小1や小2のころは、作文の題材作りとしていろいろ楽しい実験や観察や工作や料理などの試みができます。
それを創造発表クラスで発表すれば、創造力と発表力が育ちます。
そして、それを作文に書くようにすれば、作文の題材探しに困ることはなく、同時に文章力、表現力が身につきます。
現在、小1や小2で作文の授業を受けている人が、創造発表クラスの見学にも参加できるように、近いうちに、見学週間などの企画を行いたいと思っています。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。小学校低学年(79)