勉強は、たまに急にがんばるのではなく、
川の流れのように
毎日同じように続けていくことで、
いつの間にか力がついていたというのがいちばん楽。
毎日、朝ご飯前に食卓で1200字から1600字ほどの長文を音読して、作文と国語の実力をつけている子がいます。
しかし、一方で、長文音読は、夕方、本人任せになっているので、やったりやらなかったり。
本人も、親も、それなりにやっているつもりですが、あまり徹底していない子もいます。
音読は、形の残らない、あてのない勉強なので、簡単で効果があるにもかかわらずなかなか続かないのです。
その点、暗唱ははっきり形が残ります。
毎日やれば誰でもできるようになるし、毎日やらなければその場でいくらがんばってもなかなかできるようになりません。
だから、暗唱はやりがいがあり、毎日の勉強が徹底しやすいのです。
しかし、ここで問題になるのは、今の大人の世代のお父さんやお母さんや先生が、子供時代に暗唱をした経験がないことです。
だから、子供に暗唱をさせるときも、確信を持てなかったり、無理強いをしたりしてしまうことがあるのです。
暗唱は文章を覚えることに意味があるのではありません。
同じ文章を繰り返し読むことに意味があります。
その繰り返し読むための手段として覚えることがあります。
そして、暗唱は何より楽しいのです。
今日は久しぶりの雨のようです。
最近、晴天が続いたから、ちょっと一雨という感じです。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
作文を書くのに時間がかかる子がいます。
そういう子は、概して書く力のある子で、時間をかけただけやはりいい内容の作文を書いてきます。そして、時間をかけただけ実力もついてきます。
しかし、時間をかけすぎるときには、別の事情もあるのです。
それは、家庭で、「作文が早く終わったら、別の勉強をする」というようなスケジュールになっているような場合です。
そういうスケジュールでない場合でも、普段から勉強を時間で決めてやっている場合は、どうしても集中力のない勉強スタイルになりがちです。
勉強は、時間ではなくページ数で決めておくことが大事です。そして、一定のページ数が終わったら、あとは自由としておくことです。
人間が本当に自覚をもって勉強するようになるのは中学3年生のころからです。
そのころになると、自然に本人が、時間を決めて勉強するようになります。
そうなる前に、お母さんが時間を決めて勉強させると、その決められた勉強時間の範囲で、密度薄くのんびり楽に勉強するという習慣がつくのです。
大事なのは、お母さんやお父さんの想像力です。
もし自分が小学生だったら、こういうやり方は嫌だろうなあということはしないことです。
小学校低中学年のころは、子供は親の言うことをよく聞きます。無理なことでも素直に聞きます。
しかし、そこで言うことを聞くからといって、親のペースを押しつけていると、子供が自覚を持つ年齢になるころにその反動がやってきます。
低学年のときに親が強制的にやらせると、学年が上がったときに言うことを聞かなくなるのです。
特に作文は、いちばん頭を使う勉強と言ってもいいと思います。
子供が納得できる無理のない時間配分で密度濃く勉強をして、できるだけ子供の自由な時間を尊重するようにしていってください。