言葉の森は、作文や国語の塾のように思われていますが、そうではありません。
その理由は第一に、塾というのは、何かの手段(おもに勉強の成績を上げるための手段)を提供するものだからです。成績を上げる究極の目的は、志望校に合格することですから、受験のための力をつける手段を提供するのが塾です。言葉の森は、そういう手段としての勉強ではなく、目的としての勉強として作文を考えてきました。その目的とは、理解力、思考力、表現力、そして創造力を育てる勉強としての作文という意味です。
第二の理由は、言葉の森の勉強が目指しているものは文化としての勉強だからです。文化としての勉強には、ピアノ、バレエ、そろばん、書道などがあります(そろばんは、実益的な面がありますから多少性格が違いますが)。文化としての勉強は、その学習の中に進歩する目安と目指すべき目標があります。同じように、言葉の森も、作文の勉強の中に、他に依存せず言葉の森の中だけで進歩していける基準として、森リンの点数、進級制度、さまざまな賞を作っています。
確かに、作文の文化というものはまだはるかに未完成です。それは、その勉強の成果の頂点となるものが、まだはっきりと現れていないからです。また、文化として確立されるためには、もっと日本の古典に根差したものにしていく必要があります。しかし、文化としての作文という方向さえ定まっていれば、これらは時間の経過の中で必ず達成されていくと思っています。この文化としての作文の勉強をすすめていくと、その副産物として作文の試験や国語の試験に合格する、というのが言葉の森の作文と今の受験体制の中での勉強との関係です。
将来、受験体制というものはなくなっていきます。それは、選抜などしなくてもだれでも自由に学べる環境が整い、他人に評価されるための勉強ではなく、自分の向上のための勉強へと、勉強の性格が大きく変わってくるからです。言葉の森は、そういう先の展望を見ているからこそ、塾としての作文ではなく、文化としての作文を目指しているのです。
作文の勉強は、あらゆる勉強の中でいちばん難しいものだと考えてください。世間には、ドリルをやるような感覚で楽しく書けることを売り物にしている作文教室もあると思いますが、ドリル形式でだれでもできるような勉強では力がつきません。中身のある勉強をするためには、それなりの苦労が必要なのだと考えておいてください。
長続きさせることがいちばん大事です。作文の勉強が本格的に難しくなるのは小学校5年生からです。小学校1年生から4年生までは、そのための準備という面もあります。勉強は長く続けることが大切です。なかなか進歩しないように見える時期があっても、長く続けた子は必ず力がついてきます。
長く続けるために大事なことは、無理をしないことです。うまく書けなかった、自習ができなかった、何度か休んでしまった、というようなことがあっても、おおらかな気持ちで見ていくことです。決して、叱ったり注意したりしないように、いつもその子のいいところを見て褒めて励ますようにしていってください。
困ったときは、すぐに教室に相談の電話をしてください。
お母さんと子供の二人だけの関係では、うまく行かないときに勉強が行き詰まることがあります。そういうときはすぐに教室にお電話でご相談ください。
・子供が作文を書けないとき
・自習ができないとき
・時間がかかるとき などなど。
子供の書いた作文は、できるだけ直したり注意したりしないようにしてください。どの子の作文も、大人が見れば、注意するところがたくさんあります。しかし、それは、注意して直せばいいというものではありません。注意するよりも、普段の読書や対話に力を入れて、自然に注意しなくても済むようにしていくというのが基本的な考え方です。
そして、他人との比較や競争をできるだけしないようにしてください。点数や競争で意欲を持たせると、必ずあとで反動があります。点数や競争や賞罰でがんばらせると、そういうものがなければがんばれない子になってしまいます。意欲は、競争によってではなく、両親の温かい関心によって生まれるものだと考えていってください。
自習も無理をしないようにしてください。音読、暗唱、読書、問題集読書など、すべてが生活の一部としてできるようになれば申し分ありませんが、そうはならない子の方が大多数です。自習ができなくても、それで勉強が進まないわけではありません。それぞれの家庭の実情に応じて無理なく続けられるものだけを続けていってください。しかし、最低限、毎日の読書は続けていくといいと思います。低中学年では、特に、読書は勉強よりも優先して行うようにしていってください。その方が、あとで必ず実力がついてきます。