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子供との対話で深まる作文の勉強 as/1267.html
森川林 2011/05/09 19:54 



 通学教室で、生徒に、「今日は、どんな課題で、どんなことを書くの」と最初に聞くようにしました。これまでは、既に課題の準備をしていることを前提に、先生がすぐにその日の課題を説明していたので、中には準備をしていない子もいました。

 子供たちに説明をさせると、最初は、みんな、「えー!」と驚いていましたが、すぐに熱心に持ってきた課題フォルダを読み始め、それぞれ自分の理解した範囲で説明を始めました。中には、見当違いの読み方をしている子もいましたが、ほとんどの子は的確に内容を把握して読んでいました。



 その中に1人、中学1年生の生徒で、課題フォルダをあらためて開くこともせずに、すぐに長文の内容を説明してくれる子がいました。その週の課題の長文がすっかり頭の中に入っているようでした。

 試しに、「じゃあ、実例はどんなふうに書くのかなあ」と聞くと、最近の時事的な話を盛り込んで、自分の書こうとする実例を説明してくれました。「よく考えてきたね」と褒めると、その子は、お母さんと長文を読んでいろいろ考えてきたのだと教えてくれました。



 作文の勉強を充実させるいちばんのポイントは、作文に書くことを準備してくることです。つまり、予習です。

 その予習のときに生かせるのが親子の対話です。小学生の課題には、「似た話、聞いた話」という項目があり、自分の体験だけでなく、似たような父母の体験を聞いて話題を広げる練習があります。ときどき、この「似た話、聞いた話」で、とても面白い話を取材してくる子がいます。たまに、両親ではなく、祖父母に取材した話を書いてくる子もいます。

 感想文の課題の場合、この親子の対話は更に重要になります。感想文がうまく書けるかどうかは、似た話がどれだけ思い出せたかにかかっています。しかし、小学生の子供は、読んだ本をすぐに自分の似た体験に結びつけられるほど多くの経験を持っていません。本当は、似ていそうな話はたくさんあるのですが、子供が自分でそれを考えつくことはなかなかできません。

 そういうとき、身近な両親が子供と話しながら似た話を探していくと、子供の理解力はかなり深まるのです。読書を通して読んだ実例よりも、身近な両親の話を聞いて理解した実例の方が、子供の心に深く残ります。それは、本で読んだ実例よりも、父母から聞いた実例の方が生きた実例になるからです。



 予習の大切さは、学年が上がるほど高まってきますが、小学校低学年の作文も、予習の有無で大きく変わってきます。小学校1、2年生のころは、毎日が新鮮は体験の連続なので、書くことに困ることはまずありません。しかし、予習をしてこない子は、毎回同じような放課後の遊びの話や、家に帰ってからのゲームの話を書いてしまうことも多いのです。



 この自習は、子供の勉強にとって大きな力になりますが、それだけではありません。実は、子供と一緒に作文の中身や似た例を考えるというのは、大人にとってもかなり楽しいことなのです。

 現代の社会では、親子の対話の機会が少なくなる一方で、テレビやゲームなど、対話の機会を更に減らす環境に囲まれています。作文の課題をもとにした対話は、自然に知的になるので、テレビを見たり、本を読んだりするよりも、実ははるかに頭を使う時間になることが多いのです。

 言葉の森では、今後、この家庭での対話がそれぞれの家庭で軌道にのるように、いろいろなアドバイスをしていきたいと思っています。

 その手段の一つとして、現在、facebookのページ作りに力を入れています。

 作文の勉強は、他の教科の勉強とは違い、教材だけを与えてもなかなかこなしていくことができません。親と子の対話、先生と親子の対話という形で、勉強の中に対話を取り入れた指導をこれからしていきたいと思っています。



 ここまで読むと、お父さんやお母さんの中に、「わあ、大変だ」と思う方も多いと思います。大体、子供に説明をさせるというのが大変で、果たして素直にそういうことをするのだろうかというのが最初に考えることだと思います。

 しかし、これは、やってみるとわかりますが、子供は結構楽しく素直に説明を始めます。

 子供のころ、学校ごっこをした人がいると思いますが、先生の役というのは、結構人気があります。生徒の役は、ただ聞いていて、たまに手を挙げて答えるぐらいですからあまり面白くありません。しかし、先生は、やさしく説明したり、いばって命令したり、褒めたり、叱ったり、突然チョークを投げつけたりと、いろいろな変化ができるからです。

 同じように、人の説明を聞くのはあまり面白くありませんが、人に説明してあげるというのはなかなか面白いものです。特に、ふだん子供が親に説明するような場面はあまりありませんから、子供が先生役のような立場で親に長文の内容を説明するというのは、子供にとっては新鮮なことなのです。

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言葉の森のクラウド論4 as/1266.html
森川林 2011/05/08 06:13 


 クラウド論は、3で終わるつもりでしたが、最後の方の創造の部分がわかりにくいと思いましたので、追加の話を書くことにしました。



 クラウドの本質は、よく言われるように、自社サーバーで行っていた仕事をアマゾンやグーグルが提供するサーバーの中に移し替えるという、形の上だけの話ではありません。

 クラウド化の本質は、インフラの共通化という雲に包まれることによって、それまであった境界が消失し、それに伴って差異も消失していくということです。

 このクラウド化は、インターネットによって加速されていますが、決してインターネットの世界に限られたものではなく、今日の文化、経済、政治も含めた大きな歴史的動きなのです。



 共通化の雲という言葉から連想するのは、ワン・ワールドという概念です。世界は、これまで一貫して境界と差異の消失という方向で発展してきました。自由化というのは、経済における境界と差異の消失です。英語が世界の共通語として広がっているのは、言語コミュニケーションにおける境界と差異の消失です。

 インターネットの世界では、今、ショッピング、検索エンジン、ソーシャルサービスなどの分野で多くの企業が競い合っています。リアルの世界では、場所や人という境界に基づく差異から、ナンバー1の企業ばかりでなく、ナンバー2も3も4も、そしてはるかに下位の企業も、それなりに存在する余地がありました。

 例えば、鮮度という商品の性格から消費者に近接したところでないと成立しない八百屋や魚屋は、昔はひとつの街に必ず1軒はありました。鮮度によって、場所が境界となっていたからです。しかし、現在では宅配便などの流通産業の広がりによって、より大きな商圏でナンバー1にならないと生き残れない状況が生まれています。



 インターネットの世界では、そこでやりとりされるコンテンツが主に情報的なものであるという理由から、競争は更に過激になり、現在では世界中でナンバー1の1社しか生き残れないという状態になりつつあります。そして、更に、ショッピングのナンバー1と、検索エンジンのナンバー1と、ソーシャルサービスのナンバー1が、相互の境界を消失させて、ひとつのクラウドの中でインターネットそのもののナンバー1を競う状況がこれから生まれてきます。

 競争の世界で圧倒的なナンバー1が生まれることは、競争自体の消失を意味します。ワン・ワールドというのは、言語も、文化も、政治も、経済も、ひとつに統合された世界の構想です。これまで空想の中だけで考えられていたひとつの世界国家、世界政府という構想が、インターネットの発達によって現実的な可能性を持つようになってきたのです。



 ところが、境界と差異の消失した世界で、人間の歴史の前史は終わり、本史が始まると単純に考えることはできません。

 人間以外の生物は、もともと境界と差異のない世界で暮らしていました。イルカやクジラは、人間と同様に高い知能を持つ生物ですが、争いも奪い合いもない世界で、平和なワン・ワールドを築いていました。しかし、その平和は究極の平和ですから、これから何億年たっても、何十億年たっても、イルカやクジラはたぶん今のイルカやクジラのまま平和に暮らしているだけでしょう。

 これに対して、人間が、このイルカとクジラと同じように、ひとつの世界政府のもとで永遠の平和を享受すると考えることはできません。なぜなら、人間は、イルカやクジラと違い、世界から分離する自由を持つ生物としてこの世界に登場したからです。



 イルカやクジラは、何億年平和が続いても、その平和に飽きることはありません。人間以外の生物は、すべてそうです。

 忠犬ハチ公は、帰らぬ主人を迎えに行くために何年間も同じ時刻に同じ駅に通い続けました。私たちは、その話を聞くと、人間の感覚でハチに同情します。世界から分離する自由を持つ存在である人間は、あるべき姿と現実を比較することができるので、葛藤を感じたり、退屈したり、変化や刺激を求めたり、向上を目指したりします。

 しかし、動物たちにとって、現実は、あるべき理想とのギャップを持つ何かではなく、ただあるがままの隙間のない即時的な事実そのものに過ぎません。ハチ公は空虚な気持ちで主人の帰りを待っていたのではなく、待つという行動を日々充実して生きていたのです。

 ところが、人間には、動物たちのような即時的な生き方はできません。人間は、境界と差異の消失したひとつの大きなクラウドの中で、必ず新たな境界と差異を作ろうとします。ワン・ワールドは、究極の平和の始まりではなく、新たな支配と抑圧の出発点になるのです。

 人間の歴史は、過去にこのようなことを何度も繰り返し、時にはそのために最初からすべてを破壊して出発するようなことを行ってきました。

 境界と差異のないワン・ワールドが永続するためには、その世界の内部に先験的な境界と差異が組み込まれている必要があります。例えば、インドのカースト制度のようなものがそうです。未来の社会でワン・ワールドが成立する場合も、このカースト制度を模したものが作られるでしょう。

 あるいは、長期間にわたって豊かさと平和を維持した古代マヤ文明に見られるように、生贄制度などの非人間的な文化が社会の存続に不可欠の要素として組み込まれる可能性もあります。

 境界と差異のない世界が存続するためには、人間の社会では、その社会の内部に、例外的で強固な境界と差異を残しておく必要があるのです。

 そして、これまでは、この理不尽なビジョンに対して違和感を持ちつつも、そのビジョンに対抗できるほどの明確な展望を持つ人はいませんでした。それはちょうど、社会ダーウィニズムにおける弱肉強食の合理化や、マルサスの人口論における人口抑制の不可避性に対して、対案を持つ人がいなかったのと同様です。

 だからこそ、カースト制度は、賛同者よりも批判者の方がはるかに多いにもかかわらず生き残り、古代マヤ文明は、だれもが求めていない非人間的な制度を自助努力によって廃止することができなかったのです。



 しかし、そうでない歴史も人間には可能です。それは、境界と差異のない世界で、ひとりひとりの人間が日々新たな創造と発見によって境界と差異を絶えず作り出していくような世界です。

 このような世界に近い社会が、かつての日本の歴史にはありました。それは、日本の縄文時代と江戸時代です。この二つの時代は、いずれも長期間にわたって平和と繁栄が続きましたが、他の文明にあったような極端な身分格差や抑圧制度は見られませんでした。それは、この二つの時代に、それぞれの社会の中に日常的で大衆的な創造と発見があったからです。

 ところが、縄文時代や江戸時代の文明を、現代に復活させることはできません。なぜなら、現在は、日本人の間だけではなく、世界中の人が納得できるような強固な文明を提案できるのでなければ、世界的な広がりを持つワン・ワールドに対応することはできないからです。

 言い換えれば、縄文時代や江戸時代の創造文化では、世界基準になるには力不足であったからこそ、日本が、明治、大正、昭和、そして平成の現代にかけて世界との摩擦を経験する中でエゴイズムの文化に染まる必要があったとも言えるのです。つまり、今の日本であれば、世界基準の提案をできるだけの世界性がすでにあるのです。

 人間社会の未来は、社会の構成員のすべてが創造と発見の生き方をすることによって、どのような格差も抑圧も必要としない文明を、世界的な広がりで築けることができるかどうかにかかっています。



 そして、話は再び身近な現実に戻りますが、この創造と発見の生き方を、ソーシャル・ネットワーク・サービスにおける交流の基盤とすることができるかどうかが、今後問われていきます。

 SNSに代表される、消費者レベルにおけるクラウド化の広がりにおいて、参加者の交わす交流が、各人の創造と発見を基盤としたものであるならば、未来のワン・ワールドの展望は明るいでしょう。

 しかし、もし人間どうしの交流のほとんどが、新たな創造と発見に結びつかないものにとどまるならば、未来のワン・ワールドは新しいカースト制度を必要とするようになるでしょう。



 すでに、コミュニケーションのクラウドは、急速に世界中に広がっています。日本でも、ブログ、twitter、facebookなどで交流の輪が次第に広がっています。

 今はまだ、コミュニケーション自体を目的とした交流が中心ですが、やがて、日本におけるSNSの交流は、他の国とは異なり、各人の創造と発見に基づいたものを中心にしていくでしょう。

 それは、日本語によるブログの情報発信量が言語人口比で世界一であることに見られるように(2006年調査)、日本には、創造と発見を日常生活の中で追求する独特の文化があるからです。

 ソーシャル・ネットワークにおけるクラウド化の技術は、アメリカで生まれました。しかし、そこに、今後大衆的なレベルで創造的なコンテンツを盛り込んでいけるのは、日本以外にはたぶんありません。交流のツールとして生まれた技術が、これから国境を越えて創造のツールに進化していくのです。



 コミュニケーションで大事なことは、交わすことそのものではなく、何を交わすかというコンテンツの価値です。価値は、過去の時代では、主に境界と差異によって作られていました。しかし、これからの境界と差異の消失の時代の中で、最後まで残る価値は、新たに創造されたものだけです。

 これまで、マスメディアの情報に価値があったのは、知らない大衆と知っているメディアとの間に画然とした境界があったからです。しかし、インターネットの時代に、その差異はきわめて小さくなっています。そのような時代に価値ある情報とは、他人より先に知った情報ではなく、自分が新たに創造した情報です。

 クラウド化を新しい容器とすると、そこに新しい水を注ぎ込むのは、日本人を中心とした創造の文化を持つ無数の一般大衆です。

 クラウド化を生かせるかどうかは、クラウド化の本質をどう考えるかにかかっています。クラウド化とは、インフラの共通化による境界と差異の消失ですが、その消失を不毛なワン・ワールドではなく、新たな豊かさの条件とするためには、私たちひとりひとりが創造の文化を作り出す必要があります。そして、それは、私たちがかつてそういう文化を持った時代があったということを思い出すことが出発点になるのです。



 インターネットの発達は、情報の世界化、情報のポータル化、情報の検索化、情報の発信化、情報の交流化という形で進んできました。この流れを具体的な名前にあてはめれば、ネットスケープ、インターネットエクスプローラ、ヤフー、グーグル、ブログ、mixi、twitter、facebookなどとなるでしょう。この変化が、境界と差異の消失というクラウド化の進化を表していました。

 だから、今、インターネットを活用するということは、単に情報を発信するだけではなく、交流を交わすということでもあるのです。しかし、交流が交流を目的としたものだけにとどまるならば、それは、アバターがあちこちの仮想空間でコミュニケーションを交わすという以上の話にはなりません。大事なのは、交流することではなく、その交流に創造を載せていくことです。

 インターネットに象徴されるクラウド化のインフラを、単に交流のためのインフラにとどめるのではなく、日常的で大衆的な創造を交流させるためのインフラにするという観点を持つことによって、クラウド化はもう一段階新しいステージに進化することになるのです。

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