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記事 1139番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
読み書きによって発達する脳力と脳の可塑性 as/1139.html
森川林 2011/01/24 16:03 


 人間の脳には、かなり高い可塑性があるようです。脳力は、生まれつきという面ももちろんありますが、その後の教育の仕方で大きく変わる面も持っています。

 生物の成長には臨界期というものもありますが、人間の場合は、その臨界期もある程度修正できるようです。

 「赤ちゃんに読みをどう教えるか」(グレン・ゴードン)という本の中で、いくつかの参考になる実例が挙げられています。

 一つは、脳の生まれつきの障害で、大脳の半球を切除した子供たちのその後の経過です。特別の教育をしたわけではないのに、成長してから平均以上の知力を示した子が何名もいました。また、中には、きわめて高度な知能指数を持つようになった子もいたそうです。

 もう一つは、教育によって、生まれつきの脳障害が著しく改善した例です。生まれながらの重度の脳障害で、2歳のとき、医者から、将来歩くことも話すこともできないだろうと診断された子が、3歳から両親の話しかけ、読み聞かせ、そして文字を読ませる教育によって、5歳になったころには、健常児よりもすぐれた理解力を示すようになり、6歳には普通の子同じように歩けるようになったということです。

 これらの例を見ると、脳は決して能力の貯蔵庫のようなものではなく、一種のアンテナのようなもので、脳の細胞の数に比例して脳の力が決まってくるというようなものではないようです。

 以上は、脳に障害のある子の例でしたが、器質的な障害がある場合にも、その後の教育によって脳の機能が大きく改善し障害を克服できるとしたら、健常児の場合も、教育によって更に大きな進歩があるはずです。
 世間でよく言われる頭のよい子というのも、決して生まれつきのものではなく、読み書きの教育によって成長する能力なのだと思います。

 また、脳の活性化は、子供の教育ばかりではなく、大人の教育や更には老人の介護にも役に立ちます。

 肉体の機能は、使わなければ退化していきます。走る練習をすれは、筋力や心肺機能が鍛えられるように、脳の力も、脳に適した方法で働かせることによって、より鍛えられていきます。

 脳の運動として、最も活発な運動を必要とするものは、やはり、進化的に脳の最も最後になって発達した言語の機能です。

 老人の脳の活性化のために、子供の教育と同じような方法が使えるとすれば、話しかけること、質問すること、読み聞かせをすることなどが脳の運動につながります。

 このような理由で、本を読む生活、文章を書く生活をしている人の脳力は、いつまでも若々しい状態を保っているのです。

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 20201017  
こんにちは

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国語力読解力(155) 

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日本の文化における勇気、知性、愛、創造―知のパラダイム(その7) as/1138.html
森川林 2011/01/24 11:38 


 無の文化を、教育の分野にあてはめて考えてみましょう。

 教育の中で、育てることが共通して期待されている人間の資質は、勇気、知性、愛、創造だと思います。これらのそれぞれに、有の文化的な考え方と、無の文化的な考え方があります。

 以下の説明は、わかりやすく図式的に書いているので、現実には多くの例外もありますが、基本は変わりません。

 有の文化における勇気とは、我慢の勇気です。人間という主体が、障害物や外敵という対象に遭遇したとき、それらの外部の対象に負けないようにがんばるということが有の文化の勇気です。

 これに対して、無の文化における勇気とは、「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という無私の勇気です。自分を、自分よりも大きいもの、名誉や主君や祖国や仲間のために投げ出すことが無の文化の勇気です。

 有の文化における知性は、論理の知性です。Aという対象とBという対象がどのような論理でつながっているかという関数の知性です。

 これに対して、日本の無の文化の知性は言挙げしない非論理の知性です。それは、ある対象が、その対象をとりまくすべての世界、つまりその対象にとっての無とつながっていることを静かに観照する観察の知性です。

 有の文化における愛は、合理主義の愛です。愛が、結局は、自分にとっても相手にとってもプラスになると判断した上での愛が最初にあり、それを「最後の審判」という評価によって天国の世界にまで拡大したものが有の文化における愛です。もちろん、イエス・キリストに見られるような無償の愛もありますが、このような愛はむしろ例外的なものだと思います。

 これに対して、日本の無の文化における愛は、共感の愛です。自分が、自分以外のものによって生かされているように、相手もまた相手以外のものによって生かされていると考え、自分も相手も味方も敵も、更には人間も動物も、等しく全体の一部だと考えるところから来る共感の愛です。

 有の文化における創造とは、ビジョンの創造です。主体である人間が、人間をとりまく世界に対して、自己を主張するビジョンを打ち立てるというのが欧米の創造です。

 これに対して、日本の無の文化における創造は、すべては既に完全なものとしてあるという世界観を前提にしています。その完全なものを発見し、模倣し、それを人間の生活に合わせて微調整することが、無の文化における創造です。日本人が、革新的な大発明よりも、小さな改良的発明が得意なのは、創造というものに対する文化が違っているからなのです。(つづく)

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知のパラダイム(15) 

記事 1137番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
12月の森リン大賞(中2・中3の部) as/1137.html
森川林 2011/01/23 11:34 





12月の森リン大賞(中2の部68人中)

言葉の重要性
チョコ

 何をするにしろ、どうしたら失敗するか、ということを知っていて失敗することはめったにない。そこで、次に同じことをするときに、「また失敗するかもしれない」と思うと、ほんとうに失敗してしまう。「失敗は成功の母」といわれるように、失敗を重ねることによって、次第に成功に近づいてゆくのが脳の自然の働きだ。ところが、失敗を恐れると、脳も人間も発展しないのだ。もちろん、「今度は絶対に成功するぞ」と思い込んでも「失敗した」らたいへんだ」ということには負けてしまう場合がある。成功した経験がないと、「成功」ということばでは脳は成功に向かってはたらかないからだ。どうしたら成功するかは、本人にも自覚されていないが、以前に成功した経験があると、その時の脳のはたらきがひとりでに進行して、成功を重ねることになるのだ。この文章は千葉康則さんが書いた「ヒトはなぜ夢を見るのか」の一部である。千葉さんはこの文章で、人の言葉がその後の行動にどう影響するかということを述べている。その言葉とは良いものなのか、悪いものなのか。

 まず良いものだという意見。理由は、自分に自信がついたり、モチベーションが上がる時があるからだ。私は今年の九月に英語のスピーチコンテストに参加した。自分で決めた文章を、三分以内に暗唱するというルールだった。夏休み中は覚えるための音読がとても大変だった。なぜかというと、声に出す音読だけでなく、心の中での音読もしたからだ。ある日は、「三分以内に音読する!」。そしてある日は「五位くらいまでに入賞する!」。心の声は大きくなるばかりだった。果たしてこの音読の効果はあったのか。それがもうアリアリだったのだ。そのおかげで発表直前に、今まで心の音読をしてきたすべての言葉達が頭の中でぐるぐる回転して、不安な私に自信を与えてくれたのだった。だが結果は、三分以内も五位入賞も果たせなかった。とても残念だったが、発表直前にあったことがなかったら、もっと他にも果たせなかったことがあったと思う。

 次に、悪いものだという意見。理由は、もう駄目だという在りもしない結果を言葉にしてしまって、その結果にしようと体が態勢を整えてしまう時があるからだ。私は陸上部に所属しているにも関わらず、陸上関係のほとんどが苦手だ。学校の体育の授業で走り幅跳びをした。これも私の苦手なものの一つだ。他の陸上部の子はもちろん、運動部の子のほとんどが三メートルを超えていたのが普通だった。二メートル台というと、吹奏楽部などの文科系の部活に所属する人が多くいた。私は陸上部だというのにその域にいた。恥ずかしかったが、私はすぐに開き直った。なぜかというと、自分は幅跳びが嫌いで苦手だということを知っていたからだった。そうやって決めつけていたからだった。いつも幅跳びの時間になると、「どうせ」という言葉が頭の中で響いている。だから心が開き直るのを見た体も開き直って、私を二メートル台に跳ばせていたのかもしれない。

 行動に影響する言葉は良くも悪くもある。一番重要なのは、人間が言葉をプラスかマイナスかの方向に選ぶことによって、行動もプラスかマイナスかの方向に左右するということを、私たち人間が知っておくことだ。「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである」。その「時と場合」とは、言葉のことだ。『うさぎとかめ』のうさぎのようにプラスの言葉を考えていたとしても、結果はマイナスになってしまうこともある。全てが言葉で結果が決まると思ってはいけないということを、私達もこのうさぎも思い知った。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1言葉の重要性チョコ85148156698280
2個人意識と地球意識たけたけ85104357787590
3いいえと言えるか言えないかなまず大使85132864586690
4プラス面を増やそう!まりい84106156627887
5私と我々ひよこ84101362677786
6言葉と行動さくら84123256647496
7朝寝坊サッカー83111054638284
8言霊柏もち83106259647095
9経験とことばきやの82100851697392
10二つの利益フェアリー82111253637086



12月の森リン大賞(中3の部53人中)

我愛する。故に彼と我あり
ハーマイオニー

 現在、新聞、テレビ等のメディアでは、中国の人名・地名は日本語の漢字の読みで伝えられる。中国国内でも同様に日本人の名前も中国の読み方をする。それに対して、韓国・朝鮮の名前は現地での発音どおり、もしくはそれに近い読みをカタカナ表記するようになっており、あちらでも同様である。これは、それぞれの国との話し合いでそういうことにしているらしい。このように、漢字の文字とカタカナの音が分かれる場合、紙の上だけの関係であれば文字で済むが、愛を伴った関係であれば、相手の名前を正しい音で呼ぼうとするのではないか。

 私は、自分のつかう言葉に愛を込められるような人間になりたいと思う。そのためには、具体的にどうすればよいだろうか。考えられる方法としては2つあると思う。

 第一に、当たり前だが、相手の名前など、大事なことは忘れないようにすることだ。ただ、当たり前と言っても、これは容易なことではない。社会生活を送る中で、人は、毎日多くの人間に出会うだろう。その立場や職業によって、相手人数の多寡はあるだろうが、何かしら他人と交流し、あるときは共に、またあるときは競って活動することになるはずだ。そういった場合、相手のフルネームを知っているのと、知らないのとでは、全く印象が変わってくる。相手を知りたいと思う気持ち、相手への興味の度合いは、すなわち、相手への愛情である。私もそうだし、誰もがそうだと思うが、「かっこいい」「かわいい」「すてき」「おいしい」「おもしろい」など、自分にとって好ましいと思える人や物は、その名前をすぐに覚える。たとえ、ビジネスマンがそのような必要に迫られて取引相手の名前を覚えるとしても、やはり同じことだと思う。名前を覚えることは、まずその対象への最初の関心の表現ではないか。そこから愛ある人間関係がスタートするのだ。

 第二に、国際交流、異文化交流の場においても、いや、そのような場において特に、相手の国や文化を尊重することが大事になるだろう。田中角栄は、人の名前を覚える天才だったそうだ。彼が大蔵大臣だった時代に、大蔵省に入省した野口悠紀雄氏は、新人全員の名前を、メモも見ず、他の職員や秘書にも聞かず、すらすらと呼んだという田中大臣の逸話を披露していた。当然、これは若い職員たちの心をとらえた。田中角栄の仕事には、功も罪もあろうが、このような彼だからこそ、大胆かつ繊細な外交政策を可能とし、日中国交正常化を成しえたのではないか。今日の中国との関係を考えると、彼の政治から学ぶことは少なくないと思われる。

 確かに、言葉を記号として扱うようなドライなやり方の方が効率がいいかもしれない。人を名前で呼ばず、番号を付けて処理するような発想は、コンピューター上では役に立つだろう。しかし、人間であれば、言葉に愛を込めることができるはずだし、そのような生き方が必要であると思う。「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである」という言葉がある。人間もまた、外から眺めていればいいのではなく、自分と相手が愛情を持って交流するからこそ、相手の存在も、また自分自身の存在も生きてくるのだ。デカルトの言葉になぞらえれば、「我愛する、故に彼と我あり」である。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1我愛する。故に彼と我ありハーマイオニー961334771009886
2違いの理解だるまー90127362728592
3死に対する意識ちえのわ88204072697690
4日本語の曖昧さトウモロコシ87161164627790
5untitled(^ω^#)ピキピキ86191768627387
6名前の重要さむさし85104263718387
7意思かはふ85107962768181
8自分の意見を持つこと嵐ちゃん85140258607287
9気持ちを込めてさえピ8296454697887
10言葉に愛を込めるえむや81105453778492


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森リン(103) 

記事 1136番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
少し汚れを残しておく掃除、山頂をめざさない山登り―知のパラダイム(その6) as/1136.html
森川林 2011/01/22 20:00 


 インドや中国では、無の哲学は、宗教や思想という形で残りましたが、文化という形ではほとんどなくなってしまいました。

 これに対して、日本では、無の哲学とともに、無の文化も生活の隅々にまで浸透し、生きた形で残っていました。それは、日本が外部から有の文化を持った異民族に侵略されることがなかったからです。

 有の文化と無の文化の対比は、庭園の作り方などに、目に見える形で表れています。ヨーロッパの庭園は、人間という主体が自然という対象に対して、人間の意図を貫徹するという形で構成されています。フランスの庭園などに見られる直線と左右対称性は、そこに人間が介在したという証拠を残すために作られたかのような印象を受けます。人間が自然を人工的に加工するというのが、有の文化における庭園です。

 これに対して、日本の庭園は、非直線、非対称性で構成されています。人間という主体をあくまでも無化して、自然が自ら造形したような庭園であることが、庭園の理想なのでした。利休は、客人をもてなすとき、落ち葉ひとつなくきれいに掃除された庭を見て、近くの木を揺すり、枯れた葉を再び庭に散らしたそうです。

 中国の道教の修行に行った森田健さんの話では、道教のグループは、近くの山に登ったとき、山頂まであと少しというところで、山頂までは行かずにそのまま山を下ってきたそうです。自分という主体が、山頂という対象に向かうと考えるのが有の文化です。山頂という目的ができたとき、登山はそのための途中の過程に過ぎなくなります。すると、山に登ることは、できるだけ速く、できるだけ能率よく登るための手段になります。有の文化は、能率の文化です。

 ところが、老子はそう考えません。自分は、山に登る前も、登っている途中も、登り終えたあとも、常にそのときどきの状況にある山との関係で完全な存在であると考えるのです。登山という目的との関係において、まだ山頂に立っていない自分が不完全だとは考えないのです。

 自分が、自分以外のもの、つまり自分の無との関係で成り立っていると考えるのが無の哲学です。山頂もまた、独立したひとつの対象ではなく、山頂以外の山腹や山麓によって初めて存在するものであると考えると、山腹も、山麓も、更には山を降りたあとの平地もまた山頂であり、山頂は求める対象ではなく、山頂を構成する無との関係としていつでも常にそこにある対象なのです。

 道教のグループは、山に登っている途中に、こんなややこしいことを考えながら登ったのでではないでしょう。しかし、老子の唱えた無の哲学を実際の体験を通して学ぶために、山頂まで行かずに戻るという行動をとったのだと思います。

 ある物は、その物以外との関係で存在します。これを更に普遍化すれば、有は、有以外のもの、つまり無との関係で存在するということになります。だから、有の本当の姿は無にほかなりません。これがインドや中国や日本で生まれた無の哲学です。

 無や空といっても、一般に思われているようなとらえどころのない抽象的な観念なのではなく、有る物にとってのその物以外のすべての世界が無や空で、その物の本質は、その物の中にあるのではなく、その物の外、つまり無や空とのつながり方にあるというのが無の考え方なのです。(つづく)

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森川林 20110124  
 おいおい、宣伝に使うなよ(笑)。

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知のパラダイム(15) 

記事 1135番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/4/20
12月の森リン大賞(小6・中1の部) as/1135.html
森川林 2011/01/22 13:07 
 12月の清書をもとにした森リン大賞です。
 手書きの清書だけの生徒は、この森リン大賞のランキングの中に入っていませんが、「清書の谷」の方には掲載されています。





12月の森リン大賞(小6の部131人中)

夢中になれば無敵である
ミス・バニー

 人が生まれながらに持っている能力は、その人の経験と、努力で、ある程度変えることができる。また、自分が生まれながらに持っている資質というものは、うっかりして気がつかないことが多い。この資質はその人だけの泉である。そして、魚が喰らいつけば、じっくり引けばいいのだ。一歩辛抱強く、青春の目標に向かって進めばいいのだ。どんなにむちゃくちゃな夢でも、ビックスケールに描けばいいのだ。若い私たちには、無限の可能性があるのだから。

 私が夢中になる場合は、三つある。本を読んでいる時と、次に進む喜びを知った時、好きなことをしている時だ。その中で、私は五年生の時にバスケットボールに夢中になった。それは、ちょうど,K小との練習試合が迫っていた時だった。K小は、バスケットボール部があるくらいで、その手に関してはとても強い。勝てるわけも無いのに、私たちチームメイトは、休み時間をつぶして、全力投球したのだった。毎日毎日くたくたになるまで練習できたのは、K小に勝つという目標があったからだった。結果は、あと一分あれば同点というところで負けてしまった。しかし、練習をしなければ、ぼろぼろに負けていただろう。目標があったから、練習できた。練習したから、あと少しで勝利に手が届くところまでいった。こう思うと、夢を描くことは大切だと思う。ただ頑張るのではなく、具体的に目標を立てたならば、どれだけの夢をかなえる人が増えるのだろうか。夢のかなえ方①は、まずヴィジョンを描くことではないだろうか。

 私が毎日夢中になっているものは、本だ。この時代は本を読む子が少ないというが、私は本を読まない子が信じられない。その子はまだ面白い本に出会っていないのだろうが、他の、楽しく面白いゲームという遊びぐらいしか知らないのだろう。本は自由である。どんな時にも、どんな人にも夢見ることができる無限の世界が中に詰まっているのである。これが、私が毎日本に夢中になっている理由の一つだ。

 人間にとって何かに夢中になるということは、その分野においては、大きく成長できるチャンスではないだろうか。しかし、片よりすぎてもならない。どんなことにも、面白いと思えてくる節はあるのだろうから、夢中になることが無い人は、まず知ってみてはいかがだろうか。好きこそ物の上手なれ。勉強を知ってそれが楽しいと思えるようになれば、それはもう苦しいものではなく、いつの間にか遊びに変化しているのではないだろうか。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1大切な「つとめる」、不必要な「しいる」ブレイド86122557748687
2夢中になれば無敵であるミス・バニー82101959647381
3おいしいおにぎり さめてもGOOD!さきぽん8194154647781
4あきらめずにやり通すちはや80116547748587
5野菜いため入りちくわの卵&チーズ巻きかねめ8098444638187
6大人になるともじろう80102443668180
7勉強@たのしい?コレルリ80108249617986
8あの日の時間に戻りたい!元親791278536811087
9朝寝坊かふた791153476410183
10夢中という喜びはるりん79105744718680



12月の森リン大賞(中1の部88人中)

社会情勢が進むにつれて
あまぐり

 語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。漢語の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずるこよが少なくない。つまり、話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を支持するものがないためにとにかく変化しがちである。たとえば、「馳走」「遠慮」「結構」「世話」等の漢語は話言葉で使われているうちに原義とかなり違った意味用法になっている。語源のとおりでは社会情勢の変化に合わなくなるものが多い。そうかといって、一々言葉を言い換えるのも大変なことだろう。私は私は社会情勢に合わせて言葉をかえていくべきではないと思う。

 その理由は第一に、頻繁に言葉を変えると社会の中で混乱が起きるからだ。今の社会情勢だと語源のとおりで話すと意味が少し通じなかったりと多々、不便が生じる。だが、社会がどのようになったらこの言葉を変える。などの線引きが非常に難しい。更に、近代化が進む都会では言葉が変わったとしても田舎の人たちには伝わらない。今は高齢化社会とも言われている日本。高齢者はどんどん田舎のほうに移住する一方で都会では近代化が進む。それにつれて言葉の変化が生じてしまうと、都会と田舎の格差が生まれてきてしまうかもしれない。そして、都会から田舎に移住する人がいたとしても、そこで語源の違いと格差によるによる混乱を招く可能性があるからだ。

 その理由は第二に、日本の文化に慣れ親しんだ言葉には日本人ならではの感情を抱えているからだ。日本は他の国にはない方言という日本独自の文化を背景とした言葉がある。それは、昔からの語源が今も変わらずにあるからこそ成り立つ言葉である。ところが、その語源を社会情勢によって変えてしまうとその方言が崩れてしまうというように考えられる。つまり、その言葉の変化によって人々のコミュニケーション不足が生じ、日本という国の活気が失われてしまうかもしれないのだ。

 確かに、今の社会情勢に合わせて言葉を変化させ、近代化が進むことも必要だ。しかし、「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言があるように自分になじんでいる日本古来の言葉などを使ったほうがお互いに意味が通じ合うし実感が湧くのではないか。さらに、外来語の定着度における理解度のデータによると、一番多くて70%前後で一番低いと3%程度。どれも大体は低い。つまり、人間が新しい言葉や外来語を使う上でそのことばをあまり理解していないのだ。そして、新しい言葉ばかり発達してしまうと日本独自の文化や伝統などを後世に伝えることも厳しくなってくるかもしれない。つまり、言葉のちょっとした違いだけでいろいろな規則や習慣が変わってきてしまうのだ。そう考えると、言葉というのはあること自体に意味があり、人間が生きていく上で欠かすことが出来ないものなのだ。つまり、社会情勢が進むにつれて言葉というのは安易に変えるべきではないのであるのである。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1社会情勢が進むにつれてあまぐり89123073657699
2命の締め切りきぬこ88123459688490
3死の緊張感織田信之助87101968788190
4言葉ポセイドン86117559909584
5ことばは時代と共にことのは86133561738986
6期限の大切ささおりん86109663678083
7言葉の変化真理子さん85122158799590
8行列の良さチョコボ85104661848989
9生と死の意識しちみ85124461728884
10行列にもルールがあるピクシー85111753698195


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森リン(103) 
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手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習