小学校の高学年で、「ことわざの引用」という項目があります。
小学生のころは、ことわざを引用することによって感想が深まる面がありますが、高校生ぐらいになると、ことわざの引用はかえってありきたりの表現になってしまうことがあります。
そこで、練習するのがことわざの加工です。
これは、多くの人によく知られていることわざを、別の場面にあてはめたり別の表現に言い換えたりして発展させる使い方です。
例えば、「瓜のつるになすびはならぬ」ということわざは多くの人に知られているので、それを利用して、「瓜のつるになすびがなることもある」などと書きます。これは、不可能に見えたことも技術革新などによって可能になるなどという話のときに使えます。バイオテクノロジーの話題などで出てきそうです。
「サルも木から落ちる」であれば、「木から落ちるサルはめったにいない」などと言い換えます。自分のよく慣れたことはめったに失敗しないものです。
「ブタもおだてりゃ木に登る」であれば、「どんなにおだてても、ブタは木には登れない」です。能力を超えたことは、やはりできません。
西堀栄三郎さんの著書のタイトルは、「石橋を叩けば渡れない」でした。
ことわざは、世の中の真実を鋭くついた言葉ですから、それだけに正反対の言葉も真実になるのです。
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子「どうして、暗唱(あんしょう)するの」
母「あーん、しょれはね」
^_^「……」
自分(じぶん)の音読(おんどく)した声(こえ)が耳(みみ)に入ると、
脳(のう)が、「これはのどと耳の両方(りょうほう)から来ているから大事(だいじ)な言葉(ことば)だ」と思う。
だから自分の言っていないことは、右から左に抜(ぬ)けることも多い。
母「勉強(べんきょう)してるの?」
同じ言葉をくりかえしていると、言葉がイメージとなって脳の金庫(きんこ)に保管(ほかん)される。
しかも、イメージは、いくらつめこんでも大丈夫(だいじょうぶ)。
「パクパク」
母「そして、脳(のう)が丈夫(じょうぶ)になるのよ」
子「そうなのう」
江戸時代の寺子屋教育の基本は暗唱
寺子屋教育の基本は、百字の文章を百回読むことでした。この勉強法によって日本は当時世界一の識字率を達成していました。
(江戸時代の日本の識字率70~80%、同時代のヨーロッパの先進国の識字率20~30%)
ノーベル賞の湯川秀樹も小1から暗唱
湯川秀樹と3人の兄弟は、それぞれ5、6歳から四書五経の素読をさせられました。そして、全員が学者になりました。
そのときの勉強法は、論語を漢字のまま意味もわからないまま音読し暗唱するという方法でした。
(芳樹(兄、冶金学者、東大教授)、茂樹(兄、歴史学者、京大教授)、環樹(弟、中国文学者、京大名誉教授))
暗唱を生かした著名人
暗唱を自分の実際の勉強に生かした著名人には次のような人がいます。
□貝原益軒(1630-1714)……81歳のときに著した「和俗童子訓」で四書五経を毎日百字百回暗唱するという勉強法を提唱しました。益軒の影響は日本全国々に及び、江戸時代の日本の教育の大きな方向を決定しました。暗唱は子供だけでなく、大人にとっても価値があると述べています。
□塙保己一(1746-1821)……盲目でありながら当時日本全国に散らばっていた600冊以上の学術書を編纂するという偉業を成し遂げました。その伝記は、ヘレン・ケラーにも大きな影響を与えました。18歳のとき般若心経を1000日間暗唱するという誓いを立て、晩年まで折に触れて暗唱をしていました。
□シュリーマン(1822-1890)……独学で十ヶ国語以上をマスターしトロイアの都を発掘しました。そのときの勉強法が、外国語を辞書にも文法書にも頼らず大声で音読し暗唱するという方法でした。生まれつき弱かった記憶力が、この勉強法で改善したと述べています。
□本多静六(1866-1952)……林学博士。暗唱の勉強法で東京農林学校(今の東大農学部)を首席で卒業しミュンヘン大学経済学博士号を取得しました。大学1年生のとき数学で赤点を取りましたが、一念発起し数学も丸ごと暗唱するという方法で学年トップになりました。子供時代、家の仕事を手伝いながら文章を暗唱するという勉強法をしていました。大学には作文の点数がよくて合格できたと述べています。
□野口悠紀雄(1940-)……経済学者。自身の中学高校時代の経験から英語の勉強法として音読暗唱を提唱しています。高校時代、英語は教科書をただ音読するだけで好成績を維持し東大工学部に合格しました。しかし、そのように単純な方法なのに実践する人が少ないと述べています。
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小2のまだ入会して間もないお母さんから電話がありました。
「いろいろなことが忙しくなって子供が消化し切れないので、学校の先生に相談したら、『作文は学校でもやるから作文から休んだらどうですか』と言われた」と言うのです。^^;
こういう方とは反対に、「忙しくても言葉の森だけは続けます」という方ももちろんいます。受験勉強が忙しくなって一時退会するときでも、「受験が終わったら、また必ず来ます」と言ってくれる方もいます。
低学年のうちの作文指導は、言葉の森の学校も表面上あまり変わりません。しかし、学校では子供たちが高学年、中学生、高校生になったときの展望をもって指導しているわけではありません。作文力が本当に必要になるのは高学年になってからですが、それは言葉の森で低学年から続けているからこそスムーズに移行できるのです。
今の世の中にはいろいろな習い事があります。英語やスイミングやピアノは多くの人が習っていますが、それらはいずれもある一時期に習えば済むものです。しかし、日本語の読み書きだけは、一生続く基本になる習い事です。
我が家の二人の子供も、小1から高3までずっと続けた習い事は言葉の森だけで、そのほかはほとんど何もしませんでした。下の子は、小4から地域のバスケットボールクラブに参加していましたが、勉強的な習い事は言葉の森以外に続けたものはありませんでした。
たぶん、今低学年の子供をお持ちのお母さんやお父さんも、子供が大学生や社会人になったときには、こう思うと思います。「結局、日本語をしっかりやっていればよかったんだ」と。
しかし、私は、今の言葉の森の週1回の指導には、まだ不十分な面を感じています。
子供たちの中には、毎日欠かさず長文音読をして、読書をしている子もいます。しかし、家で読む練習は何もせず、ただ週1回作文を書いているだけの子もいます。
この毎日の読む練習がない状態で、週1回作文を書くだけというのでは、やはり実力はなかなかつかないのです。
そこで、この1月から、これまでの長文音読の自習を、長文暗唱の自習に切り替えました。暗唱であれば、やらなければできないということがはっきりするからです。
しかし、暗唱という勉強スタイルは、お父さんやお母さんが若いころにやっているわけではないので、子供にアドバイスしにくいという事情がありました。自分の経験していないことを教えるというのは、なかなか大変なのです。
暗唱は、ただの音読に比べると、一見難しいように見えますが、やり方さえ手順を踏めば実は簡単で、また、音読よりもずっとやりがいがあります。そして、音読よりも確実に実力がつきます。
言葉の森のこれまでの長文音読という勉強法も、斉藤孝氏が音読の本を出すずっと以前から言葉の森で取り組んでいました。最初のうちは、音読ということに抵抗を感じる方も多かったのですが、次第に音読という勉強法が広がり、やがて言葉の森の音読の自習と学校の音読の宿題がぶつかるようになってきました。
しかし、今、音読指導をしている学校は多いと思いますが、いずれもかなり形骸化していると思います。
私の今の考えは、音読は真面目に繰り返して取り組めば効果はあるが、たまに数回読むぐらいでは効果らしいものは出てこないというものです。そして、ほとんどの音読は、そういう効果のない学習で終わっていると思います。
通学教室では、今、作文を書く土台の読む勉強として、長文暗唱と付箋読書に力を入れています。
この勉強法を通信でも行えるようにするのは、かなり難しいのですが、子供たちの実力向上を考えると、これらの読む勉強を避けて通ることはできません。
来年から、この読む勉強を通信教室でも行えるように、今準備をしているところです。
小学校低学年の子供をお持ちのお父さんお母さんは、忙しくなっても言葉の森だけは続けるということでやっていってくださるといいと思います。
低学年で続けるということが、その後の難しい課題に取り組む土台になるからです。
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H2Bくん、はっしゃおめでとう
とらたいがくん
「しんぶんに、日本さい大のロケットってかいてあったよ。」
九月十一日、H2Bロケットが、たねがしま宇宙センターからうち上げられました。その日、学校のおともだちにもおしえてあげました。
「ロケットがはっしゃしたところは、ニュースに出るかなあ。早く見たいなあ。」
ぼくはいそいでいえにかえりました。
その日の夕かんに、夜中のくらい中はっしゃするH2Bのしゃしんがのっていました。エンジンは、まるで大きな花火のように火がボーボーともえています。
「やったあ、うち上げせいこうだ!」
ぼくはうれしくて、母にもしらせてあげました。
ぼくがおとなになったら、「H3Z」という名前の世界さい大のロケットをつくりたいです。このロケットには、宇宙のこうつうせいりをする人工えい星をのせてうち上げます。どうしてかというと、宇宙でロケットや人工えい星がぶつかって、つぶれてしまうとこまるからです。
ロケットをつくるのは、ワクワクたのしそうだなあ。
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たいまつの明かりのもと、鵜飼が水にもぐって魚を捕ります!
ダイヤモンド
夏休み最後の土曜日、京都の宇治川へ鵜飼(うかい)を見に行きました。鵜飼というのは、鵜(う)という鳥を使って魚を捕る方法で平安時代に始まった夏の伝統行事です。
宇治川に着くと、鵜に魚を捕らせる人、鵜匠(うしょう)の話が聞けました。宇治川にいる鵜は、海鵜(うみう)という種類で遠いシベリアからやってくる渡り鳥だそうです。水にもぐってすばやく魚を捕る習性を利用して鵜飼漁法が古くから行われてきました。体重は約三キロと聞いてカモより少し大きいくらいかと思ったら、羽を広げたらその幅は一二0センチ、勢いもあってびっくりしました。
夜七時、屋根つきの木の観覧船にぶら下がるちょうちんの明かりだけであたりは真っ暗。いよいよ向こうの方に見えてきた鵜飼船が目の前に来ました。たいまつの火の粉で船に乗っているぼくの顔は熱いし、八羽ほどの鵜が勢いよく水にもぐり込むときの水しぶきで顔もぬれます!鵜が魚を捕ったしゅん間、鵜匠は鵜の首を引っ張る縄をたぐり寄せ、鵜を手に取ると、鵜の首をしぼるように押してあっという間に鵜の口から魚を取り出すではありませんか。それも一、二秒の早わざです。
「わー、すごい!」
と観覧船から大きな歓声と拍手でわきます。
鵜の首に一本ずつ巻かれている縄は、魚を飲み込んだ鵜がその魚を食べてしまわないようにするためのものです。縄の結び方や引き方がきつすぎると鵜は息がしにくくなってしまいます。逆にゆるいと、飲み込んだ魚はそのまま鵜のお腹の中に入ってしまいます。この縄の引き加減は鵜匠にとって一番難しいそうです。ぼくが鵜匠だったら、魚を捕った鵜の頭を思いっきりなでてあげるだろうなあ。
みなさんも是非、迫力満点の鵜飼を見に来て下さい。
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