言葉の森のfacebook教育が、いよいよ本格的にスタートします。
7月下旬と8月上旬に、保護者にfacebookのお知らせを送ります。もちろん、保護者の中ですぐにfacebookに参加できる人はまだ多くないと思います。また、当然facebookに参加しなくても従来のやり方で十分にやっていけます。しかし、facebookを利用すると、勉強がもっと飛躍的に楽しくできるようになるのです。
以下、そのやり方の概略を説明します。
ポイントは、5つあります。
第1は、facebookを利用した予習の仕組みです。
第2は、facebookを利用した発表の仕組みです。
第3は、facebookを利用した教材の仕組みです。
そして、教育よりも話は広くなりますが、。
第4は、facebookを利用した生活の仕組みです。
第5は、facebookを利用した自治の仕組みです。
この話に入る前に、教育の中でも、なぜ作文教室で作文を教えるのかということを説明します。
作文力は、国語力の集大成です。読解力、漢字力、思考力、表現力という国語的な力のほとんどが作文の中に統合されています。
そして、国語力というのは、数学、英語、理科、社会などあらゆる教科の土台です。国語力はないが数学は得意という生徒は、大学に入ってから伸びないと言われています。また、国語力はないが英語は得意という生徒も、学年が上がるとだんだんいなくなってきます。国語力というのは、単に文学的な心情を味わうというような狭い学力ではなく、ものを考える土台となる本質的な学力なのです。
以上の二つのことをまとめると、作文力は、あらゆる教科の土台の集大成だいうことになります。(土台の集大成ということがイメージとしてわかりにくいですが(^^ゞ)
言葉の森の生徒の中には、習い事は言葉の森だけという子がよくいます。そういう子は、読書も作文も得意です。学校や家庭だけでは、文章を書く機会が少ないということと、作文は自分ひとりでは自分の書いた文章を評価できないということで勉強しているのです。
勉強とは、本来ひとりでできるものです。教科書や参考書や問題集があれば、解答や解法を見て自分でいくらでも勉強を進めることができます。しかし、作文に関しては独学というものはしにくいのです。
ところが、自慢になりますが(笑)、そういう学力の土台の集大成となるような作文の指導をしているのは言葉の森しかないと思います。
最近、公立中高一貫校の作文入試や、高校や大学の推薦小論文入試が増えたために、作文の書き方を教える教室も増えてきましたが、言葉の森のように読む力と書く力を組み合わせて小1から高3まで指導をしているところはほとんどないと思います。
ところで、話は少しはずれますが、習い事ということに関連して、今の社会の風潮に対する問題点もいくつか指摘しておきたいと思います。
ひとつは、運動や音楽の習い事は、やりすぎないようにするということです。こういう身体的なことは、かけた時間に比例して上達する面があります。また、勝敗やコンクールという競争状態に置かれる結果、必要以上にやりすぎる面が出てきます。教育の根本は、確実な学力をつけることです。運動や音楽的なことは、幹ではなく枝葉なのだと自覚して取り組んでいくことが必要です。運動や音楽によって集中力がつき学力にもプラスになったという人もいる一方、運動や音楽によって勉強する時間が足りなくなったという人もいます。家庭での位置づけをしっかりさせておくことが大事です。
もうひとつは、幼児期からの英語教育には、弊害がある可能性がかなり高いということです。幼児から小学3年生ぐらいまでは、日本語という母語を確実に身につける時期です。この時期に他の言語が入ってくると、やり方によっては、母語である日本語に悪影響を及ぼします。他の言語を学ぶのは、日本語脳を確実に形成したあとで、しかし、まだ他の言語を習得する柔軟性の高い小学4年生から6年生が最適のようです。このあたりの研究は進んでいるはずなのですが、英語教育の利害関係者が多いせいかあまり明らかになっていません。
最後のひとつは、小学校低中学年までは勉強をさせすぎないということです。早めにやって人より先に進んだとしても、それがあとまで続くことはまずありません。本当の勉強は、小学校5年生以降の思考力がついてから始まります。また、子供が勉強というものに自覚して取り組めるようになるのは中学3年生以降です。早めに勉強させすぎることのマイナス面は、勉強というものに飽きてしまうことです。小学校低中学年までは、勉強はほどほどにできるぐらいでちょうどいいのです。その分、遊びと読書と対話の時間を増やして子供らしい楽しい小学校生活を送っていくことが大切です。
次回は、facebookを利用した予習の話です。(つづく)
前回は、実際の作文の書き方を説明しました。
志望校の過去の傾向に合わせた予想問題をとりあえず10本書いておきます。
そのあとは、推敲です。最初に書いたのは、時間制限を意識しながら書いたので、必ずしも満足のいく出来ではありません。
そこで、小学生の場合は、両親も参加して、実例や表現の見直しを行います。実例というのは、小学生の場合は主に体験実例です。高校生の場合は主に社会実例になります。
体験実例で値打ちのあるものは、その子の個性、挑戦、共感、感動が感じられる実例です。平凡なだれでも書くような実例よりも、やはり自分の個性が出ている実例の方がいいのです。しかも、その実例は、明るいものの方が文章に力が出てきます。文章を読むのは人間ですから、明るく前向きなものの方がどうしても好意的に見られるからです。
ところが、実例の価値というのは、本人には意外とわかりません。これは、大人でも同じです。自分ではいいと思っていても、あまり他人には受けない実例と、自分ではそれほどではないと思っていても、他人には高く評価される実例があるのです。
そこで、お父さんやお母さんが、子供の作文の実例にアドバイスをしてあげます。「この意見の理由としては、こういう体験実例があったんじゃないかなあ」などと言えば、そのヒントで子供はすぐに書き直すことができます。
そのようにして、10本の予想問題を自分が納得できる形になるまで仕上げます。
これでかなり実力がつきます。試験の本番でどんなテーマが出ても、それまでに書いた文章の蓄積があれば安心して取り組めます。
さて、実際の作文で意外と目立つのが誤字です。学校の漢字のテストがよくできている子でも、作文には誤字が出てきます。それは、なぜかというと、ずっと下の学年のときに習った漢字を勘違いして覚えていることが多いからです。
勘違いしているのですから、実際に書いてみないと、自分がどういう漢字を間違えて覚えているかわかりません。
大人の場合でも、手書きで文章を書く場合、ほとんどの人の書くものに誤字があります。今は、パソコンの自動変換で出てくるのであまり問題はありませんが、作文試験の場合は手書きで書くので、誤字対策は重要です。
これは、普段の練習で作文を書くつど、それを身近な人にチェックしてもらうことで少しずつ直していくしかありません。
試験のときに、あまり自信のない漢字を書く必要が出てきたときは、別の表現にして自分のよく知っている漢字で書くようにします。ひらがなで書いてごまかすのはよくありません。
普段の練習で作文を書くときに、いちいち途中で辞書などで調べてしまうと、文章の流れが止まってしまいます。あいまいな漢字を書く場合は、とりあえずカタカナなどで小さく書いて四角で囲んでおき、作文を全部書き終えたあとにまとめて辞書で調べるようにします。
以上、駆け足で、作文試験の対策を3回にわたって書いてきましたが、ここに書いてあるとおりに勉強するだけで、文章力は飛躍的に上達します。