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中学入試、高校入試の志望理由書の書き方 as/1131.html
森川林 2011/01/20 11:31 


 書き方の大事なポイントは、3つあります。
(1)字数を調整しやすくするために、パソコンで下書きをすること
(2)裏付けとなる数字や固有名詞のデータを入れること
(3)子供本人に任せずに必ず親が見てあげること

 志望理由書の書き方ということで、書店にはいろいろな本が出ています。書く内容は、それらを参考にしていただくことにして、ここでは、それらの本にはあまり書いていないことを説明したいと思います。

 第一は、子供任せにしないことです。志望理由書は本人が書くという建前になっていますが、小6や中3の子供に任せて、いいものが書けるはずはありません。と書くと言いすぎですが、ここはやはり親が全面的に協力して内容を煮詰めていくことです。

 第二は、明るい内容、面接で話題にしてほしい内容に絞ることです。明るさというのは、志望理由書以外に、作文の試験の場合も重要です。文章がうまければよいというのではなく、自分の好ましい人柄がにじみ出るように書いていくことが大事です。

 第三は、勉強の話を中心にしていくことです。学校は勉強をするところです。それなのに、部活や友達や趣味の希望をたっぷり書いてしまう人がいます。学校で青春を楽しみたいという気持ちはわかりますが(笑)、勉強をしにいくのだという原点を大事にしておかなければなりません。その学校に入ったら、どんな勉強を何のためにどういうふうにやっていきたいかということを書いていくことです。

 第四は、書くスタイルです。よく直接鉛筆で書いて、手書きの原稿を推敲している人がいますが、それでは十分な推敲はできません。まず最初に、自分が普通に書くぐらいの字の大きさで、読み手にとって見にくない程度の文字で2、3行手書きで書いてみます。そして、1行の平均的な字数を数えます。そのあと、その字数と行数に合わせてパソコンで下書きを書いていきます。パソコン上で推敲を十分に行ってから、最後は手書きで清書をするようにします。

 第五は、書いたものは、必ず書いた本人以外の他人に見てもらうということです。本人がアピールしたいと思っていることと、相手に実際にアピールすることとは違います。どういう内容がアピールするかというと、ひとつは挑戦したことがわかる話、もうひとつは継続したことがわかる話で、これらに客観的な裏づけのあるデータを入れて書きます。客観的なデータとは数字や固有名詞のことで、例えば、「○年間、○○の委員長を務め、○○という工夫をして、○○パーセントの成果を上げた」というような書き方です。

 志望理由という言葉から、自分の希望を中心に書いてしまいがちですが、未来の話はだれも同じようなものになりがちです。自分らしい過去の実績を盛り込みながら書いていくことが大事なのです。

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記事 1130番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
本物の国語の力をつける言葉の森の勉強 as/1130.html
森川林 2011/01/19 16:52 



 言葉の森では、毎週1回の作文の勉強以外に、毎日家庭で取り組む自習の課題があります。

 その自習は、問題を解くようなものではなく、同じ文章を繰り返し読むという自習です。この同じ文章を繰り返し読むということが、国語力の最も確実な土台となっています。

 その一つは、暗唱用長文です(ただし、本人の希望により、自習として取り組むかどうかを選択できます)。暗唱の勉強というと、文章を覚える勉強と考える人がいますが、そうではありません。覚える勉強ではなく、何度も繰り返して声を出して読んでいるうちに、結果として覚えてしまうという勉強です。

 この暗唱の方法は、言葉の森が独自に開発した暗唱用紙を使って行います。仕組みはきわめて簡単で、100字の文章を30回読んで覚えることを基本に、1ヶ月で約1000字の文章を暗唱できるようにするという方法です。

 最初は、どの子も、そんなことは難しくてできないと思うようです。しかし、実際にやってみると、わずか10分でほとんどの子が、100字の文章をすらすら暗唱できるようになります。あとは、手順を追って毎日10分の自習を続けていけば、1ヶ月でだれでも簡単に1000字の文章が暗唱できるようになります。

 この暗唱によって、どのような効果があるのでしょうか。読む力と書く力と理解する力がつくのです。もちろん長い文章を覚える力もつきます。暗唱の練習をした子は、中学生や高校生になって英文や古典の文章を覚える必要が出てきたときも、暗唱の仕組みを知っていますから気楽に取り組むことができます。しかし、暗唱の本当の目的は、記憶力ではなく、理解力をつけることにあります。

 どうして暗唱によって理解力がつくのでしょうか。それは、長い文章を丸ごと自分のものにすることによって、その文章の中にあるさまざまな因果関係も丸ごと自分のものとして消化できるようになるからです。理解力は、初歩的な段階では文を理解することですが、高度な理解力になると、文の理解ではなく、文章の中に盛り込まれた考え方の理解になります。この考え方の理解が、理解力の本質で、それがすべての学力の土台となるのです。

 毎日の自習として、小学校高学年や中学生、高校生の生徒が行っているものは問題集読書と四行詩です(ただし、本人の希望により、自習として取り組むかどうかを選択できます)。これも、言葉の森の独自の勉強法で、入試問題集を読書がわりに読むことで、難しい説明文を読む力をつけていくものです。(つづく)

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記事 1129番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
新たな知のパラダイム(その4) as/1129.html
森川林 2011/01/19 10:34 


 デカルトの分析哲学は、個の哲学であり、有の哲学でした。それは、物が個として有るというところから出発していました。

 例えば、石を投げたとすると、その石は物として有り、その物を分析すると、質量と速度と方向に分けることができるとします。有る物を分析して、分析しきれなくなるまで分けていったところに、抽象的概念や定理があります。抽象的概念はデジタル的なものなので、数値として取り扱うことができます。こうして、ニュートンの物理学をはじめとする科学の世界は、分析哲学の土台となったのです。

 この科学は、物理学にとどまらず、社会科学や、政治、経済、産業にも発展していきました。ルソーの社会契約論、産業革命、進化論、植民地主義などは、もとをたどればこの「有の哲学」にもとづいて生まれてきたものです。

 ヨーロッパ諸国が植民地を拡大したとき、ヨーロッパ以外の地域では、その「有の哲学」に対抗できる知的枠組みを持っていませんでした。そのため、植民地主義はきわめて短期間に世界中に広がりました。

 有色人種の国の中で、ただひとつ日本だけは、かろうじて和魂洋才として「有の哲学」を自分の文化の中に移植しました。それまでおだやかに全く別の知的文化的枠組みで暮らしていた日本は、欧米の野蛮な植民地主義に対抗するために、自らも野蛮なヨーロッパ文化の仲間入りをせざるをえなかったのです。

 しかし、日本はもともと野蛮には向いていませんでした。和魂洋才の才の部分はヨーロッパの科学技術として消化吸収することができましたが、魂の部分は日本の文化に取り込むことができませんでした。それは、自分と相手を対立するものと見て、相手を単なる対象物として扱う文化です。

 例えば、奴隷の文化や、肉食の文化や、策略の文化は、日本人にはなじまないものでした。肉食は、その後、明治政府の政策によって広がりましたが、日本人の多くは、今も食用のために動物を殺すことに抵抗を持っています。また、ペット犬などでも耳を切ったり尻尾を切ったりする文化は、もともと日本犬にはありませんでした。それは、日本が「有の文化」とは対極にある自他同一視の共感の文化、思いやりの文化を持っていたからです。それを「有の文化」と対比する意味で、「無の文化」と呼べる思います。

 有の文化を象徴する言葉が、デカルトの「我思う故に我あり」だとすると、無の文化を象徴する言葉は、鴨長明の方丈記にある「(人の世は)水の泡にぞ似たりける」です。これは、インドの空の哲学、中国の老子の無為の哲学と共通するアジアの世界観で、更には、アメリカインディアンや南米のインディオの世界観とも共通するものの見方でした。

 一本道で、デカルトが「我思う故に我あり」と言いながら歩いてくるところを、反対側から鴨長明が「水の泡にぞ似たりける」と言いながら歩いてきて、二人がぶつかりそうになったとき、先によけるのは長明の方でしょう(笑)。そして、その一本道に食べ物と棍棒があり、二人とも空腹であったとき、先に棍棒を手に取るのはデカルトの方だったでしょう(デカルトさんごめんね(^^ゞ)。これが、ヨーロッパが、世界中の有色人種を支配した構図だったのです。(つづく)

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記事 1128番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
国語力をつける作文 as/1128.html
森川林 2011/01/18 16:05 



 国語力は、あらゆる勉強の基礎です。英語を勉強するにも、数学を勉強するにも、最初にあるのは国語的な力です。そして、国語力の必要性は、最初にあるだけでなく、勉強が高度になるにつれてますます大きくなっていきます。

 例えば、大学入試の英語力は、かなりの部分が国語力です。なぜかというと、大学入試に出てくるような英語の問題文は、問題文自体に考えさせる内容を含んでいるからです。このため、国語的な読み取る力のある人は、それだけ問題文を容易に理解します。英語の問題は、難しくなればなるほど、英語で書かれた国語の問題という性格を持つようになっていくのです。

 また、数学の勉強を志す人に、大学の先生などがこぞって言うのは、国語力のある生徒に来てほしいということです。これは、日本だけの現象ではなく、実は世界的な話です。物理学者でありながらノーベル化学賞を受賞したアラン・ヒーガー氏は、大学生のときに自分の進路を決めかめて、当時の物理学の教官に、「物理学者になるには、どんな資質が必要なのですか」と聞いたそうです。教官の答えは、「英語(つまり国語)がよくできることだよ」だったそうです。理科系の勉強をするにも、一流になるためには国語力が欠かせないのです。

 しかし、この国語力は、どのようにしてつくのかということが実はわかっていません。多くの人は、塾に行けば国語の成績が上がると考えていますが、そのようなことはありません。塾は、英語や数学や理科や社会など、知識によって成績が上がる教科の勉強には向いていますが、国語のような考える力を必要とする教科の勉強には対応していません。ただ全教科カバーしていないと塾らしくないので、国語の授業もあるという程度なのです。

 これは、学校の勉強を考えてもわかります。英語や数学などの教科の勉強は、その教科書をしっかりマスターすればそれだけで成績を上げることができます。しかし、国語については、教科書を一冊マスターして果たして成績が上がるでしょうか。国語の成績のよい子も、悪い子も、みんな同じように国語の教科書を読んでいます。勉強の仕方に違いは何もないのに、成績だけが違うのです。

 このように、国語の勉強は、力をつけるあてのない勉強です。かといって、国語の勉強は、家庭でもやりようがありません。国語の勉強として普通考えることは、漢字の書き取りです。確かに、漢字の書き取りは時間をかけて勉強すればだれでも成績が上がります。しかし、それは漢字の成績が上がるだけで、読解力や記述力の成績が上がるわけではありません。国語の勉強としてもうひとつ考えつくことは、国語の問題集を解くことです。問題を解くという勉強は、一見勉強らしい雰囲気があります。しかし、問題集を解いて国語の成績が上がるということはありません。それぐらいなら、学校でも塾でも、みんな国語の成績が上がっているはずです。問題集を解いても成績が上がらないというのが、国語の勉強が、他の英語や数学の勉強と違うところなのです。

 では、国語の勉強はどのようにしたらいいのでしょうか。ここで、言葉の森の作文の勉強が生きてきます。(つづく)

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新たな知のパラダイム(その3) as/1127.html
森川林 2011/01/17 21:13 


 人類における最初の知のパラダイムは、「知によって世界を作り変えることができる」というパラダイムとして始まりました。

 それまでの人類は、知恵はありましたが、その知恵は自然環境に適応するためだけの知恵でした。寒いから服を着る。暑いから木陰に入るというような状況に直接対応するための知恵でした。

 しかし、あるとき、この知恵によって世界を変革できるという考えを持つ人が現れます。この知によって、それまでの掘っ立て小屋というひとりの人間が実感できるサイズの建築物から、より大きく複雑な個人の実感だけでは作ることのできない建築が作られるようになりました。これは、建築技術に主に集中的に表れましたが、軍事や政治の分野にも、人間の実感を超えたより大きな人数を統御する技術として発達しました。

 この「知によって世界を構成することができる」という知が、最初のパラダイムで、これは、人間が徒歩で移動できるスピードではあったものの、瞬く間に世界中に広がりました。同じ知力を持つ人間でありながら、知で世界を構成できるというパラダイムを持つ人間と、実感の世界で生きる人間とでは、文明人と野蛮人というきわめて大きな違いがあったのです。

 このパラダイムに接触した野蛮人は、すぐに自分もそのパラダイムを受け入れて文明人になりました。こうして、人間は世界中で、動物のように自然の中で生きる生活から、人間として社会の枠組みの中で生きる生活へと進化していったのです。



 この「知によって世界を構成できる」という考え方は、ある一組の主体と客体を前提としていました。それは、人間という主体と自然という客体であり、更に範囲を狭く絞れば、味方という主体と敵という客体であり、更に狭くすれば、自分という主体と他人という客体でした。

 この考え方を論理的につきつめたのが、青年時代のデカルトです。デカルトは、青年時代のあるとき、何日間も何もすることがない状況に置かれました。そこで、仕方なく、自分が普段その青年らしい純粋さで疑問に思っていた「自分とは何か」という問題を考え始めたのです。

 若いデカルトが、自分の少ない人生経験は頼りにせずに、ただ論理的に、ということはただその当時あった知的パラダイムだけを指針にして考えた結論は、「我思う故に我あり」という「最初に個がある」という考えでした。最初に個がある。だから、他がある。しかし、個も更に本当の個に向かってどこまでも細分化されるし、他もまた次々と細かい他に分けてどこまでも細分化できる。これが、のちに分析主義哲学とい呼ばれる考え方でした。

 このデカルトの哲学は、若さ故の純粋さという魅力を持っていましたが、釈迦や孔子に代表されるアジアの哲学が持っていた老人の知恵をその哲学の中に組み込んではいませんでした。これが、その後のヨーロッパの発展と支配、アジアの停滞と隷属という関係を生み出しました。しかし、そのヨーロッパの発展は、二度の世界大戦と無数の小戦争、環境破壊と経済危機という若さの持つ暴走と裏腹の関係にあったのでです。(つづく)



 話が何だか大きくなってしまいましたが……。(^^ゞ

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