ファクスで四行詩を送ってきてくれたみなさんの作品の中から、いくつかを紹介します。
4行ですから、いずれも100字に満たない作品ですが、中には思いがけず新しい発見や創造の世界が生まれているものもあります。
P331 名古屋市 NA
トキやイリオモテヤマネコを復活させても
人間は自然を戻せない。
なぜだろう?
生活が困る事にだれも賛成しないからだ
P338 名古屋市 NA
私が子供の時、
三月は
冬の終わりに近いと
どれだけ感じた事だろう。
P181 ナエトル・ヨッシー
里山とは、「里山」という山ではなく、
人と自然が交錯するころ、
自然と人間のせめぎあいの産物、
という意味深いものである。
P188 ナエトル・ヨッシー
かつて胡瓜は夏の季語であった。
しかし今一年中食べられる胡瓜は
他の季節の季語となるばかりでなく
季節を感じないと思われている。
P196 ナエトル・ヨッシー
科学は、
科学者の好奇心や偶然の発見などで進歩し、
技術は、
経済や人間社会の必要によって発展する。
P197 ナエトル・ヨッシー
景観は、生活者によって作られ維持されて
きたものだから誇りと愛着がある。ゆえに、
生活者が誇りと愛情をもって育てなければ、
来訪者を感動させることはできない。
では、おまけに、私の四行詩(笑)。
なぜ、四行詩か 森川林
文章を読んだあと、問題を解くことも、要約することもできる。
しかし、植物が日の光を受けて花を咲かせるように、
人間の自然にいちばん近いのは、
何かを吸収したら、自分も表現したいと思うことだろう。
小学校低中学年のころは、教える内容については、親が圧倒的に豊富な知識を持っています。計算練習も、漢字練習も、親はすっかり教える内容を熟知しています。
だから、教えることそのものには問題がありません。大事なのは、その教え方です。なぜなら、子供は、勉強の知識を学ぶよりも、親の教え方を無意識のうちに学ぶからです。
どの親も、子供が将来だれからも好かれるようになってほしいと思っています。勉強ができるが嫌われる子よりも、勉強が多少できなくてもみんなから好かれる子になる方がよい、もちろん、できれば両方できた方がよい、とだれもが思っています。
しかし、好かれ方を教えるような教材はありません。子供は、親の人間関係から、自分の人間関係を学びます。
ここで、褒めることと叱ることが重要になってきます。
例えば、子供が簡単な勉強なのになかなかできないときです。実は、こういうことは普通によくあります。算数の問題でも、昨日教えたばかりのことが今日できない。今日教えたことが、また明日もできない、ということはだれにも普通にあることです。親は、自分も子供のころ、そのように何度も間違えながら学んだことを忘れているだけなのです。
このときの対応で、「どうして、こんな簡単なこともできないの」と言うか、優しくにっこり笑って、「じゃあ、もう一回説明するよ」と言うかによって、子供の将来の人間関係が形成されていきます。子供が成長したときに、相手のちょっとしたミスにも嫌な顔をするか、明るく笑って済ませられるかの差が生まれてくるのです。
同じように、子供がよくできたときにも、親の対応の仕方が大事になります。例えば、子供がよい点数を取ってきたときに、親がそれをからかってしまうということはよくあります。親は、つい、「珍しい」「まぐれでしょう」「雪が降るかも」などというひねった褒め方をしがちです。しかし、これはシンプルに、「わあ、すごい」「よかったね」だけにしておいた方がよいのです。こういう褒め方の差も、子供の将来の人間関係の形成に影響します。
人間は、よそ行きの場面では、みんないい顔をしています。しかし、自分よりも弱い立場の人に接するときに、その人の地の人柄がつい出てきます。
しかし、無意識に身についたものは、本人が自覚して直すまで、かなり遠回りをしなければなりません。
勉強の教え方は、勉強の内容よりもずっと大事なのです。