国語の勉強というと、漢字の書き取りを連想する人が多いと思いますが、漢字を書く力は国語力のごく一部です。大事なのは、漢字を読む力です。読む力があれば、書く力は比較的早く身につきます。
読む力はどうしたらつくかというと、読書によってです。学校の教科書は、その学年で習う漢字以外はかな書きにしてしまうので、かえって読む力がつきません。その点、児童図書は、ほとんどの漢字にふりがなが振ってあるものが多く、読書を楽しむうちに自然に漢字を読む力がつきます。そして、読んだことのある漢字は、書けるようになるのも早いのです。
では、どうしたら読書をするようになるかというと、それは、学校で行われている朝の10分間読書運動が参考になります。その方法は、
1、毎日、
2、決まった時間に(学校では朝のHRなど、家庭では夕食後など)、
3、全員で(学校ではクラス全員で、家庭では家族全員で)、
4、それぞれ自分の好きな本を、
5、10ページ以上読む(学校では10分間)、
というやり方です。
逆に、次のようなやり方では、なかなか本を読むようにはなりません。
1、たまに、
2、思いついたときに、
3、その子だけ、
4、お母さんがすすめる本を、
5、「本でも読んでみたら」という漠然とした指示で読ませる。
子供に何かを指示する場合は、場所や時間や基準をルール化しておくことが大事です。
毎日本を読んでいると、それがたとえ10ページでも次第に読む力がついてくるので、必ず読書好きになります。
しかし、時に、読みにくい本に出合うことがあります。そういうときは、その本をわずかずつ読ませ続けるよりも、途中の読んだところまでに付箋をつけて、別の読みやすい本に移ることです。そして、気が向いたときに、またその読みにくい本も少しずつ読めばいいのです。読んだところに付箋をつけて読むことによって、何冊もの本を並行して読むことが可能になるので、難しい本で読書が足踏みしてしまうことはありません。
国語の家庭学習の基本は、この読書だけです。このほかの、漢字の書き取り、文字の練習、音読や暗唱、難読や復読、対話、作文などは、またあとで説明します。
家庭学習でいちばん大切なのは読書です。学校や塾の宿題などよりも、毎日の読書を優先するという原則を家庭のルールとして作っておくことが大事です。
次は、算数の勉強法です。(つづく)
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7月18日(水)本日発売の「プレジデントファミリー9月号」の特別付録は、言葉の森監修「作文、読書感想文のテクニック」です。
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これからは、家庭学習の時代です。
学校教育では、多様な生徒をひとつの教室で一斉指導することがますます難しくなっています。
学習塾では、テストの成績を上げるための勉強になっているので、長時間の詰め込みと競争が増え、かえって子供たちの本当の学力(思考力や創造力や勉強に対する意欲)が育ちません。
しかし、家庭での学習というとき、親もまた従来の教育のスタイルを踏襲してしまうことが多いのです。そのいちばん多いパターンは、学校ごっことか先生ごっことかいう言葉で表されるようなスタイル、つまり、親が先生の代わりになって子供に教え込んだりテストで評価したりしてしまうことです。
親が先生の代わりに教え込む弊害は、第一に親の負担が大きくなることです。そのため第二に、子供を叱る場面が増えることです。第三に、子供が受け身の状態で勉強することです。そして第四に、だから子供にとって勉強が面白くないものになることです。親はたびたび怒り、子供はやる気がなくなり、しかも成績も大して上がらず、という状態に、家庭学習は陥りやすいのです。
かといって、自宅でできる通信教育のようなものを利用しても、それらの教材は子供がやりやすいようにはできていても、力がつくようにはできていません。
ドリルをやって力がつくなら、すべての子は力がついているでしょう。そうならないのは、もうひとひねり大人の工夫が必要だからです。例えば、できなかった問題だけチェックして、2回、3回とくりかえすような工夫です。ところが、そうい工夫とセットになっている教材はまずありません。だから、家庭学習は全く新しい勉強の仕方として根本から作りかえる必要があります。
小中学生の子供たちの学力をつける最も重要な教科は国語です。国語力は、理解力、思考力、表現力、創造性を総合したものです。国語力がある子は、頭のいい子であり、大学に入ってからも社会に出てからも活躍できる人になります。
しかし一方、国語は現代の入試のやり方では、数学や英語ほどには大きな差のつかない教科です。今後は作文小論文試験が増えるので国語も数学、英語以上に大きな差のつく教科になってくるかもれませんが、現行の普通の入試では、数学と英語の得点力が合否に大きく影響します。
だから、これからの家庭学習は、国語、数学、英語をバランスよくやっていく必要があります。(つづく)
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今、先進国の経済は行き詰まっています。それは、単に新興国が追い上げているからではありません。先進国が進む道を探しあぐねて停滞しているところに、後ろから新興国が迫ってきているからです。つまり、問題なのは、先進国がこれから進むべき新しい道を見出していないことなのです。
しかし、その道は、従来の工業社会の道とはかなり違ったものです。工業の時代は、不足の時代でした。道路も、橋も、カラーテレビも、クーラーも、自動車も不足していたから工業化が要求されていました。その工業化の本質は、より少ないコストで、より付加価値の高い製品を作り出すことでした。そのコストの大きなものは人件費でした。だから今、新興国が追い上げている背景には、低賃金の労働力という要素があるのです。
ところが、人件費とは、それを受け取る側から見れば給与です。今の工業化社会の行き詰まりは、特にほしい工業製品がなくなってきたということもありますが、それ以上に、工業生産の本質的なところから生まれています。それは、作る人はいるが、買う人がいないという構造です。
工業社会の究極の姿は、ほとんど労働者のいない無人化された工場で次々と低コストの工業製品が生産されていくことです。しかし、それを買うだけの所得を労働から得られる人もまたいなくなっているのです。
工業社会から新しい社会に移行するときの重要な条件がここにあります。新しい産業社会は、低コスト・低賃金・高付加価値のパラダイムから脱却して、低コスト・高賃金・高付加価値の仕組みをもとにしなければなりません。未来の産業とは、できるだけ多くの雇用を生み出す産業です。更に言えば、できるだけ多くの生産者を生み出す産業が未来の産業なのです。
消費者が単なる消費者にとどまるのではなく、生産者にもなりうるような消費とは一体何でしょうか。それが創造文化産業です。一人一人が自分の個性を生かして、個性という主観的な価値を創造性という普遍的な価値にまで高めていくことが未来の産業の土台となるのです。
では、そういう社会で、人間の労働が果たす役割は何でしょうか。それは、低賃金で長時間従順に働くことではありません。そういう働き方はそれなりに美徳でしたが、もともとそれらの労働は、機械によって代替されるべきものでした。人間にしか果たせない役割とは、新しい価値を創造することです。
これまでの社会における教育は、英数国理社すべてに満点が取れるような人間を育てることを目標にしてきました。それは、もちろん悪いことではありません。しかし、それがゴールであった時代はもう終わりました。これからは、その先にある、自分にしか作れない新しい価値を創造できる人間を育てることが教育の目標になります。
今の大人の世代は、工業時代の価値観の中で成長してきたため、新しい個性的な価値を創造することが得意ではありません。日本が新しい産業社会に向けて離陸するには、創造的に生きることの大切さを学んだ子供たちが成長していくことが必要になります。今日の教育に求められている最も重要な課題は、創造性を育てる教育をしていくことなのです。
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2011年11月のプレジデントファミリーの記事に、「「秋田が学力日本一」はウソ!? 四谷大塚・全国統一テストを詳細分析」という記事が載っています。
http://www.president.co.jp/family/backnumber/2011/20111200/21032/
「「秋田が学力日本一」はウソではありません。一方、四谷大塚の全国統一小学生テストの上位は首都圏がトップというのもウソではありません。このパラドックスの秘密は、入試問題というものの性格にあります。
ひとことで言えば、入試問題を解く力は、学力ではなく入試訓練力なのです。入試訓練力は、もちろん学力を土台にしていますが、入試の合否に関する影響力という点で言うと、学力よりも入試訓練力の方が通常はずっと影響が大きいのです。
上位の学校を狙う子の学力は、どの子も既に備わっているはずですから、入試の合否を決めるのはほぼ百パーセント、入試問題で訓練した力です。そして、そういう訓練力は1年間もあれば大きく成長します。だから、中3のとき学力が上の子よりも、そのとき学力は下でも、高校生になって入試訓練力を伸ばした子の方が、大学入試に勝つことができるのです。
学力と訓練力の差が最も大きいのが数学です。私(森川林)は、上の子が中3のとき、高校入試のための勉強を見てやったことがあります。ところが、そのとき試しに自分で近くの普通の私立高校の数学の入試問題をやってみたところ、ほとんど0点だったのです。それで、1冊の問題集を買って、子供には自学自習で勉強させ、できなかった問題は解法を見て子供自身で理解させ、解法を見てもわからない問題だけ一緒に考えることにしました。
私は、高校時代は公立高校の理系のクラスでした。数学は好きではありませんでしたが苦手ということは全くなかったのです。それが、いくら現役から時間がたっているとはいえ、たかが高校入試問題でほぼ0点とは……(笑)。
しかし、今更じっくりやっている暇はありませんから、とりあえず子供が解法を見ても理解できない問題を一緒に考えることにしました。すると、夏休みの約40日間、1日に1題か2題そういう難問の解法を見ているうちに、入試問題のパターンが頭の中に入ってきました。そして、やがてどんな問題を見ても解き方の見当がつくようになったのです。子供も、もちろん夏休みの間に数学が得意科目になりました。
今考えると、それは数学の学力がついたのではなく、数学の入試問題の訓練力がついたのだということです。学力はもともとそれほど変化はしません。しかし、訓練力に関しては、わずかの期間に大きく上昇するのです。
高校入試の数学の得点力は、わずか1か月ほどで大きく変化します。だから、中学生時代のうちは、学力と訓練力の差はそれほどはっきりしません。そのため、秋田の子は、中3になっても学力は東京の子よりも高いのです。
しかし、大学入試では、訓練力の上昇には、もっと長期間かかるようになり、次第に学力と訓練力は、かけ離れたものになっていきます。これを裏づけるのが、知能テストの成績と数学の成績の相関です。
▽学年ごとの知能テスト(言語因子)と数学の成績の相関(倉石精一郎京都大学教授の調査による)
┏━━┳━━┓
┃小4┃0.76┃
┣━━╋━━┫
┃小6┃0.66┃
┣━━╋━━┫
┃中1┃0.82┃
┣━━╋━━┫
┃中3┃0.55┃
┣━━╋━━┫
┃高2┃0.03┃
┗━━┻━━┛
つまり、小中学生のころは、知能テストの成績のいい子は、算数・数学もよくできます。しかし、高校生になると、知能テストと数学の成績の関連はほぼなくなってしまいます。(相関が0.03というのは無関係というのとほぼ同じです)
国語や理科の教科では、大学入試と知能テストの成績は比較的高い相関があります。しかし、数学に関しては、知能テストと入試の成績は、全く関係がないと言ってもいいほどです。数学に次いで、知能テストと入試の成績の関係が薄いのが英語です。そして、入試では、数学と英語の得点力が合否に大きく影響します。
つまり、ここから言えることは、小学校、中学校と学力の高かった秋田の子は、高校に入ってからも学力は高いだろうということです。しかし、首都圏の学力の高い子が、高校に入ってから入試の訓練力をつけていくのに対して、秋田の子は入試の訓練力というものをあまりつけない高校生活を送っているのだと思います。これが、入試の結果の差になって現れてきます。
だから、小中学校のころ日本一だった秋田の子の学力が低下したわけではありません。入試訓練力を新たにつける機会が少ないだけなのです。
このように考えると、子供たちの勉強の理想の姿がわかってきます。それは、大きく四つの段階に分けられます。
第一は、基礎技能を身につける時期です。数学で言えば計算練習です。
第二は、学力を身につける時期です。数学の例を続けると、教科書の単元を積み重ねていく時期です。
第三は、入試訓練力を身につける時期です。教科書を超えた入試問題を解く訓練をしていく時期です。
そして、第四は、創造的な研究をしていく時期です。これは、入試の訓練のように答えのあるものを早く見つける学習ではありません。自分の力で新しい問題を発見する学習です。
大事なことは、それぞれの段階は、前の段階の延長にはないということです。四つの段階は、質的に異なったものなのです。つまり、計算練習がいくら速く正確になっても、それで自然に学力がつくわけではありません。また、教科書の進度がいくら進んでも、それで入試が突破できるわけではありません。また、入試の成績がいくらよくても、それでその分野の独創性のある研究者になれるわけではありません。
勉強というものは、それぞれが前の段階を前提にしていながら、それでいて質的に異なるものだと自覚して進めていくことが大切なのです。
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中学程度以下の算数と数学には知能テストの言語因子と相関が高く、高校以上の数学には知能テストの非言語因子と相関が高いと発表されているように思いますが
エコールグランデさん、そういうことはあると思います。
大事なことは、学年が上がるほど、数学や英語は、もともとの頭のよさというよりも、努力と勉強の仕方で決まるということです。(ただし、大学入試レベルぐらいまで)
学力テストのランキングは、公立小中学校の平均値
しかしながら、秋田と東京では全く違うことがある。学力テストを受けながらも成績優秀な国立附属、私立や中高一貫校の中学生の成績が平均値に反映されない。秋田附属に若干流れる秋田と東京では比較するとおかしな結果になる。つまりは、国立私立含めた本当の全平均を出さないから大学進学率と違う結果になる。又、国もランク付けの目的が違うと考えられる
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