言葉の森では、どのような勉強をしているのでしょうか。言葉の森には、ほかの教室にはないいくつかの特徴があります。
第一は、事前指導を重視していることです。作文を書き出す前に、書く方向をアドバイスします。この事前指導によって、
苦手な子も楽に書き出すことができ、得意な子もさらに高い目標の書き方をすることができます。
第二は、項目指導を中心にしていることです。項目指導とは、作文の中に必要な表現項目を入れながら書く勉強法です。項目が入ればいい作文が書けるというのではありません。項目を入れることによって、個性と深みのある項目を作る力をつけることが目標です。このように
目標の明確な指導を行っているので、子供たちは長期間意欲的に作文の勉強に取り組むことができるのです。
第三は、小学校低学年の作文指導のときから、高学年の感想文や意見文、さらには小論文に発展させる見通しをもって作文指導を行っていることです。作文指導の目標は、高校生になったときにその学年にふさわしい立派な小論文を書く力をつけることです。
小学校のときだけの勉強で終わらずに、生涯続く文章の実力をつけること目標にしているのです。
このような言葉の森の指導をを支えているのは、自宅での準備です。しかし、準備といってもそれほど時間のかかるものでありません。事前に与えられている課題を見て、その課題に合わせて、似た話を考えたり家族に取材をしたりすることです。この
家族に取材をして話をふくらませるというのは、子供たちの考える力を育ててるとともに、親子の対話を生み出す貴重な機会になっています。
言葉の森の指導の流れをひとことでいうと、小学校低学年のころは楽しく書く、中学年のころは表現を工夫して書く、高学年は考えを深めて書く、中学生はより深く考えた意見文を書く、高校生は社会的な問題にまで視野を広げた小論文を書く、という進み方です。一貫したカリキュラムで長期的な指導を行っているのが、言葉の森の勉強の特徴です。
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これまで、作文のテストは、限られたところでしか行われていませんでした。それは、テスト後の採点に手間がかかるために、多人数のテストには採用しにくかったからです。
しかし、
次第に作文テストが入試に採用されるようになってきました。
その一つは、
公立中高一貫校の入試問題です。公立中高一貫校では、これまでの受験テクニックだけでは解けないような本当の実力を見るということから、作文や考える問題を中心に入試問題を作るようになっています。
もう一つは、
高校入試で広がっている推薦入試の際の作文テストです。高校では、少子化に対応して早めに推薦で入学者を確保するというところが増えています。推薦入試で主流となるテスト形式は、作文と面接です。また一般入試でも、作文の試験を本格的に取り入れる学校が増えているのが最近の特徴です。
三つ目に、
大学入試でも推薦の作文小論文が広がっています。大学は、高校以上に少子化に対応する必要に迫られています。そのため、現在ではほとんどの大学で作文小論文による入試を行っています。
四つ目に、社会に出るときに受ける入社試験です。ここでも、エントリーシートや作文の試験が頻繁に行われています。さらに、社会に出てからも、文章書くことに自信があると、さまざまな面で有利です。特に
責任ある立場になれば、文章で他人にわかりやすく説明する能力が必要になってきます。
これまでのペーパーテストは、短期間に大人数を一斉にテストする際に使われてきました。しかしこれからは、少人数をじっくり見る形の評価が中止になってきます。そのときのテストの中心は、作文や面接です。
作文力は、これからますます必要になってきます。
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思考力や創造力など本当の頭のよさは、作文力に表れてきます。小さいころの勉強の目標は、作文力をつけることを基準にして考えていくことができます。
しかし、
作文は、ただ単に書くだけではなく、どのような方針で書いているかということが大事です。
言葉の森は、他の教室とは違ういくつかの特徴を持っています。
第一は、
教材がすべてオリジナルであることです。その結果、受験コースなど臨時の課題に対しても、オリジナルな教材を作ってすぐに対応することができます。
第二は、三十年以上の指導の実績があることです。言葉の森は、今あるいろいろな教室の中では、
日本でいちばん長続きしている作文教室だと思います。その長い実績は、常にその当時の最新の技術や指導法を取り入れて新しい作文指導を切り開いてきたことによるものです。
第三は、
小学校一年生から高校三年生まで一貫したカリキュラムで指導していることです。言葉の森の生徒の中には、小学生のころから始めて高校生まで勉強を続けたという生徒が多数います。このように作文指導だけで一貫した指導体系を持っている教室は、ほかにはほとんどありません。
第四は、
作文指導を、読解力や思考力の指導と結びつけて行っていることです。これは、単に文章書く力をつけるだけではなく、本当に実力のある文章を書く力をつけることを目指しているからです。
第五は、
全生徒について担任制をとっていることです。この担任制によって、小学生時代から高校生になるまでずっと同じ先生が指導を続けるというケースも出ています。担任制をとることによって、その生徒の指導と評価を時間的な位置づけの中で行うことができるようになっています。
第六は、
通信指導を毎週の電話指導によって行っていることです。電話指導を、個人的な規模ではなく組織的な規模で行っているところは、ほかにはまずありません。この電話指導によって、通学教室と同じような指導環境を作るとともに、夜遅い時間でも自宅で学べる仕組みを作っています。
第七は、これらの結果として、
生徒の作品の提出率がきわめて高いことです。生徒の多くは、ほとんど毎週休みなく課題を提出しています。都合により休んだ場合も、振替で電話指導を受けることができるので、ほとんどの授業を消化していくことができます。
作文の指導で大事なことは、その背後にある長期的な指導方針と運営方法です。
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成績をよくするという表面的なところに目を向けるのではなく、もっと根本にある
頭をよくすることに目を向けていれば、必要なときに成績をよくすることができます。
今、世の中で活躍している人で、子供のころからずっと成績がよかったという人はむしろ少数派です。ほとんどの人は、普通の成績で、途中いろいろな脱線を経ながら成長しています。そして、ある日やる気になったときに、猛然と勉強を始めて実力を発揮していったのです。
そのやる気になったときに、ぐんぐん伸びる人と、あまり伸びない人とがいます。
必要なときに伸びる力があることが、頭がよいということです。
小さいころから、時間とお金をかけて、コツコツと成績を積み上げるというやり方だけが勉強なのではありません。小さいころはよい頭を作っておき、必要なときに集中して勉強するというのが最も無駄のない方法なのです。
小さいころから努力して取り組むことが必要なのは、成績を上げるための努力ではなく、頭をよくするための努力です。
では、頭をよくするとはどういうことでしょうか。第一は理解力をつけることです。第二は思考力をつけることです。第三は創造力をつけることです。そして、第四はそれらを表現する表現力をつけることです。
このうち、理解力を除く三つの力、
思考力、創造力、表現力は、主に作文力という形で表面に表れてきます。最近の作文小論文入試では、与えられた文章を読んでその感想を述べるという形が多いので、その感想小論文という形であれば、理解力も作文力の中に含まれます。
逆に、ペーパーテストのような形で見ることができるのは、主に理解力と思考力の一部です。しかし、テストで分かる力というものは人為的なものなので、テストの解き方のコツに慣れているかどうかによって大きく左右されます。テストの点数よりも、普段その子が書いていることや言っていることに接して受ける感じの方が本当の実力が分かるのです。
成績はその子の過去の勉強のかんばり度がわかるだけですが、作文には、その子の本当の実力が表れます。推薦入試で、作文や面接の試験があるのは、そういう事情があるからです。
頭がよいか悪いかは、作文を書く力を見れば分かると言ってもいいでしょう。ですから、
頭をよくする勉強は、作文力をつける勉強ということで考えていくことができるのです。
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成績を良くする時代は終わりつつあります。これからは頭をよくする時代です。
では、なぜ成績をよくする時代が終わりつつあるのでしょうか。
第一は、社会のグローバル化の流れによってです。
江戸時代の藩が県になり日本の一部になったように、現在の日本は、これから、世界の中の一つの国という面をますます強めていきます。日本で名前を知られた大学でも、世界の基準でいうと様々な大学の一つでしかなく、
世界的な基準では、学歴は「参考までに聞いておく」という程度のものになっています。
特に、最近増えているAO入試や内部進学によって、学歴と学力の相関は弱くなっています。さらに、学歴と実力については、もっと弱い相関しかないと多くの人が感じるようになっています。
成績をよくして希望の大学に入ることは、もちろん大事なことですが、それだけでは、まだ出発点の一つに立ったにすぎない、ということなのです。
成績の時代が終わりつつある第二の理由は、流動化した社会が生まれているからです。
学校の成績は、小、中学校のころまでは勉強の仕方次第で、ある程度上位を占めることができます。しかし、
高校、大学と進むにつれて、勉強の仕方よりも、本人の努力や実力が大きく物を言うようになってきます。
P・F・ドラッカー氏氏は、これからの企業の平均寿命は30年程度だから、人間が持っている知識の寿命の方が、勤める企業よりもはるかに長くなるだろうと述べています。
勉強をして、いい成績を上げて、いい学校に入ったらそれでおしまいというのは、過去の時代の話です。これからは、時代の変化に応じて新しい知識や技能を次々と学んでいく形が日常化していきます。
今有利な資格や学歴というものは確かにありますが、一生有利な資格や学歴はない、と考えておくことが大切です。
(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)
マインドマップ風構成図
記事のもととなった構成図です。
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