水浴びをしにきたジョウビタキ
●動画:https://youtu.be/zR1GEn69gkQ
コープで買い物をしたときに、プリペイドカードを出そうとして、「あ、これ……」と、言葉が出てこなかった。
日常会話で、「このあいださあ、プリペイドがさあ……」というような会話はまずない。
プリペイドという言葉は、まだ日本語ではないからだ。
ナウいことをやろうとして、やたらに外来語を使う人が、団塊の次の世代の人たちに多い気がする。
だから、日本中で、わけのわからない外来語が増えている。
インクルーシブとか、インフラストラクチャとか……。
そういう人たちには、「おまえの頭の方が、インクルーシブだろ」と言っておきたい。(よくわからん)
しかし、昔のように、ベースボールを野球、サッカーを蹴球と言い換えるような変革は、もうできない。
昔と違って、あまりに外来語が普通に広がりすぎたからだ。
だから、当面の解決策は、和製英語になる。
ワードプロセッサーなら、ワープロ。
スマートフォンなら、スマホ。
ノートパーソナルコンピュータなら、ノーパソ。
英語の世界では、簡略化したいときに、頭文字を使う。
ラージ・ランゲージ・モデルズだったら、LLMとか。
しかし、日本語なら、ララモと略せる。(まだ誰も言っていないが。)
同じように、プリペイドカードなら、プリカ。
インクルーシブなら、インクル。
インフラストラクチャなら、インスト。(エンストみたいだなあ)
外来語をやめて、和製英語を作ることが、今後の日本語を国際化させる道だ。
日本語に、カタカナがあってよかった。
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AI翻訳の時代には、和製英語が生きてくる。
このことに気づいている人はまだいない。
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メジロ
●動画:https://youtu.be/1-lejLltNQc
言葉の森に、小学校低学年から来る子供たちは、みんな優秀です。
クラスでも、1番か2番という子も多いです。
しかし、その子たちが、受験勉強に入ると、だんだん頭が悪くなっていくのです。
成績は良くなっていくのですが、それに反比例して頭が悪くなっていくのです。
それがわかるのは、話をするときの中身が、次第に表面的になっていくからです。
要するに、考えない、知識中心の話が多くなっていくのです。
その路線で、大学入試までは、やっていくことができるでしょう。
大学入試は、答えのある勉強なので、その頭の使い方で十分なのです。
しかし、大学入試の先は、もう答えのある勉強はありません。
就職試験によっては、答えのある勉強で、成績だけで合否が決まる科挙のようなものもあるので、過去問対策で対応できますが、その先はもうありません。
過去問対策ができない現実の世界で大事なのは、考える力と行動する勇気です。
では、考える力はどこで育つかというと、それはやはり読書です。
中学生高校生以降は、特に難読です。
「難読」とは、難しい本の読書という意味の造語です。
先日、算数の成績も、読書力によるという記事を見ました。
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【算数】なぜ「読書をする子」は「算数に強い」のか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/4863d1cfdb8568e4ab2df9322e13de6dca9068c9
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この記事に納得する人は、読書をしてきた人です。
読書力(特に難読力)があると、考える力ができるので、算数数学の解法のややこしい説明も理解することができます。
読書力がないと、解法の難しい説明を理解しようとしなくなります。
この理解力が、算数数学の学力の差になります。
言葉の森の読書記録のページにも、説明文の本が多くなってきました。
特に、小学校高学年の生徒は、かなり難しい本を読んでいる子もいます。
もちろん、読書は楽しく読むことが大事なので、無理に難しい本を読み続ける必要はありません。
難しい本を読もうとして、読書量自体が少なくなってしまえば、その方がマイナスだからです。
試みに、小6の読書記録を見てみると、次のようなリストになっています。
【例】小6の読書記録(11/14現在1109件)
https://www.mori7.com/teraon/ds.php?gakunenn=%E5%B0%8F6
※読書記録は、学年のところをクリックすると、その学年の記録だけが表示されます。タイトルの「読書記録」という文字をクリックすると全学年の表示に戻ります。
ただし、読書が大事だとは言っても、中学生の定期テスト対策などで言うと、読書力だけでは、いい成績は取れません。
それは、今の学校のテストは、生徒に差をつけるために行われているので、テストのための勉強をしなければ対応できないからです。
このテスト対策の勉強で役に立つのは、暗唱力です。
小学校低中学年までに暗唱力をつけておけば、中学生になってからの知識の勉強も、楽にできるようになります。
【例】暗唱検定のページ
https://www.mori7.com/askt/
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低学年のよくできる子は、特に勉強しすぎないことが大事です。
できる子だと、つい親が勉強をさせすぎてしまうことがあるからです。
勉強よりも、読書と遊びが大事と考えておくといいと思います。
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最近庭に植えたガーデンシクラメン
●動画:https://youtu.be/F0kW3Kzd9s0
ベネッセがMBOで、株式公開を廃止。
世間の目先の評価から距離を置くことは大事だ。
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ベネッセ創業家が自社買収、上場廃止へ 「進研ゼミ」会員減止まらず、立て直し急務
https://www.sankei.com/article/20231110-IOSJR2AANFMXRFJMNYFZQ2IVLM/
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すでに、紙ベースの通信教育には限界がある。
しかし、受験のニーズでSAPIXなどのリアルな教室に人が集まるのは一時的だ。
AI技術の時代には、受験教育は不要になる。
やがて、IT技術によって受験自体が不要になる。
更に言えば、競争自体が不要になる。
誰もが創造で生きる時代になるからだ。
ついでに、戦争も不要になる。
どの国も創造で生きる時代になるからだ。
いまだに、漢字の書き取りを覚えさせる教育、間違えやすい計算問題を出す教育、生涯使わない知識を覚えさせる教育などが残っている。
漢字は読めればよい、計算は理屈がわかっていればよい、知識は探せればよい。
教育に携わる人は、真面目に勉強してきた人が多い。
学校の先生、塾の先生、高学歴のお父さんお母さんたちは、「でも、一応は……」と言うだろう。
しかし、時代は先に進んでいる。
江戸時代の末期に、「でも、一応は、剣術と馬術と四書五経はやっておいた方が……」と言っていたのと共通している。
新しい時代は見えないから、古い時代の確かなものに、一応は頼ろうとする。
大事なことは、先を見ようとすることだ。
しかし、新しい時代の方向は、STEM(STEMA)ではない。
GAFA(GAFAM)の好きな人たちが言っているSTEM(STEMA)ではなく、もっと文化的なものだ。
今、日本でも起業という概念が広がってきたが、若い人たちの起業の方向の多くがAI技術、特にLLMの技術だというところに視野の狭さがある。
時代の方向は、個性、思考力、創造力、共感力であり、具体的には、読書、作文、発表、対話、学力の教育だ。
学力の土台として、日本語力と数学力がある。
英語力はもうない。AIにまかせればいいからだ。
理科も社会もない。読書ができればいいからだ。
精選された学力の土台の上に、創造と共感の文化を作ることが、今後の教育の方向である。
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ひとことで言えば、答えのある教育の時代は、もう終わったということだ。
しかし、答えのない教育をわかっている人は、まだほとんどいない。
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熱心に餌を食べる2羽のスズメ
人間の幸福とは、
朝、目がさめたら、顔の前で犬が寝息を立てて寝ているとき。(一緒に寝ているので)
庭の花の周りに、シジミチョウや名前の知らない小さな虫が所在なく飛び回っているとき。
池のメダカたちに餌をやると、みんなが次々と水面に出てくるとき。
鳥の餌台に、ヤマバトやスズメたちが来て、餌を食べているとき。
と考えると、自分の幸福感は、自然と結びついていることがよくわかる。
ところで、さっき、餌を食べていたスズメたちに、窓を開けて、「おうい、元気か」と声をかけたら、慌てて逃げていった(笑)。
まだ慣れていないからなあ。
そのうち、近くに寄っても逃げないようになる。
人間は、自然の中で暮らしている。
好きな景色は、青い空。
モネとか、マチスとか、クレーとかの絵も好きだけど、青い空がいちばんいい。
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メダカのいる池
●動画:https://youtu.be/WHqUFQvN3rA
道を歩いていて、工事現場などを通りすぎるとき、そこで使われている機械や設備を見て、「よく、ここまで工夫して作ったなあ」と感心することがあります。
これが、かつての日本の国際競争力の源泉でした。
今も、日本の自動車産業などでは、それが続いています。
しかし、それらの機械工業のあとのサービス産業の分野では、おもてなしなどの人間的な工夫はなされていますが、システムとしての工夫はまだ不十分なようです。
例外なのは、受験教育産業の分野です。
ここは、目的がはっきりしているので、機械工業のような発想で取り組むことができます。
そこでは、工夫した教材だけでなく、偏差値や順位や合格可能性などが、子供たちの勉強の動機づけに使われています。
もちろん、それは、それでいいのです。
しかし、これからのサービス産業の新しい分野は、受験教育ではなく、もっと広義の文化教育の分野になります。
この文化教育の分野では、システム上の工夫は遅れています。
文化教育とは、受験という目標に必ずしも結びつかない分野です。
この文化教育の分野で、人間力だけに頼らない新しい仕組みを作ることが、これから日本が発展する道です。
やがて、日本の輸出の中心は、機械産業から文化産業に移っていくでしょう。
そのときに、他国が簡単には模倣できないようなハイレベルの仕組みを作っていくことが大事になります。
言葉の森の行っている教育は、主に文化教育の分野です。
作文、創造発表、プログラミングなどは、点数や順位や偏差値ではなく、創造と発表の喜びに基づいたものです。
また、国語読解、算数数学、英語も、できるだけ創造や発表の面を取り入れていきたいと思っています。
例えば、授業の前のみんなの読書紹介や、授業のあとの一人一言の時間などは、勉強の能率を考えれば、無駄なように見えるかもしれません。
しかし、この読書紹介や一人一言の時間の中で、みんなが創造的に発表する機会を持つことができ、それがその子の成長につながっていくのです。
言葉の森の教育の目的は、思考力、創造力、共感力を育てることです。
引き続き、この方向で、勉強の方法を工夫していきたいと思います。
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日本のこれからの国際競争力は、文化教育産業の分野で伸ばす必要があります。
しかし、今はまだ「おもてなし」と同じように、人間の力に頼った競争力にとどまっています。
それを、日本の機械工業製品と同じレベルにまで引き上げることが課題です。
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